おじんカウンセラーのトホホ通信 その9 女子の声援は、偉大だ!!
【その9】 女子の声援は、偉大だ!
前回ちょっとまじめなネタを書いたので、ちょっとペースをもどしましょう。
なんたって、トホホ通信は、軽いのがウリですからね。。
最近、同窓会のおさそいが多いです。今日も来ました。
40代後半あたりから、急に同窓会の通知が多くなったように思います。みんな、自己を振り返る時なんですかねぇ。ケン・ウィルバーによれば、人生の前半、人の成長は外へ外へと広がっていき、それは、外化と呼ばれ、その後、内化と呼ばれる自己を振り返る時期が来るということだそうです。内化になると自分自身の人生の意味を真剣に考え始めるのだそうで、外化から内化への転換は、だいたい35歳から、50代に始まるのだそうです。
だから、同窓会のお誘いが急に多くなったのかな?
でも、思いだすことは、どうも、自己成長とは程遠い・・・・。
高校からの同窓会案内が来た時、最初に思い出したのは・・・・・・。
私は、高校時代ほんの一瞬「陸上の中距離の有望選手」として期待されたことがありました。
高校時代、体育際と言うイベントがありました。
常にいいかげんな生活態度だった私にとっては、体育祭などというものは、もっともめんどうなことです。やる気も何もあったものではありません。私は、ダラダラとした態度で、「やってられねぇーよなぁー」などと友人たちと言いあっていたものです。
そのやってられねぇー体育祭の中で、男子1500m走というものがあり、私は、なんとヒーローになってしまったのです。
そのてんまつをカミングアウトしたいと思います。
私の通っていた高校は9クラスあり、総勢400人近くの同級生がいました。ですから、1500m走は、大変です。2年生全員が、100人づつ一度に走るという形で、記録をとられます。
生徒は、ゼッケンをもらって、100の位ごとに、スタートラインにならんで1500mを走ります。これが、体育祭の最後のメインイベントで、けっこう盛り上がったんです。かっこよく走る男子生徒には、女子からの熱狂的な声援が寄せられました。
しかし、運動音痴の私には、そのあこがれの女子からの熱狂的な声援なんて無縁のことでした。私は、どう見たって、声援を浴びる同級生の引き立て役にすぎないのです。だから、思いっきりしらけていましたね。
ゼッケンをもらった後、私と同じく「しらけ組=引き立て役」のO君(当時の同級生)は、自分たちの順番がなかなか来ないので、「どうせ、おれたち引き立て役だしさぁ」なんてダラダラ無駄話をしながら、順番を待っていたのですが、退屈してきちゃったんですね。それで、ゼッケンをジャージの上着でかくし、競技場の外に行って、健全な高校生らしく、ちょっと一服しながら(何を一服してたのかは、ご想像にお任せしますが)、「○組の□△ちゃんが、かわいい」なんて話をしていたんですね。
そうしたら、あっという間に時間がたってしまって、「さて、そろそろもどらか」ってことになりました。それで、競技場にもどったのですが・・、なんと、私たちの組が、すでに走っているではありませんか!
「やばい!どうしよう!」と、一瞬思ったのですが、私もO君も、すばやく出した結論は同じでした。「どさくさにまぎれて」最後の1周だけ走ろうということになったのです。後半になると、周回遅れの連中がいて、ごちゃごちゃになりますから、なんとかどさくさにまぎれることができそうでした。
「あと1周」の鐘が鳴り、私とO君は、ジャージの上着を脱ぎ捨て、いちもくさんにトラックに向けて走り出しました。しかし、あまりに勢いよく走ったので、トラックに入ったとたん、私は、数人をごぼう抜きにしてしまいました。私は、その頃、短距離には、多少の自信があったし、みなさん、すでに1000m以上走ってきているわけですからヘトヘトなわけで、おまけに、私たちは、みんなにばれないようにすばやく全速力でトラックに入っていったものですから、ごぼう抜きするのも当たり前だったんです。ちなみに、O君は、トラックに入った週間、適当に手を抜いていましたが、私は、つい、「勢い」を維持してしまったんです。
それが、女子たちのお目にとまってしまったんです。私がすごい勢いで走っている事に、クラスの女の子達が気づいてしまったんですね。彼女達にしてみれば、普段ヘラヘラしている私が、強烈なごぼう抜きをしているのを見て驚いたんでしょうね。それに、その記録会は、クラス対抗の意味もあったのですが、それまで私らのクラスは、まったくふるわなかったこともあったため、クラスの女子達は、私に向かって、「向後くーん、がんばってー!!!」の大合唱をはじめてしまいました。
「向後くーんがんばってー!!!」の声を聞き、クラスの女子達が私の方を見ているのに気づいた時、私は舞い上がってしまいました。こうなると、もういけません。私は、ゾーンに入り、ラストスパートをかけてしまったのです。あと150m、全速力で走りました。女子の力は、偉大ですね!ゾーンに入った?私は、疲れてやっと走っている連中をまとめて外側から猛烈な勢いで抜き去り、結果は、トップと2位の人にあと一歩とせまる、3位でのゴールとなりました。1位と2位になったふたりが、最後の50mで、なんども後ろを振り返り、恐れおののいた顔をしていたのを、今でも思い出します。ちなみに上位5位までで、陸上、サッカー、ラグビーなどの「走り系」の部活に属していなかったのは、私だけでした。
ゴールした後、担任で体育の教員だったK先生がやってきて、「向後、お前、まじめに陸上をやらないか?」と、おっしゃってくれました。これが、私が「期待の選手」になった一瞬のできごとです。
その後、クラスの連中には、私とO君が最後の一周だけ走った事がばれ、クラスの女子からは、「応援して損したのに最低ー」と大ブーイングで非難され、この事件は、高校卒業後30周年のクラス会でも、まだ非難されることとなりました。 しかし、女性から応援されれば、ついはりきってしまうのは、年頃の男子としては、健康な反応ですよね・・というのは、自己正当化した言い訳ですね。
(第9回おわり)
向後善之
日本トランスパーソナル学会 事務局長
ハートコンシェルジュ カウンセラー