おじんカウンセラーのトホホ通信 その25 前向き?後ろ向き?

【その25 前向き?後ろ向き?】

以前、企業向けセミナーをやったとき、「前向き社員を作る」だかなんだかというテーマの副題が横断幕に書かれていて、その下に私の名前が「講師:向後善之」記されていました。

どうも、いけません。

前向き社員なのに、講師の名前が、「向後」じゃねぇー・・。

私は、セミナーのまくらに、「前向き社員というテーマなのに、講師の名前が後ろ向きですみません」と一発ギャグをかましておきました。

向後という名前は、一発で覚えていただけるので、今ではありがたいのですが、小さい頃は、「後ろ向き」だとかなんとか言われてからかわれたものです。向後というのは、「後ろ向き」って意味じゃなくて、本来は、「これから先」と言う意味なんですがねぇ・・。

小学校の3、4年生の頃でした。私は、父に、「なんで、向後って名前なんだ?」と聞いたことがあります。

父は、私が、名前のことでからかわれたことに気づいたのかもしれません。

すぐに答えず、ハイライトに火をつけ、プカーッと一服した後、父は、語り始めました。

「よしゆき、壇ノ浦の合戦というのがあったのを知っているだろう?」と、父。

いきなり、話題が源平合戦に変わり、私は、「なんのこっちゃ?」と思いながらも、「知ってるよ、源氏と平家が戦ったやつでしょ?」と答えました。当時大河ドラマで義経をやっていて、それをかかさず見ていたものですから、そのくらいのことは知っていました。確か、最近亡くなった緒形拳さんが、弁慶を演じていたと記憶しています。

父は満足そうにうなづき、「我が向後家は、平家だった」と、いきなり衝撃的な(当時の私としては)ことを切り出しました。そして、その瞬間、私は、父の話に完全に引き込まれてしまいました。

「残念ながら、・・」 悲しそうな顔をして、父は、続けます。

「平家は、源氏に敗れた。それは、悲惨な戦いだった。我が向後家の祖先は、しかし、けっして、源氏の連中に背を見せなかった。

しんがりを務め、最後まで刀を抜いて平家と戦ったんだ」

私は、「しんがり」という意味が分からず、父に聞きました。

父は、にやりと笑みを浮かべ、「しんがりというのは、時に利あらずして(この辺芝居がかっています)、戦いが不利になり、涙をのんで撤退する時、一番後ろを守ることを言うんだ。しんがりは、一番犠牲が多い。だから、一番強い武将が務めるもんだ。秀吉も信長が危機に陥った時、しんがりを務めた」と言います。

私の頭の中では、「我が向後家」の祖先が名誉あるしんがりを務め、勇敢に戦うシーンがありありと浮かんでいました。

父は、さらに続けます。

「向後家は、源氏に向かって刀を抜きながら、壇ノ浦から千葉の銚子まで帰ってきたんだ。」

千葉県の銚子は、父の生まれ故郷(正確にはその近く)です。

私の頭の中には、我が祖先が、刀を構えながら勇敢にも壇ノ浦から千葉の銚子まで撤退していくシーンが浮かび、わくわくした感動を覚えたものです。

「向後一族は、いつか源氏に勝とうと決意し、千葉の銚子の地にありながら、武術にはげんでいたんだ。まあ、徳川幕府に対する薩摩・長州といったところだ」

父は、どうだと言わんばかりの顔をしていました。

私は、向後家が薩摩の島津家や長州の毛利家と同格だったという妄想を限りなく膨らましていました。そして、私の頭の中には、源氏への復讐を誓い、決して鍛錬を忘れない向後家の武将たちの姿が浮かんでいたものです。

純情だった私には、「ところで、向後家はその後、源氏をやっつけたのかい?」なんてやぼな質問は浮かびもしませんでした。

父は、最後に言いました。

「ちなみに、『向後』という字は、『これから先』と言う意味を持っているんだ」

私は、「向後」と言う名に、「これから先、いつか源氏をやっつけるぞ」という堅い決意があることを知り、感動したものです。

その後の私には、自分の名前に対する劣等感はなくなり、むしろ名誉に思えました。

しかし、その名誉ある向後一族のしんがりの話は、まったくのでたらめでした。そんな史実は、調べた限りありません。全部父の作り話だったのです。

壇ノ浦から銚子まで、刀をかまえながら帰って行ったなんてねー。あり得ません。しかし、当時小学生だった私には、壇ノ浦から千葉までの距離感なんてないですから、なんの疑問も持たず、父のほら話に聞き入り、不覚にもまるごと信じてしまったんですね。

おそらく父は、ハイライトをプカーッってやっているほんの一瞬に、この話を思いついたんでしょう。やるじゃねーか・・と、今では思います。

ちなみに、父の話の中で、「『向後』が、『これから先』という意味を持つ」というところだけは、本当です。広辞苑にも出てます!

後年、私は、この「向後」という名前に助けられたことがあります。

サンフランシスコで大学院を出た後、私は、ダメモトで、RAMSというカウンセリングセンターの試験を受けました。RAMSは、多文化に対応するサンフランシスコで最も大きなセンターで倍率が高く、その前年は、日本人の採用はゼロでした。ですから、受かる自信もなく、「だめだったら、日本に帰ろう」というつもりで受けました。

面接官(ディレクターとスーパーバイザー)は、ふたりとも中国系アメリカ人でした。

彼らは、「ヨシユキ」という私の名前に興味を持ったようで、その時、ディレクターのエベリンが、「『ヨシユキ』というのはどんな意味なの?」と聞いてきました。彼らは、日本人の名前には、何か意味があると思っていたのです。

私は、「Good Guy (良い奴)って意味です」と答えました。

すると、今度は、スーパーバイザーのフィリップが、「じゃあ、『コウゴ』というのは、どんな意味なんだい?」と聞いてきました。

私は、「『向後』は、Future(未来:これから先)という意味です」と答えました。

その時、私の中に、ピッとひらめくものがあったんです。

私は、続けました。

「だから、私の名前は、姓と名を併せると、”In the future I might be a good guy.(将来、いいやつになるかもしれない)”という意味になります」と、私が一発ジョークをかますと、エベリンもフィリップも腹を抱えて笑い出しました。

エベリンは、笑いすぎて涙を拭きながら、「じゃあ、今は、いい奴じゃないかもしれないのね?」と、私に聞いてきました。

私は、「だから、私を採用するのは、いい投資になりますよ」と答えたものです。

そのおかげかどうか、私は、RAMSに無事インターンとして採用されることになりました。「向後」という名前に救われたわけです。

(第25回おわり)

向後善之

日本トランスパーソナル学会事務局長

ハートコンシェルジュ カウンセラー