映画『不都合な真実』に寄せて
映画『不都合な真実』に寄せて
笠置 浩史(本学会常任理事)
元アメリカ合衆国副大統領で、『地球の掟:文明と環境のバランスを求めて』(小杉 隆訳、ダイヤモンド社、1992)の著者としても名高いアル・ゴア(Albert Arnold Gore, Jr)。彼が出演し、地球温暖化問題についてのスライド講演をまとめたドキュメンタリー映画『不都合な真実(An Inconvenient Truth)』は、数多くの映画賞を受賞し、高く評価されている。アカデミー賞(最優秀長編ドキュメンタリー賞および最優秀オリジナル歌曲賞)を受賞したことは記憶に新しいだろう。
私がこの映画に関心を持ったのは、本学会常任理事の鈴木 規夫氏による紹介がきっかけであった。氏の言葉を借りれば、「たくさんの人に『体験』してほしい作品」。鑑賞してみて、私もまったく同様の感想を持った。まさに「体験」と呼ぶにふさわしい〈気づき〉が誘発される作品である。
アル・ゴアは、1960年代後半から地球温暖化の問題に関心を示し、研究を深め、そして警鐘を鳴らし続けてきた。彼は2000年の大統領選敗北の後、多くの人に生の声で温暖化問題を伝えるべく、各地でスライドを用いた講演を行う。その講演の内容が、ほぼそのまま映画の内容となっているのであるが、ここで提供される情報自体は、さほど目新しいものではない。多少なりともエコロジーに関心を持つものにとっては、ほとんどがすでに知られた事実であろう。しかしながら、その見せ方があまりにも巧い。軽快なテンポ、適度なウィットで飽きさせない。何より、多くのデータ・情報を紹介しつつも、決して価値観を押し付けていない。「あなたはどう考え、いかに生きるのか」という問いに満ちている。
思うに、価値観が揺さぶられるような〈気づき〉とは、決して教え込まれて成るようなものではない。単なる知識の習得にとどまるのではなく、それを自分自身の問題として実感的に受け入れること。腑に落ちる体験。こうした〈気づき〉を促す要素が、『不都合な真実』には溢れているように思われる。すなわち、伝える内容だけでなく、その伝え様。語り手であるゴア氏自身が、環境問題を真に自身の課題として引き受けているという、その在り様。彼の存在そのものが、作品を観るものに訴えかけるのである。
地球環境の問題を自己自身の問題として引き受けるということは、「できるかぎり拡張された自己感覚を現世で獲得すること」(フォックス、1994、p.259)にもなろう。アイデンティティが、個を超えて人類、生態系、地球環境、ひいては宇宙にまで拡がることは、エコロジーのひとつの究極のかたちといえるだろう。また、温暖化という地球規模の危機は、国や人種を超えて、時代に共有されている。このような問題に取り組むことは、個人を超えて、惑星規模で人と人との精神的なつながりを生むことにもなるだろう。私たちひとりひとりは小さな存在かもしれないが、個を超えてゆくこともできるのである。
ハチドリの物語をご存知だろうか。燃えている森で、動物たちが逃げ惑うなか、1羽の小さなハチドリが水のしずくを1滴ずつ運びながら言う。「私は、私にできることをしているだけ」(辻、2005、p.10)と。
私にとっての1しずくとは、何なのだろうか。『不都合な真実』は、ひとつのヒントとなるに違いない。多くの人に、超個的な〈気づき〉を体験していただきたい。
参考文献
アル・ゴア(枝廣 淳子訳)『不都合な真実』ランダムハウス講談社、2007
ワーウィック・フォックス(星川 淳訳)『トランスパーソナル・エコロジー―環境主義を超えて』平凡社、1994
辻 信一(監修)『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』光文社、2005