おじんカウンセラーのトホホ通信 その8 スピリチュアルな問題?それとも・・

【その8】スピリチュアルな問題?それとも・・・

スピリチュアリティという言葉は、最近市民権を得ているようで、本屋に行ってもネットを見ても、スピリチュアリティという言葉を簡単に見つけることができます。

しかし、どうも「スピリチュアリティ」と言うと、なんだか霊が見えるとか、超能力があるとか、チャネリングができるとか、過去生がわかるとか・・、そういった概念で使われることが多いように見受けられます。先日も、「気が入っていて味が変わる水」というものを持っておられる方がいて、私が注文したタンタン麺にふりかけていただいたのですが、なにしろスパイシーなタンタン麺に、鈍感な私の舌では、さっぱりその違いがわかりませんでした。

本来スピリチュアリティというのは、「すべての存在にかかわる何らかの力」を意味し、神秘体験を意味するものではないと、私は、考えます。私は、神秘体験を否定はしませんが、そうした体験があったとしても、それと人の心の成長とは、まったく別のトラックにあると思っています。ですから、「神秘体験は、スピリチュアルな成長があった証拠」と考えるのは違うと思います。

アメリカでは、「精神疾患の分類と診断の手引」という診断基準をまとめたものがあって、通称「DSM」と呼ばれています。この第4版から、「宗教または、スピリチュアルな問題(日本語版では、『宗教または神の問題』と訳されています)」という項目が加えられました。これは、従来気分障害、不安障害、精神病などの精神疾患に分類されていた症状の中で、宗教やスピリチュアルなテーマを持つものを別個分類したというものです。

 「宗教または、スピリチュアルな問題」というカテゴリーが登場したのは、たとえさまざまな精神疾患が、なんらかのトラウマやストレスなどがきっかけで発症したとしても、その本質が、人が生きるというのは何なのかという実存的なテーマにまで至る場合があるのではないかという臨床の現場からの声を反映したものです。「宗教または、スピリチュアルな問題」には、宗教的な信仰を失うこと侵攻に対する疑問、新しい信仰への転換に付随する問題、または神の価値に対する疑問、などに関連した体験が該当するとされています。

 一方、「宗教または、スピリチュアルな問題」と似たカテゴリーとして、「人生の局面の問題」というカテゴリーがあります。このカテゴリーは、入学、退学、就職、結婚、離婚、退職など、人生の節目や発達段階に関連したテーマを持つ場合に分類されます。

 「宗教または、スピリチュアルな問題」にしても、「人生の局面の問題」にしても、その背景には、「さまざまな精神疾患と呼ばれるものの中には、単に病気という視点でとらえるのではなく、精神的な成長の過程での混乱と言う視点でとらえた方がよいのではないか」という考え方があります。ですから、これらのカテゴリーは、臨床関与の対象とはなるものの、精神疾患として分類されたものではありません。もちろん、精神疾患を伴う場合があるわけですが、その場合には、診断書には、該当する精神疾患と併記されることになります。

 例えば、大学に進学したけれど、学校になじめずパニック症状が出て、不登校になった場合などは、「パニック障害」と診断されると共に、「人生の局面の問題」が併記されます。また、深い瞑想のトレーニングを行っていたら、神と悪魔の声の幻聴が聞こえるようになったなどという場合は、なんらかの精神病が診断され、「宗教または、スピリチュアルな問題」と併記されます。また、上記ふたつの例で、精神疾患のカテゴリーにあてはまるほどではない場合には、単に「人生の局面の問題」あるいは、「宗教または、スピリチュアルな問題」と記すのが、アメリカの診断ルールです。

 私は、こうした精神疾患や精神疾患的な状況を、精神的な成長の過程での混乱と捉えています。実際に、重いうつや精神病でさえも、そこから回復したとき、大きな精神的な成長がある場合は少なくないですからね。

 ただ、「宗教または、スピリチュアルな問題」と、「人生の局面の問題」を、わざわざ分ける必要もないと思うんですね。私は、「宗教または、スピリチュアルな問題」は、全て「人生の局面の問題」に統合してしまうか、ふたつとも、「価値観、世界観が変わるときの問題」というカテゴリーにしてしまえばよいと思います。人生の局面において壁にぶちあたり、宗教または、スピリチュアルな問題が浮上してくることもよくあることですからね。

 なぜ、こんなことにこだわるかと言うと、「宗教または、スピリチュアルな問題」としてしまうことが、逆に状況を停滞させる、あるいは、悪化させる可能性があると思うからです。自分のテーマを、「宗教または、スピリチュアルな問題」と冷静に認識すること自体は、特に問題はないと思いますが、それが、妙な特権意識にまでなってしまう場合があるんですね。

 例えば、「背後霊が見えるから、私は、普通の人ではなく、選ばれた人間だ」といった、スピリチュアルなエリート主義に陥ってしまう人がいます。「宗教または、スピリチュアルな問題」と定義することによって、そうしたスピリチュアルなエリート主義を後押ししてしまう可能性があると思うんです。そうなっちゃうと、まずいよなぁと思います。

向後善之

 

日本トランスパーソナル学会 事務局長

ハートコンシェルジュ カウンセラー