おじんカウンセラーのトホホ通信 その15 ナルシズムと組織崩壊(4)
【その15】ナルシズムと組織崩壊(4)
ナルシスティックな組織の暴走は、日本の近代史のなかでしばしば見受けられます。例えば、その典型例が、第2次世界大戦時の日本の軍部に見られます。
歴史の本を読むと、幕末から日露戦争あたりまでの日本と第二次世界大戦時の日本とに大きなギャップを感じてしまいます。明治初頭から日露戦争にかけての日本は、非常に現実的なのですが、第二次世界大戦時の日本の上層部は、きわめてナルシスティックです。
組織運営という観点から考えると、非常時における戦略にその違いがよく表れていると思うので、日露戦争と、第二次世界大戦時の日本の状況を比較してみたいと思います。
【全体的な方針、作戦】
<日露戦争>
・日本の政府、軍部ともに、日本の国力とロシアの国力の差を正確に見ていた。そのため、ロシアとの長期戦は絶対に避ける方針を当初から徹底していた。
・戦線を必要以上に拡大していない。
・独創的で有効な作戦が遂行された;日本海海戦における東郷平八郎によるT字戦法、203高地からの海軍砲を採用した旅順艦隊への攻撃他。
・明石元二郎を中心とした諜報活動およびロシア革命の扇動など、多角的な作戦を実行した。
・当時の外相の小村寿太郎は、国民から非難されても、講和条件を譲歩し、ロシアとの講和にこぎつけた。
・ただし、旅順攻囲戦においては、正面攻撃に固執しすぎたというまずい作戦がある。
<第二次世界大戦>
・日本の国力とアメリカの国力の差を認識していながら、ずるずると長期戦に移行してしまった。
・日中戦争を継続しながら、南方作戦で、戦線を無謀に拡大(西はインド、インドネシア、中部太平洋まで拡大)してしまった。
・本土攻撃がなされ勝利はあり得ない状況になっても、戦争を継続しようとした。
【技術】
<日露戦争>
・下瀬火薬など革新的な技術が開発され有効に適用された。
<第二次世界大戦>
・ゼロ戦は、卓越した技術の結集で、戦争開始当初は多大な成果をあげたが、戦争後半では、連合軍側に対ゼロ戦の対策が取られ、また、優秀なパイロットが多数戦死してしまった結果、特攻攻撃が実施されるに至った。
【軍事的観点から見た前線の兵隊の質】
<日露戦争>
勇敢であった。
<第二次世界大戦>
勇敢であった。
【物量、生産力】
<日露戦争>
ロシアに比べると長期的に戦争を続ける物資も生産力も不足していた。
<第二次世界大戦>
特にアメリカが参戦した場合を考えると、長期的に戦争を続ける物資も生産力も不足していた。
要は、物資が圧倒的に不足していたというディスアドバンテージを補い得る優秀な技術力と勇敢な兵隊という点は変わらないのですが、戦略面や作戦面では、日露戦争と、第二次世界大戦時では、雲泥の差があるということです。
日露戦争での日本のトップは、「己を知る」という謙虚さがあったのでしょう。それに対し、第二次世界大戦時は、素人の私でも、「なんで?」と疑問に持つ強引で傲慢な判断が多々見受けられます。
日露戦争では世界の教科書にも載るような戦いをした日本が、第二次世界大戦では、なぜ兵法では昔から禁忌とされていた兵力が劣っている場合の多方面作戦をしてしまったり、兵站(前線での戦闘力を維持するために、兵器、食料、燃料などを補給するなどの後方支援のこと)を軽視してしまったりしたのだろうと素朴に疑問に思います。
例えば、インドまで戦線を拡大してしまったインパール作戦などは、まったく理解しかねます。インパール作戦は、1944年に、連合国側から中国への補給線を破壊するために考えられた作戦です。作戦が提案された当初から日本側の補給線が伸びきってしまうなどの欠陥が指摘されていましたが、結局は、一部の幹部の意見が通り、強引に実行に移されてしまいました。食料は、荷物を運ぶためにいっしょに連れて行く牛や山羊を順次食べていくことで確保しようとしたらしいのですが、そうした食糧である家畜たちは、途中で崖から落ちたり、爆音に驚いて逃げたりしてしまって、役に立たなかったとのことで、案の定作戦は失敗に終り、3万人以上の日本側の戦死者を出すだけで終わりました。インパール作戦は、先ほどお話しした、禁忌とされる多方面作戦の一部であり、兵站をまったく軽視した作戦でした。
