おじんカウンセラーのトホホ通信 その22 吉福伸逸氏インタビュー(3)

【その22吉福氏インタビュー(3)】

吉福

(クライアントさんを)操作する必要は全然ない。例えば僕が攻撃的な方と対応しているとして、相手の人が、ぎゃーぎゃー非難し始めたとしますよね。僕はまず一言も弁解もしないですよね。

向後

弁解しないっていうのは、そうですよね。

吉福

一言も弁解せず、ただ相手のぎゃーぎゃー言ってくる、言葉が立ち上がってくる場を作るわけですよね。そういう僕もいるから。で、僕の中では「こっちの勝手でしょ」っていうのがあって。「それが影響を与えるとしたら、あなたも私に影響与えてるんですよ、お互い様でしょ」と。言葉にはしないけど。

向後

そのことが、何もしなくてもだんだん伝わっていくわけですね。

吉福

言葉にする必要はないんだよね。過剰反応さえしなければ。そういうことを僕は言っているわけですよ、「何もしない」こと。

向後

「道場に座る」ってやつですね。

吉福

「道場」っていうのは命の原点ですから、人全てがいるところなのね。道場にさえ座ってしまえば、相手がどう反応しようとも、暴れまくろうとも、何しようとも、こっちが道場から出て行かなければ、もう、確実に伝わります。

向後

確実に変わっていくんですよね。

吉福

変化が相手の中に起こってきますね。

向後

最悪なのはね、乗っかっちゃうことですよね。

吉福

そういった人が展開する世界を、僕は「メロドラマ」と呼ぶんですよ。メロドラマをね、ただただ冷静に見つめているんですよ。

向後

どういうことですか?

吉福

メロドラマっていうのは、ドラマティックなんですよ、だいたい。いろんなことが起こるんですよ。

向後

そうか、わかりました。例えば、「私は傷つけられた被害者だ。だから、人を救う職業に携わるセラピストは、自己犠牲をしてまで、私を助けなければならない」というのが、その人のメロドラマなんですね。

吉福

そう。本当はそういう人だけではないですよ。世の中全ての人、ほぼ。

向後

そうですね。

吉福

テレビなんか出ている人も全部含めて。全部自分のメロドラマを展開している。メロドラマは、それはドラマティックで面白いかもしれないけど、そんな事には目を向けず、奥底に沈潜している静かな所に目を向けておくと、気が付いていく人もいますよね。

向後

そうですね。メロドラマの根底には、なにかもっと、修飾されていない情動があるわけですね。例えば、先ほど僕が挙げた例では、表層の「私は、被害者だうんぬん・・」という内容の奥底に、深い悲しみがあるかもしれないし、「私をちゃんと受け入れて」という無条件の愛を求める気持ちがあるかもしれない。それなのに、逆にこっちが慌てちゃって、表層のメロドラマの内容に乗っちゃって、「そうだ、セラピストだからこの人を何とかしなきゃ」と思い、しかし、どうしてよいかわからず、どんなアプローチもうまくいかず、あげくのはてに、そのクライアントさんが「死にたい」って言ったら、「どうしよう、どうしよう」ってセラピストがパニックになってしまったりすると、もう収集つかなくなっちゃいますね。

吉福

収集つかないよね。それを求めてるんだもん、相手が。あなたの前でメロドラマを展開するというのは、あなたにその役の1つをやってほしいんですよ。

向後

彼らは、でも、メロドラマしか見えていないんですよね。

吉福

そうだよ。セラピストの大半もメロドラマしか知らないよ(笑)。

向後

そうですね・・・たぶんそう思います(笑)。

吉福

だから僕、良く言うんです。「メロドラマをやるのはいいんだけど、主役は降りてくれ」と。

主役でいたら、「You’re the target」になるんですよ。だから、主役は降りて下さいって言うんですよ。

向後

それは、セラピストも、でしょ?

吉福

僕全然、クライアントとセラピストを区別してないんですよ。人間全ての事を言ってるの。

向後

人間全てですか。わかりました。

吉福

人全てのことを言ってて、それをセラピーに適応していくとどういうことになるかというと、クライアントの方は確実にメロドラマを演じてるわけですよ、自分が主役のメロドラマを。わかりますよね、それ?

向後

すごく良くわかります。

吉福

自分で主役のメロドラマを演じているのを、どういうふうに展開していくかというと、主役からサブに移り、サブから端役に移り、端役から通行人に変わり、最終的にはメロドラマの脚本家になっていく。脚本家の立場に置いていただければ、メロドラマは放っておいても終演していきます。その人を中心としたメロドラマはね。

向後

そうですね、脚本家ですね。

吉福

全体像を見るということですね。Script writer(脚本家)になる。Script writerになれば、いかにそのメロドラマがつまらないドラマだったのか、それから、どのメロドラマも同じ筋書きだってことが分かってくるわけですよ(笑)

向後

石原裕次郎(映画俳優;数々の映画に主演)が、まずは高品格(映画俳優;脇役が多い)になって、最後には鈴木清順(映画監督)になるってことですね(笑)。

吉福

そうそう、まず最初は高品格さんになって(笑)。 実感のある言葉ですね。伝わるよね、今のでね?

