おじんカウンセラーのトホホ通信 その4 かたつむり博士

こんにちは。「トホ通」の向後です。今回は、再び「長―い自己紹介」の続きです。

 

私は、幼稚園卒業までは、「第1回嵐を呼ぶ男」でご紹介させていただいたようなトラウマ??がありながらも、順調に過ごしてきたのですが、小学校に入学したとたん、ずっこけてしまいました。

 

小学校入学直前に、私は、知能検査を受けさせられました。普通学級でちゃんとやれるかどうかの判定するテストだったようです。

 

そもそも、その頃の私には、椅子の上にきちんと座っているなんて習慣はありませんでしたし、なんでこんなつまらないものをやらなきゃいけないのか不満たらたらで、「もっと面白いことしようよ~」などと言うたびに、「遊びたいのはわかるけど、今は、これをやりましょうね~」などと先生になだめられながら、しぶしぶ私はその試験を受けました。

 

そのつまらない試験が、俄然面白くなった瞬間がありました。試験問題の中に5匹のかたつむりを見つけたときです。私は、虫好き少年でありました。かたつむりは、私の得意分野です。私は、「あっ、かたつむりだ!」と叫びました。

 

もう知能検査なんてそっちのけです。私は、「あっ、またこの子か」という表情でやってきた眼鏡をかけた女の先生に、かたつむりの説明を始めてしまいました。かたつむりは、生まれたとき透明であるとか、かたつむりはどんなものを食べるのかとか、なんとカミソリの上を怪我もせずに歩くことができるとか、私の話はとどまるところを知りません。先生は、一生懸命私にテストを受けさせようとするのですが、なかなか私のかたつむり話を止めることができませんでした。

 

先生の努力の結果、ふたたび私は試験に取り組み始めるのですが、もう興味を失ったのか、まったくやる気を見せず、だらだらしているうちに時間になってしまいました。当然私のテストの結果はさんたんたるものだったようで、ずっと後で成人になってから母から聞いた話では、私は、普通学級に進めるぎりぎりの成績だったそうです。母は、入学前に先生から呼び出されたみたいですね。何を話していたのだかはわかりませんが・・。まあ、私は、最初から、「要注意生徒」になってしまったわけです。

 

なんとか普通のクラスに入ることはできたのですが、なにしろ私は、授業中あちらこちらに注意が向いて、先生のお話に集中できないし、15分以上座っていることができずに騒ぎ出すし、突然大声で笑い出し、しかも、その笑いが止まらないし、興味がないと机の下に隠れて出てこないし、整理整頓がまったくできない・・・、といった状況でした。今でも覚えていますが、10分ぐらい座っているとおしりがむずむずしてきて、15分でそのむずむずが限界に達してしまうのです。そうなると何かやらかしていたんでしょうね。

 

今でしたら、私は、ADHD(注意欠陥/多動性障害)と診断されてしまうかもしれません。

ADHDとは、集中困難・過活動・不注意などの症状が顕著な場合に診断される発達障害で通常7歳までに確認されると言われています。

 

まあ、要するに、私は問題児でした。こんな状態でしたので、母は、何度も学校に呼び出され、憔悴しきっていたようです。私はといえば、そんな母の苦労も知らず、毎日のように両手に水の入ったバケツを持って廊下に立たされていました。私にとっては、教室にいるより廊下で立っている方が、気楽でしたけどね。

 

そんな状態でしたから、先生も大変だったと思います。

 

今の時代、私みたいな生徒がいたらどうなるんだろうと思います。おそらく私は、入学早々にADHDと疑われ、専門医に診察を受け、リタリンを処方され、親は専門医からADHDの説明を受け・・・などということになっていたかもしれません。担任の先生は、発達障害の勉強会に出て、ADHDの子供にどうやって対応したらよいかを学び、親との面談では、「ADHDと共に生きていく」というテーマが重々しく話し合われるかもしれません。

親は、私の将来を不安に思い、また、私にどのように対応したらよいか常に自分の言動に注意を払うようになるかもしれません。その不安と緊張は、当然私に伝わり、私自身の中では、不安は恐怖に、恐怖はパニックにまで高まり、行動はますます不安定なものになってしまったのではないかと思います。

 

幸い、私の小学校時代は、昭和30年代から40年代でしたから、ADHDなどという言葉もなく、先生に怒られながらも、他の生徒といっしょに過ごすことができ、特別扱いはされませんでした。

 

私の記憶では、その後も相変わらず注意力散漫だったものの、小学校4年生ぐらいになると、50分の授業にはなんとか耐えられるようになり、小学校6年生ぐらいになると、だいぶまっとうな子供(自己評価では)になったように思います。まっとうとは言え、時には、当時はやっていたベーゴマに夢中になり、授業が始まったのに気付かなかったなんてことはありましたが・・。中学時代を経て、高校生ともなると、ごく普通になり(同じく、自己評価による)、今では、こんなに立派な大人(再び、自己評価による)になりました。

 

現在の専門家の方々(精神科医や、心理学者や、カウンセラーなど)は、「ADHDなどの発達障害に、どう対応し、サポートしていったらよいのか」などを、さかんに議論していらっしゃるのですが、それはそれで重要なことだと思いますが、勝手に治ってしまう例も少なくないんじゃないかと思います。ですから、勝手に治ってしまう子供たちをどのように見極めるかって議論も必要なのかなと思います。

 

とは言え、今でも私は、ひとところに座っているのが苦手なようで・・。

 

先日、とある講演会に行ってきたのですが、正直退屈で、座っているのも苦痛でモゾモゾしていたのですが、もはやADHDを卒業した私は、その苦痛にも耐え、なんとか午前中の講演はおとなしく聞くことができました。我ながらエライ!

 

あまりに退屈だったので、午前中で帰ってしまおうと思ったのですが、後半は面白くなるだろうと期待し、意を決して、昼食後に会場にもどり、午後の部にも参加しました。

 

ところが・・・、午後一番の講演が、また退屈で・・・。講演者の先生が、小声でぼそぼそと原稿を読まれるのです。その声が、ちょうど私を眠りに誘うような波長だったのか、私は、午後の部開始後10分で深い眠りに落ちました。

 

その心地よい眠りは、激しい騒音によって破られました。私が驚いて目を覚ますと、周りの人たちが、なぜか皆険しい顔をして私のことを見ています。「何が起こったのだろう?」と当惑したのですが、さすが客観的に自分を見つめることのできるカウンセラーである私(再度自己評価による)は、事態を瞬時に把握することができました。

 

激しい騒音の正体は、私のいびきだったのですね。参加者の皆さまに申し訳ないので、午後最初の休み時間で、退散させていただきました。

・・んー、まだまだ修行が足りません。

(第4回おわり)

向後善之(日本トランスパーソナル学会事務局長)