【書評】菅野 泰蔵著『カウンセリング方法序説』

書評
菅野 泰蔵著『カウンセリング方法序説
(日本評論社、2006 年)
上嶋 洋一(千葉商科大学学生相談室 / 本学会理事)

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 私はいつか、(私自身、師と仰ぐ)京都の西陣地区で 50 年以上往診医として活動を続けている早川一光(はやかわ・かずてる)の医療思想あるいは臨床哲学を探求するつもりでいる。早川の医療思想の核心とその限界(あるいは課題)を明らかにすることを通して、ひとつには、一人の医師の中に生きて働いている思考の枠組みを学びつつ、もうひとつには、その観点から現代医療の在り方(それはそのまま生命倫理の問題に直結していくはずである)を問い直してみたいからである。

 ところで、医学はサイエンスであるかもしれないが、医療あるいは医療行為は、どこか「ヒーリング・アート」のような側面を持つ。早川は医学に秀でた医師であるというより、そうした「ヒーリングアート」に秀でた医師であるようにも思える。もう少し言い方を換えれば、早川は「医師」である以上に「すぐれたカウンセラー」であるのかもしれない。「早川先生が入ってこられるだけで空気が変わる」といった声も耳にする。もしそうであるならば、すぐれたカウンセラーの実践や臨床哲学の探求が、早川の臨床の核心を理解する手がかりになるのではないか……そういう思いから、本書を読んでみようと思った。

 本書の著者、菅野 泰蔵は 1953 年生まれ。「カウンセリングの神様」(註1)カール・ロジャーズ(Carl Rogers)を、まさに「神様」として崇拝(?)した世代からは一世代、二世代、若い。また日本のカウンセリング界を引っ張ってきた大学や学閥、特定の学派の中にいたわけでもない。(菅野の個人的な資質もあるとは思うが)そうした権威から少し離れた所で地道に臨床活動を積み重ねてきたカウンセラーであるがゆえの、ある意味、自由で、私たちの、そして(おそらくは)専門家の意表を突くような発想には感動すら覚える。

 例えば、「第 1 章 カウンセリングとはあたりまえのことをすること」、「第 2 章 カウンセリングとはサービス業である」、「第 4 章 人を笑わせる “ 芸人 ”になるために」、「第 6 章 神は細部に宿る」等々。その多くは逆説的な表現を取っている。「逆説」とはつまり、合理の世界・常識の世界では理解することのできない何かを、合理の世界・常識の世界にいる私たちに伝えるための知恵なのである。早川の言葉も、その多くは逆説的な表現を借りている。「寝たきりになってもええ。そやけど心は起きてる寝たきりになりなはれ」(註 2)という具合に。

 菅野は次のようにいう。「本書で私が示したいことは、『重要なのは世界を解釈することではなく、世界を変えることだ』というマルクスにも倣い、臨床を『語る』ことではなく、『何を、どうしたらいいのか ?』という実践的(実戦的 ?)なことにある」註(3)と。とはいえ、この「何を、どうしたらいいのか ?」という、菅野にとっての実戦的な解決のための道(戦略)とは、何か特別なことを指しているのではない。あくまでもその基本は対話である。その対話を通して生み出される、いわば「世界を変える言葉の創造」である。

 「世界を変える言葉の創造」を、菅野はどのようにして切り拓こうとしているのか。本書全体がそのことに関わってはいるのだが、「第 10 章 臨床的リアリティについて」の中の事例(註 4)を基に、 「世界を変える言葉の創造」について考えてみたい。38 歳のプロゴルファー K 氏が菅野の所に「カウンセリングを受けたい」と言ってこられた。「僕は失敗を引きずってしまう性格なんです」とのこと。そこで、「とにかく一度一緒に回ってみて、そこでいろいろ観察させてもらおう」ということになる。何番目かのホールで K 氏が失敗した時、「どうして失敗したのか ?」と菅野が問うと、「打つ前の考えとしては、あそこにボールが行ったら、もうペナルティだと思って無理をしないと決めてたんです。でも、打つ段になって、これは何とかなるかもしれないと色気を出して、違うクラブを持ってしまったんです」という。この話から菅野は、 K さんが際立ってそういう性格を持っているのではない。こうした失敗のしかたをすれば、誰だって引きずるものである。一度決めたことなのに、その決まりを破って失敗すれば、誰でも『何であんなことをしてしまったのか』と後悔するに決まっている」(註 5)のではないかと思うに至る。つまり、 Kさんの問題は、「ひきずりやすい性格」の問題ではなく、「引きずるような失敗」を実際にしている、というところにあるというのである。

 専門家も含め、私たちは、何か心理的・精神的な問題が起きると「性格」にその原因を求めてしまいがちである。それは私たちが、「性格」という、抽象度の高い概念を手にしているからかもしれない。しかし、菅野に言わせれば、「性格」とは、『性格』という幻想、『性格』という物語(註 6)ではないのか、ということになる。つまり、重要なことは、「性格」といった概念を一旦捨て、すべてを白紙にして、「自分自身で考えていこう」(註 7)という、いわば現象学的態度にある。私は本書を、現象学的態度の応用による、「世界を変える言葉の創造」の優れた実践例として評価したい。


1. 諸富 祥彦(1997)
『カール・ロジャーズ入門』コスモス・ライブラリー、1 頁
2.「78 歳 名物医師早川一光の『説法』『幸せにな る ぼ け 方、 死 に 方 』、 週 刊 朝 日 』、2002 年、12 月 27 日号、133-135 頁
3. 菅野 泰蔵、『カウンセリング方法序説』、日本評論社、2006 年、ii 頁
4. 同上書、142-146 頁
5. 同上書、144 頁
6. 同上書、145 頁
7. 同上書、i 頁