自著紹介:詩集「日常を越えていくもの」

自著紹介
詩集「日常を越えていくもの」(文芸社、2009年)
瀬戸 光彦著
(本学会会員)

‘あとがき’に本書の背景が次のように書かれています。「学生時代から‘自分の日常生活は嘘くさく、何かが違う’という思いを抱いていたが、サラリーマンとしての先行きが見えてきた頃からその思いは強くなっていった。その内面の葛藤を書き溜めた退職までの約10年間の記録の中で、その時々の心情をよく表わしていると思う箇所を詩という形で切り出したものが本書である」。

つまり、本書は約10年間の個人的な心の変遷を表したものであり、必ずしもトランスパーソナルを意識して書いたものではありませんが、その根底に一貫して流れているものは自我(ここでは‘日常’)を超えていきたいという意志であり、それはトランスパーソナルが目指すものと同じ方向であるように思っています。そういう観点から本書の要点を紹介します。

最初の数編の詩では、日常生活の中で精神的に孤立し、潤いを失った心とその目に無機質に映る外界の光景が詠われています。やがて意識は自己の内部に向けられ、そこに葛藤の諸要因を見出していく。それらは過去の体験の記憶であったり、詰め込んできた知識や観念であったり、あるいは強いられた欲望であったりする。それらとの精神的な格闘の中で揺れ動く心の状態が表出されていきます。次に、直接的には書いていませんが、人間の死とか他者との関係性の崩壊などの体験を想像させる数編が続きます。そのような辛い体験をしていくことにより、自分の内部に蓄積してきたものへの依存――つまり自己体験の記憶への依存(自我への執着)――の無意味さを認識し、次第に過去の記憶から距離をおいていく心の動きが読み取れると思います。そして、内部で所有してきたもののすべてが虚妄に見えてくる自己の無力さの中で、ある少女に‘生きようとする無言の意志’を観る。それは著者自身の意志と重なっています。終わりの数編では自己への執着から解放されていき、心が安らいでいく心境をうかがうことができます。そこには、‘何もない自分’への認識とその自分を受け入れていくことで安らぎの心境に至るという一つの方向性が暗示されています。

内面の葛藤との長い格闘の底に流れ続けている“生きていこうとする人間の意志”を感じとっていただければと思っています。

以上が概要ですが、本書を書くことで改めて社会人の心の問題について考えさせられました。

欧米に比べ、日本は心の問題に関する研究や教育が遅れていると思います。特に、競争社会の中で自分の心の問題を公に語ることはマイナスであるとして社会人の心の問題は陰におかれてきました。精神的に孤立した日常生活の中で次第に視野が狭くなり、混沌の闇に落ち込んだとき、書籍などを通して同じように闘っている心があることあるいは多様な心のあり方が可能なことを知っておくことで心の病に陥ることの予防策となると思います。日本社会における心の問題が多方面から検討され、広く紹介されていくことを望んでいます。

また、平均寿命が長くなるにつれて、多くの社会人は十分長い人生を残して仕事と組織から離れていくことになります。競争と効率の中で生きてきて、急に収入が減りかつ自由な長い時間を得たとき、180度の価値観の転換を余儀なくされます。つまり、自我の再構築を求められることになります。この新たな問題に光を当てていく必要があるのではないかと思っています。

三点目は、科学的なアプローチの問題です。科学的な思考を身につけた現代人は自分を中心とした視点から対象を分析・評価し、自分に関心がある部分だけを切り出して定義(言語化)してしまいがちです。それは対象を死化させ、その一部を見ているにすぎません。特に、心の有り様や生きたいという意志などを直接的に言葉で説明することは容易ではありません。詩を書くようにあるいは絵を描くように直感的にその全体像をイメージし、表現していくというアプローチも重要だと考えています。

そういう思いもあって、今回は詩という形式をとってみました。