特に兵站については、地味ですが戦争においての最も重要な事項で、そんなことは、それこそ紀元前の中国の項羽と劉邦の戦いにおいても、すでに重要視されていたことです。ちなみに、私の考えでは、戦力的に優勢だった項羽が劉邦に負けたのは、項羽の軍の補給線が伸びきってしまったところに最大の敗因があったと考えています。
日露戦争のころまでは、日本の軍部は兵站を確保することに、しっかりと目を向けていました。日本海海戦の重要な目的の一つは、中国に上陸している日本軍に対する補給線を確保することでした。
ああ、それなのに!と思ってしまいます。日露戦争の頃の日本軍のトップと第二次世界大戦の日本軍のトップとでは、まったく質が違ってしまっています。もちろん第二次世界大戦中も有能な将校たちはいましたが、彼らの意見が中心的に採用されることはありませんでした。それよりも威勢のよい自己肥大化した意見の方が通りがよかったわけです。
個々の日本の兵隊の質も(少なくとも軍事上は)、ゼロ戦をはじめとする技術力も非常に優れていたと思います。しかし、生産力も劣るし物資も不足することが戦争開始時から明白だったのですから、アメリカと戦うなんてことを考えてはいけませんし、もし戦わざるを得なかったと主張するのであれば、徹底的に短期決戦にしなければなりません。
そうしたことは兵法の基礎ですからわかっていたはずだと思うのですが、結局は、トップたちの「自分たちは優れている」といった自己過信や、失敗の責任をとろうとしないプライドや自己正当化、特に後半戦争は明らかに負けているのに、「神州不滅」の主張の下に、その現実を認めようとしない否認の自我防衛機制やカテゴリーエラーなどの集団的なナルシズムによって、無視されていったのだと思います。
日露戦争時は、明治維新で開国した日本全体が、海外に追いつくべく努力をしていた時期であり、軍事的な戦略や戦術を海外から学びつつあった時期であるのに対し、第二次世界大戦時には、自分たちは一流であるという奢り高ぶりが表にあらわれてしまった結果、こうした差が出てきたのでしょう。
日本人は、目的が明確で、謙虚に物事を学ぼうとする姿勢があるとき、すごい力を発揮するのではないかと思います。明治維新後にあれだけ短期間に近代化をなしとげたことや、第二次世界大戦後の経済復興と成長は、だれにも予測できなかったような快挙です。そこには、勤勉さだけではなく、独創性の発揮もあるように思います。
ところが、安定しちゃうと、どうもいけません。第二次世界大戦時の体制だけでなく、その後数十年後のバブルの時代などにも、どうも傲慢な姿勢がプンプンします。
会社員時代、ちょうどバブルの真っ最中の時代に、私は、シカゴに出張に行ったのですが、そのとき、日本のサラリーマンとおぼしき40代ぐらいの集団が、「アメリカもたいしたことない」とか、「もう、アメリカから学ぶものなんてないね」などと声高に話していたのを聞いたことがあります。まったく増長していますね。
日本は、油断すると、「限りなき成長への邁進」→「No.2ナルシストの台頭と成長の限界」→「内部粛清と現実認識の欠如」→「リスキーシフト」→「組織崩壊」といった組織崩壊のプロセスを国家的にやってしまう傾向があるのではないかと、私は考えています。
今の日本は、「内部粛清と現実認識の欠如」あたりのところにいるんじゃないですかねぇ。派遣切りなんかは、まさに内部粛清ですし、恐慌とまで言われている世界的な不況に対して危機感のないスローな政府の対応などを見ていると、現実感覚が全く欠如していると言わざるを得ません。
「リスキーシフト」から「組織崩壊」に至らなければよいのですが・・。
次回は、こうした組織崩壊へのプロセスを食い止める方法はあるのかどうかについて考えてみたいと思います。
(第15回おわり)
向後善之
日本トランスパーソナル学会事務局長
ハートコンシェルジュ カウンセラー