特別寄稿:祖母の死がもたらしてくれた太陽と月の結婚
特別寄稿
「祖母の死がもたらしてくれた太陽と月の結婚」
波多野 毅
(寺子屋TAO塾代表・食育エコロジスト)
私の、「マクロビオティック」の講演を聴いて下さった李栄子さんのお声かけで、日本トランスパーソナル学会のニュースレターに文章を書かせていただくご縁を頂いたことを心から感謝しています。偶然を装う人との出会いや出来事の背後に働いている「大いなる計らい」「ひとつらなりのいのちの大河」の流れの上に授かった貴重な機会に感じています。
遠くを探すことはない 後ろをふりむくこともない
めぐりあいは偶然の風の中 自分らしく自分を生きたら出会えるはずさ
めぐりあいは偶然の風の中 自分らしく自分を生きたら闇は消えて朝が来る
まわりにあわせることはない 君が君になればいい
めぐりあいは神様の贈りもの 心開いて今を生きたら出会えるはずさ
めぐりあいは神様の贈りもの 心開いて今を生きたら雪はとけて春は来る
(波多野毅作詞『緑の風のインスピレーション』より)
私にとっての「気づき」の原点は、愛する祖母の死でした。無学の老婆でしたが、人の喜びを我が喜びとし、人の悲しみを我が事のように悲しむ一点に長けた深い情の人でした。
「病室の 真白き中に 響きける 音なき音の 点滴の粒」
今から、約20年前に祖母の看病をしながら作った短歌です。無機質な病室の中、身体じゅうにチューブやセンサーを取り付けられ「スパゲティ症候群」状態で死んでいく祖母の姿を見て身を切るような辛さを感じました。
祖母が亡くなった1987年に、奇遇にも日本ホリスティック医学協会(ホリ協)が設立され、知人が協会の理事をしていたこともあって運営委員になりました。トランスパーソナル心理学と出会ったのもそのお陰です。協会の主催するシンポジウムで、統合医療の世界的な権威であるアリゾナ大学のアンドルー・ワイル教授の講演を聞く機会がありました。博士は、現代医療に警鐘を鳴らすとともに、健康を「からだ全体のバランス」と考え、薬漬けでなく人間が自らもっている自然治癒力をいかに高めるかが大切であると力説しました。私は感動しながら雲の上の人として博士を見つめていました。まさかその後、彼の著書「太陽と月の結婚」が、私を変性意識体験へ導き、20年後の一昨年には、我が故郷小国で博士と再会できることなど、その時は知る由もありませんでした。
私は、大学卒業後、信州諏訪の教育者、堀田 俊夫氏の経営する私塾「学育塾」に就職していました。彼は、教師が「教え・育てる」教育でなく、生徒自らが主体となって自主的に「学び・育つ」学育の精神を培う土壌作りこそ教育の根本と唱えました。ホリ協との出会いにより、医療もまた、安易に医者・病院に「おすがり」してしまうのではなく、患者自身の中にある自己治癒力を知り、医療の主役が自分なのだという自覚を持った上で専門家の意見や技術の手を借りるという姿勢が大事であることを知りました。社会学者のイヴァン・イリイチが指摘したように、産業化社会の中で制度化された学校や病院で供給される教育や医療は、時に生徒や患者の依存性を助長しかねません。学びや癒しを受身でなく、「己こそ己のよるべ」と自覚する姿勢が大切だと学びました。
その後、ホリ協理事の人達との交流の中で、鍼灸専門学校に通うことになりました。そして、東洋医学研究の中、医食同源に興味を持ち東洋の食医学マクロビオティックに出会ったのです。禅や老荘といった東洋哲学にはずっと興味がありましたが、この頃から、トランスパーソナル心理学やディープエコロジーと融合して、「私の癒し」「世界の癒し」「地球の癒し」とを不可分なものとして感じるようになり、自己探求と社会変革そしてエコロジーを三位一体と理解するようになりました。
