書評 : The Heart of Being Helpful: Empathy and the Creation of a Healing Presence

書評
Peter Breggin (1997)
The Heart of Being Helpful: Empathy and the Creation of a Healing Presence
NY: Springer Publishing Company
上嶋 洋一(本学会理事、千葉商科大学学生相談室相談員)

The Heart of Being Helpful: Empathy And the Creation of a Healing Presence

 翻訳のない原著。ペーパーバック版で1900円ほどの本とはいえ、手軽に手に取ってみることができる本とは言い難い。その意味では、書評に取り上げる本として不適切かもしれない。ただ、私自身、ここ1、2年で一番興味深く読んだ本であるにもかかわらず、当分翻訳が出る気配はなく、そんな事情もあって、あえて紹介してみたい。

 この著者、ピーター・ブレギン(Peter Breggin)は、精神科医でありながら、向精神薬に頼らない(あるいは用いない)で治療する道を探っている臨床医でありサイコセラピストである。精神科医が薬を使わないで治療しようとする時、その姿は、薬を処方することのできない援助専門職、つまりカウンセラーやソーシャルワーカーの在り方に似てくる。それゆえに、学生相談室の相談員としての私自身の在り方を考える上で学ぶべき点は多かった。同時に、薬に頼らず援助する道を探ろうとする彼の姿勢は、ともすると安易に快を求め苦を避けようとする(森岡 正博の言葉でいえば「無痛文明」の中を生きる)私たちが、少し立ち止まって自分自身の在り方を振り返り、四苦八苦しながらも必死に生きる生き方を励ます人生哲学としての役割も果たしてくれるように思える。しかも彼の主張は、薬物療法という巨大な精神医学の権威に真正面から対峙しているだけに、感傷的なものに堕したヒューマニズムではなく、「強さ」としてのヒューマニズムを感じさせてくれる。彼の主張に対する精神医学界という権威からの、そして製薬業界という巨大企業からの直接・間接の圧力の大きさは、精神分析や行動療法を批判した人間性心理学の比ではないはずだからである。

ブレギンの取り組みの要点は、およそ次の三つである。第一に、薬物療法に代表される生物学的還元主義への批判、および、こうした生物学的還元主義に対する「健全な懐疑主義(healthy skepticism)」の提唱。第二に、治療の中心に共感的な愛(empathic love)を置くことの提唱。そして第三に、上記二つの考え方と密接な関連を持つ「応用倫理としての心理療法(psychotherapy as applied ethics)」というコンセプトの提唱。本書は、主にこの三つのうち、第二の主張に関わる著作である。

 とはいえ、「治療の中心に共感的な愛を置こう」(p. 175)といった発想の本は巷に掃いて捨てるほどある。またそのような言説には、どこか私たちの側も飽き飽きしている。精神医学界の主流は今や、薬物療法であり認知行動療法なのである。何年後かには、ひょっとすると、傾聴についてのトレーニングなしに、臨床に携わる精神科医や心理療法家が生まれているのかもしれない。ブレギンは次のように言う。「精神科の薬は今や、魂にとってのファーストフードになってしまった。いわゆる対話中心の医者でさえ、薬に頼っている。心理療法家が、知恵の、洞察の、理解の泉であった時代はとうに過ぎ去ってしまった」(p. 63)と。こうした時代にあって、カール・ロジャーズが説いたような、対話や人間関係、さらには「人がただそこにいる(presence)」ということそれ自体が持つスピリチュアルな力を大切にしようとしているカウンセラーやサイコセラピストの存在意義を、カウンセリングの原点に立ち戻って考えてみる視点を、本書は提供してくれているように思える。

 例えばどんなことを言っているのか。

 「人間の本質が社会的なものであるゆえに、他者を育てている時、実は私たち自身を育てているのだ。他者の成長に力を貸す時、実は自分自身の成長を促進しているのだ。他者を援助しようとして自分自身の中に新しい力(心の力、スピリチュアルな力)があったことに気付く時、同時に、私たちは私たち自身の成長と発達を励ましているのだ。」(p. 50)

 「愛というのは、あまりにも安易な解決方法なのではないのか? いや、そうではない。むしろ愛するということは、あらゆる解決法の中で最も難しいものである。一人の援助者としての私はしばしば、自分のこらえ性のなさや欲求不満、そして共感性の足りなさを、自分自身の愛する能力を取り戻すことによって乗り越えようと必死になる。愛すること以外のすべての解決方法こそ(それは精神科での治療から、あからさまな暴力にいたるまで)、はるかに安易な解決方法なのである。安易な解決方法だからこそ、これほどまでに広まっているのである。」(p. 176)

 「治療の中心に共感的な愛を置こう」というブレギンの主張は、ある意味で非常に素朴で、およそ専門家の主張とは言い難いものかもしれない。しかし、その主張が、誰しもの心の底ですでに直観的につかんでいるものであるがゆえに、「援助する側に立つ多くの人たち、セラピストであったり、医師であったり、教師や親や友人も、それを自分なりに修正した形でではあるが、自分たちの中でずっと以前から実践していたことであったと気付く」( p.9)のである。“あのブレギンの言っていることは自分たちがもうすでに実践していたこと”であったと気付く……それは、私たちにとって新鮮な体験であり、何よりの励ましであり、自分自身の持つ力の豊かさを再評価させてくれる体験であるに違いない。