訳書紹介:『いま、目覚めゆくあなたへ』


新刊紹介
『いま、目覚めゆくあなたへ』
(マイケル・A・シンガー著、菅 靖彦訳、風雲舎刊)
菅靖彦(本学会顧問、翻訳家)

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 最近、アメリカではいわゆるスピリチュアル・ティーチャーの本が次々に出版され、話題となっている。

その代表的な例が全米で六〇〇万部売れたといわれている『ニュー・アース』(エックハルト・トール著、吉田 利子訳、サンマーク出版)である。

ドイツ生まれのエックハルト(本名はウルリッヒだが、ドイツの神秘主義者、マイスター・エックハルトにちなんで改名)は一九七七年、二九歳のとき、うつ病による自殺衝動に悩まされている最中に覚醒体験をし、それからの二年間、ロンドン市内の公園のベンチに坐って、深い至福状態に浸っていたという。その後、彼の元にさまざまな人間が集まってきて話を聞くようになり、スピリチュアル・ティーチャーとしての地位を確立していった。「目覚める」ことは現在、危機に瀕している人類の使命であり、今後、さまざまな形で「目覚める」人たちが出てくるだろうとエックハルトは予言している。

 エックハルトと並んで、現在、すぐれたスピリチュアル・ティーチャーとして多くの人々の関心を集めている人物がもう一人いる。一四年間、禅の修業を積んだ後、覚醒体験を経て禅の教師として迎えられたアジャシャンティ(サンスクリット語で根源的な平和という意味)である。彼の摂心を受けて、本来の自分に目覚める人たちがたくさんでてきていると報じられている。

 前置きが長くなったが、本書の著者であるマイケル・シンガーもまた、一九七〇年代の初頭、経済学の学生として博士論文の執筆にあたっている最中、深遠な覚醒体験をし、その後、精神世界に深く関わるようになった人物である。一九七五年、彼はフロリダ半島の真ん中に位置するゲインンズビルという町の郊外に宇宙寺院(The Temple of the Universe )という名のヨガと瞑想のセンターを建て、人々が心の平和を得るのを助けている。

 本書はマイケルの三番目の著作で、二〇〇七年に初版が刊行されたが、ストレートに「わたしは誰か?」という普遍的かつ根源的な問題に切り込んでいくスタイルが話題を呼び、エックハルトやアジャシャンティらの著作と並んで、多くのスピリチュアルな探求者たちの心を捉えた話題の書である。

 日本でもつとに知られているスピリチュアル・ティーチャー、ディーパック・チョプラは本書の優雅なシンプルさを絶賛し、「本書を注意深く読んでもらいたい。そうすれば、永遠を垣間見る以上の恩恵が得られるだろう」と述べている。また『神との対話』シリーズで知られるニール・ドナルド・ウォルシュは、「最初の章を開いたときから、本を閉じ終わるまで、あなたの人生を変えずにはいない本に出会った」と書評の中で書いている。

 スピリチュアル・ブームと言われるようになってから久しいが、これまではどちらかというと霊的能力やサイキックな能力の方に関心が寄せられ、スピリチュアリティの本質である「覚醒」や「目覚め」というものは一部の人だけが味わえる特別なこととして敬遠されるきらいがあったような気がする。しかし、エックハルトやアジャシャンティ、マイケルのような人物が登場してきたことによって、「覚醒体験」が決して特別なことではなく、誰にでも起こりうるものだということが知られるようになれば、本格的な覚醒の時代が幕を開けるかもしれない。本書はまさにそうした幕開けを告げる画期的な著作だと言えよう。

 本書のテーマはずばり「わたしは誰か?」ということである。

 わたしたちは普通、「どなたですか?」と聞かれると、名前を答える。しかし、名前は単なるレッテルにすぎない。それではというので、これまで自分がやってきたことを一つ一つ並べ立ててみても、それらはあなたがやってきたことであって、「あなた」ではない。では身体はどうだろう? 思考はどうだろう? 感情はどうだろう? 著者は、わたしたちがてっきり自分だと勘違いしやすい要素を次々に俎上に載せ、それらが単なる意識の対象にすぎないことをひもといていく。そして「わたし」にまとわりついているガラクタをすべて捨て去ったとき、何者にも対象化されない純粋意識としての本当の「わたし」が見えてくるという。

 マイケルの結論は決して真新しいものではなく、多くの偉大な聖者や覚者が説いてきたものだといってもいいかもしれない。だが、些細な日常的な出来事をきっかけにしてわたしたちの本質をつかんでいく彼の手法は、さまざまな形で覚醒する人間が出てくるといわれるこれからの時代にあって、きわめて貴重なものになるだろう。事実、この本はスピリチュアルな世界に興味をもっている人たちだけではなく、広い意味で人間の成長や目覚めに興味をもっている人たちの間で大きな評判になり読み継がれているのだ。本書を通して、読者が自分の中で目覚めようとしているものに触れ、新たな時代の息吹を感じ取っていただければ幸いである。