鍼灸指圧の資格を取った後、マクロビオティックを世界に広めた久司 道夫氏が創設した米国のKushi Institute(KI)に留学しました。現在、私のKI同窓の仲間達が歌手のマドンナや俳優トム・クルーズの専属シェフを務めています。在学中、マクロビオティックの創始者、桜沢 如一もリスペクトしたヘンリー・D・ソローが、「森の生活」をしたウォールデン湖を訪ねました。ソローの墓に参った後、彼の住んだ森の小屋跡で、小鳥のさえずりや風の音に耳を澄ませ、森の柔らかい香りの中で、自然と共に生きた彼の生活を夢想してしばし瞑想しました。深く深く森に溶けいっていくようでした。彼の思想は多くの小説を生み、今もなお沢山の人々に読み継がれています。ガンジーやトルストイなどにも大きな影響を与えました。彼らの食もまたソローにならい、自然でシンプルな「足るを知る」ものでした。不思議なことに、気がつくとウォールデン湖を訪ねたその日は、ちょうど私の31歳の誕生日でした。
見上げれば白い雲 青空さして鳥が飛ぶ 森のこずえソローの調べ
孤独の中に光さして 僕の想いをはるかに超えて ウォルデンポンドに朝が来る
ふかれる雲のように身をまかせ 流れる雲のように身をゆだね
時を超え 言葉を超える 扉開いた
見上げればカシオペア 天の川に流れ星 森にとけるソローの調べ
沈黙の中に光さして 僕の身体をはるかに超えて ウォルデンポンドの夜はゆく
(波多野毅作詞『WALDEN』〜ソローの調べ)
米国留学後、欧州無銭旅行をして再びKIに戻るつもりでいました。旅の終わり頃、スペインで夕陽を眺めながらふと故郷を思い出しました。私は子供の頃、生まれ育った阿蘇「小国町」の名前が嫌いでした。なんとセコい名前なんだろうと。時は「大きいことはいいことだ」の時代、私は夢と自由の青い鳥を求めて大都市東京、大国アメリカへ移り住みました。水平線に沈むオレンジ色に輝く夕陽を眺めていると、ふと不思議な感覚になってきました。丸い太陽が地球に感じられ、それをあたかもグーグルマップをクリックしていくように、アジア→日本→九州→熊本→阿蘇→小国と次々とクローズアップしていくイメージが湧いたのです。都会に住む友人から「阿蘇はいいなぁ、美味しい空気と水、豊かな緑に囲まれて」と言われても、それが当たり前の所に住んでいると有難味がなかったのでした。遠い異国の地で、日本や阿蘇の悠久の歴史とこれからアジアの時代に向けた地理的な視点において九州・阿蘇の可能性の面白さを直感的に感じたのでした。そして、故郷小国町を地球の一点として、自然とともに自分らしく生きる創造的活動の拠点として選ぶことにしたのです。「青い鳥」は意外にも足元にいたのでした。
今、私は「小国」の名を誇らしく感じています。その名からスモールイズビューティフルの独立した理想的なコミュニティを連想できるではありませんか。急速にグローバル化していく現代社会、日々より強いものが弱いものを駆逐していっています。世界的な環境破壊と巨大な金融システムの影響は例えそれが阿蘇の田舎であってもヒマラヤの奥地であっても避けられない時代。人と人のつながりは経済至上主義の大波に断ち切られています。しかし、これからはスモール、シンプル、スローの3Sの時代。健康と環境に大きな負荷を与える巨大サイクルでなく、顔の見える範囲での地域循環型こそ持続可能な社会への鍵だと感じています。老子道徳経第八十章「小国寡民」は、あたかも来るべき未来社会を暗示しているかのようです。
祖母の旅立ちから20年後、まさかタイムズ誌の表紙にもなったワイル博士が私が主宰するTAO塾にくる事など夢にも思いませんでした。博士が心身医学関係の学会基調講演の後、プライベートで阿蘇に来られる事になり、日本の伝統料理を提供する仕事をもらったのです。博士にはTAO塾のSelf learning & Self healingのコンセプトに 共感していただき、大きな励ましを頂きました。南小国町の縄文の遺跡「押戸石山」を案内し、そこでTAO特製菊芋入りマクロビオティックランチを食べて頂きました。私が、阿蘇のカルデラや巨石の配列、岩に刻まれたシュメール古拙文字ペトログラフの解説をすると、「It’s a JOMON world!」と博士が叫びました。なんと縄文という言葉をご存知だったのです。
