おじんカウンセラーのトホホ通信 その1 嵐を呼ぶ男

【その1】トホホな自己紹介(1)・・嵐を呼ぶ男
えー、みなさま、はじめまして。
おじんカウンセラーのトホホ通信(略して「トホ通」)執筆担当の向後でございます。
向後と書いて、「こうご」と読みます。
幼少期は、よくからかわれました。「後ろ向きなヤツ」ってね。

でも、広辞苑を見てください。「向後」という言葉の意味は、「これから先」ということになります。

私の名前は、「向後善之」ですから、姓名をあわせると、「これから先、良い奴になる・・かもしれない」という意味になります。「じゃあ、今は、良い奴じゃないんだね?」って突っ込まれそうですね。

私は、1957年1月神奈川県の川崎生まれの、52歳・・もはや、まぎれもなくしっかりとオジンです。
現在、日本トランスパーソナル学会の事務局長をしてます。

と、ここまで書いて、今日は、ちょっと、父が今の私の年齢よりちょっと若かった頃の私とのエピソードを書くことにしました。

父は、高品格という芸名の俳優です。他界してから、もう15年になります。
私が幼少のころ、父は、日活映画に出演していました。石原裕次郎さんの映画などには、たいてい悪役で出ていたですね。それも、まあ、とっても悪い役で・・・。当時は、町中には、いたるところに映画のポスターがあって、日活映画のポスターの端っこのところに、父がそれこそ極悪非道な様子で写っておりました。

私が5歳の時のことです。
父が突然、私を映画に連れて行ってくれました。映画に行くのも、もちろん父とふたりだけで映画を見るのも初めての体験でした。石原裕次郎さんの「嵐を呼ぶ男」という映画です。当時、石原裕次郎さんは、現在のキムタクとヨンさまを足して3倍ぐらいにした人気がありましたので、映画館の前は、リバイバル上演なのに、開場を待つお客さんで長い列ができていました。

ところが、私たちはその列に並ばないですんだのです。出演者通用門みたいなのがあって、長い列の横を、するっと抜けて、父と私は映画館に入っていきました。みんなが見ているので気恥ずかしかったのですが、ちょっと得意な気持ちもありました。

映画館は、私たちが席に着いたときにはもうお客さんがたくさんいて、すぐに満員になり、立ち見も出る状況になりました。昭和30年代のことですから、映画は娯楽の王様だったんですね。映画が始まる前から、お客さんの熱気が私たちの席まで伝わってきました。中には、ほろ酔い加減で映画を見に来ていた人もいました。その中のひとりが、映画が始まる前から大きな声でしゃべっていたのを思い出します。

父と私は、ちょうど真ん中の指定席に座っていました。私にとっても映画館で映画を観るのは初めての体験だったので、映画が始まる前から、ワクワクしていました。

ところが・・
映画が始まると、人間の心理として、どうしても主人公に同一化してしまうんですね。私は、当然のごとく、石原裕次郎さんに同一化するわけです。「オイラは、ドラマー」ってわけです。
そして、父は、映画の中で石原裕次郎さんと敵対し、いじめる役でした。なにしろ、父は、映画俳優をやる前はボクサーだったものですから、その特技を生かして、なにしろ悪い役を演じていました。
一方、私は、石原裕次郎さんに同一化しています。しかし、横を見ると、あの「悪い奴」がいるわけです。なんとも困った状況でした。

「嵐を呼ぶ男」の中盤の見せ場は、石原裕次郎さんが悪役どもに襲われ、レンガでドラマーとしては最も大切な手をつぶされるというシーンです。
その手をつぶす役が、なっなんと、私の父だったんです。「うゎっ、なんてことを・・」と、裕次郎さんに同一化している私は、隣に座っている父にうらみのこもった目を向けました。
その時のことだったと思います。
観客の中でほろ酔い加減だった人が突然、「悪い!」と叫びました。嫌な予感がしました。そして、その後、彼は、さらにもう一言付け加えました。

「高品が悪い!」って言ったのです。

私は生きた心地がしませんでした。「皆さま、申し訳ございません」なんて思っちゃったんですね。もう、その後は、映画どころじゃありません。

映画が終わり、外に出ると、皆さん興奮した面持ちで、しかも、皆さん石原裕次郎さんになっているんです。その中を私と父は帰って行ったのですが、私は、「いやー、あのー、この高品格さんという方と歩いているように見えるかもしれませんが、僕はたまたまここに来た通りすがりの者で、たまたま同じ方向を歩いているにすぎず・・」なんて心の中で言い訳しながら父の後ろをちょっと離れて歩いて帰りました。本当は、皆さん、「あっ、あの悪役だ!」なんて言いながら、普通にこっちを見ていたんでしょうね。

よく皆さんに、「お父さんが役者さんだったのに、なんで、そっちの道に行かなかったの?」と、聞かれます。でも、最初の映画体験が、これじゃあねぇー。私は、まったく役者になろうなんてことは、思いませんでした。

父がなんで、「嵐を呼ぶ男」に、僕を連れて行ったんだろうと、当時は思っていたのですが、今にしてみれば、あの映画の中の悪役は、父にとっては、快心のできだったのでしょうね。

今、ビデオで「嵐を呼ぶ男」を観ると、父は、なかなか迫力のある悪役です。父も、自分の最高の演技を長男の私にわかってもらいたかったんでしょうね。でも、幼稚園でしたからね、「いくらなんでも、ちょっと早すぎだよ、オヤジ」と言いたいです。普通、最初の映画っていうのは、ディズニーかなんかですからね。

今でも、「嵐を呼ぶ男」のカラオケには、父が裕次郎さんに殴りかかるシーンが出てきます。さすが、元ボクサー、いいパンチをしております。

それにしても、自己紹介と言ったって、まだ幼稚園です。こりゃぁ、長―い自己紹介になりそうですね。
(第1回おわり)

向後善之 日本トランスパーソナル学会事務局長