縄文時代は、かつては未開で野蛮な人々が暮らしていた時代という認識でしたが、自然と共生する英知を持ち、数万年以上続いた「持続可能な社会」だったのかもしれません。ミャンマーの森を再生した仏教エコロジストや、オーストラリアのディープエコロジスト、最近では「女性原理」の時代へむけて現代の女神と思える人達などがTAO塾を訪れ、私が縄文の聖地「押戸石山」に案内する機会が急増しています。
資本主義、市場経済、拝金思想が生んだ環境破壊、金融システムの崩壊は、今後国家破綻をもうんでいくような勢いですが、我々を取り巻く現象の世界は、我々の心の内面の投射の世界です。環境破壊も戦争も究極的には我々の意識が生んだのだと思います。世界平和をいくら願っても、自他を別々に観る意識では結局はエゴを守ろうとする想いに操られるでしょう。全ての責任を自らに見出す「我が事」の意識こそ、「奪い合い・争い合い」の世界から「与え合い・分ち合い」の世界への鍵に思います。
寺子屋TAO塾では、平和の根本であるこの自他一体の理の感得と、自然の法則に調和する生き方を医・食・農の実践の中で学んでいます。漢方でいう「医食同源」を一歩進め、心身の健康の基本は、食であり、その食を支えるのが農であると「医食農同源」をコンセプトにしています。農が誤れば食が歪み、食が乱れれば身体が歪みます。バランスを壊した心身の状態では決して平和な社会は実現しないのです。その意味において、農=土は平和の礎といえます。縄文の大地でノイズを浄化し、心身のチューニングを試み、「小国」を冠するムラで来るべき共生社会のコミュニティを描いていきたいと思っています。宇宙の奇跡とも言える月と太陽がみかけ同じ大きさに見える、太陽と月が結婚した星=地球。陰陽、顕幽に遊べるエピキュリアンタオイストこそ、その住人に相応しいのかもしれません。
故郷はなれ雲に乗り 自由な空を探してた 遠い異国の一人旅 赤い夕陽が教えてくれた
今ここに出会う出来事 一つ一つに 何より尊い意味がある
大いなる時間の流れのその中で ささやかな人生だけど ほとばしる情熱に
精一杯自分をかけて 生きていこう 大いなる銀河の流れのその中で
子供の頃に風になり 虹の源追いかけた 阿蘇の大地に一人立ち 野に咲く花が教えてくれた
目を閉じて耳を澄ませば 聞こえてくるよ 宇宙を奏でるメロディが
大いなる時間の流れのその中で ちっぽけな人生だけど 何気ないヒトコマに
さりげない愛を感じて 生きていこう 大いなる銀河の流れのその中で
(波多野毅作詞『大いなる銀河のその中で』より)
プロフィール:波多野毅(はたの たけし)寺子屋TAO塾代表・食育エコロジスト
1962年、熊本県阿蘇郡小国町生まれ。法政大学社会学部卒業後、信州諏訪の学育塾にて堀田俊夫氏の下でKJ法などを研鑽。祖母の死がきっかけで東洋医学・ホリスティック医学に興味を持ち、東洋鍼灸専門学校にて鍼灸指圧の資格を取得。その間、日本CI協会、大阪正食協会にてマクロビオティックを学び、南無の会にて松原 泰道師らに仏教を学ぶ。1993〜1994年アメリカのKushi Instituteに留学しスタッフとして働く。 帰国後、故郷小国町に「TAO塾」を創設。寺子屋塾の仕事の傍ら、時に鍬、時にペンを持つ生活。 教育・健康・環境に関する様々なプロジェクトを推進しながら、国内外の研修生を数多く受け入れている。その活動は辻信一著「カルチャークリエイティブ〜新しい世界を作る52人」(ソトコト新書)やNHK金曜リポートLOHAS特集などで紹介された。現在、NPO法人パーマカルチャーネットワーク九州理事、熊本県地球温暖化防止活動推進センター理事。 著書に「医食農同源の論理〜ひとつつらなりのいのち」(南方新社)などがある。モットーは「阿蘇びをせんとや生まれけむ!」