向後

伝わると思います。

吉福

だから、病理的な人の話では、全然ないんですよ。

向後

それで、逆のことが起こってるような気がするんですよね、日本のセラピーの現状を見てると。いわゆる、Co-miserate(用語解説1参照)っていうかね、お互いみじめになるっていうか。「私たちかわいそうよね」「そうよね、かわいそうよね」のところで、メロドラマが増殖していくようなところが・・・。

吉福

そうだよね、要するに、なんでも受け入れてウンウンって言うの、アクティブリスニングってそういうの、やめましょうよって。

向後

そうですね。本当に思っていないのに、「ウンウン」は、最悪ですね。

吉福

そんなことをやっているとね、やりながら同時に、今おっしゃった「互いがmiserable(みじめ)になっていく」っていう世界を作っていきますからね。

向後

そうですね。どんどん、どんどんドラマの中に入って行ってね。見てるとね、気持ち悪くなっちゃうんですよ(笑) 。こんなこと言ったらヤバイかなと思うんですが(笑)。

吉福

わかります、その通りだと思いますよ。よく僕向後さんに言ってるじゃないですか、ドラマの内容は関係ないんだって。プロセスとコンテクストですよって。以前のセッションでもあったじゃないですか。参加者の人がパニックになって倒れた時、僕は、まったく無反応だったでしょ、僕。あれなんですよ。

向後

僕らは、焦りましたけどね、倒れた時。

吉福

僕何とも思わなかったんだよね。それなんですよ。

向後

そこはね、あの時ものすごく学びましたね。ああ、そうだと思ったんですよ。要するに、あそこで僕の中で起こっていたのは「あ、なんとかしなくちゃいけない」。

吉福

ケガしているかもしれないし、と思ったわけですよね。しょうがないじゃない、そんなケガしたって、本人が自分でやったことなんだから。

向後

まあ、そうなんですけど(笑)。結果的に僕がやっていることは何もならなかったわけなんですよ、クライアントさんに。だいたい、あとから思い出してみれば、その方は、ちゃんと受け身の姿勢で倒れているわけで、けがのしようがない・・。ところが、僕らときたら、「あぁどうしたんだろう、大丈夫だろうか」って、焦ってるわけなんですよね。

吉福

内容に反応したんだよね。

向後

そうなんですよね。

吉福

それはプロセスが勝手に展開してたんですから。僕の反応を見てたらわかるでしょ、ほぼ微動だにしないでしょ。

向後

動いてたのは周りだけで、がちゃがちゃと。

吉福

それを見せようとしてやってたわけ。これが1人のセラピストの中で起こらなきゃいけないことですよ、って。根っこで。

向後

そうですね、あれは深かったですよね、非常にね。いや、いろいろ気づきましたよ、あれは本当に。自分の中の繰り返している傾向に気づきました。「なんとかしなきゃ」っていう過剰介入の傾向にね。

吉福

セラピスト対象のセッションなんかで、そういうことがあったりすると、自分が失敗したことで、あたふたして、後で言い訳しに来る人もいるけど、相手にもしないよ。

向後

あぁ、そうなんですか。

吉福

僕はほら、評価しないから、いちいち。

向後

そうですよね。ちゃちゃは、入れますけどね(笑)

吉福

ああ、それはもちろんね(笑)。こっちの機嫌が悪かったりするとね(笑)。

向後

あれはすごく勉強になったというか、パッと世界が変わったような体験で。

いかに動かないのが大事か、っていうのがね、実感できました。

吉福

僕、時々言うじゃないですか、「目の前で殺し合いが起こっても動かない」って。

向後

そうなんですよね・・・そういう覚悟が必要な時ってありますよね。

吉福

ありますよ。あらゆる瞬間がそうだと思うこともできるんですよ、人生の一瞬一瞬というのは。

向後

突き詰めればそうですよね。

吉福

突き詰めればね。で、実際に、向後さんがおっしゃるように、必要な時って起こってきますから。「自分を捨てる」っていう。「あげてしまう」とも言えるし。

向後

言うは易しですけどね・・・相当、なんというか、いや、大変ですよ。

吉福

大変ですよ。考えようによってはさ、あの場の責任者は僕なわけですよね。だから、そういうことを考えて、社会の事をふと考えたらさ、あれで彼女が死ぬとか激しい後遺症を持つなんてことが起こったら、社会的な非難を十分に浴びる立場にいるわけですよね。そういう風に考えが行ってしまわないっていうことなんですよ。

向後

それは、一瞬たりとも考えないってことなんですか。

吉福

一瞬たりとも考えない。浮かんでも来ません。

でも、馬鹿じゃないから。知らないわけじゃないわけじゃないんですよ。そういうことは十分に起こりうる。医療でもいっぱい起こるじゃないですか。手術上の失敗であるとか、そういうことが起こるとさ、やっぱり社会的な責任に問われたり、実際に罪に問われたりしますよね、社会の中で。で、そうすると、じゃあこんなことで罪に問われたら、誰も新しい実験的な治療はしなくなりますよ、って医学界から出てくる言葉ですよね。その辺が最大の問題。そういうことじゃないでしょって。

向後

全く考えないっていうのは、すごいですね。

吉福

浮かんでこないんですよ。そういうことを全く考えてないわけじゃないですよ、前もってそういったことが起こりうるっていうのはしっかりと熟慮された上で、その現場では考えない。出てこない。良く言うじゃないですか、ジャズミュージシャンの人はね、理論は知る必要はないかもしれないけど、理論を知っても、理論のことを頭の中に浮かべて音楽なんか演奏なんてしていませんよ、っていうことですよ。

向後

そういうことですね。僕の経験の中ではね、過去のそういう危機的な場面で一瞬浮かんでましたね。やっぱり、これでヤバいことがあったら、これで全責任が僕に・・・って、本当にほんのコンマ何秒だと思うんですけど、フラッシュバック的な感じで浮かんで来たんですけど・・・

吉福

でもそれは、自然ですよ、普通の人間で。

向後

でもそれは、一瞬のことで、その時に思ったのが、覚悟っていうかね、「それはそれでもう、全部引き受けるよ」っていうところに行かざるを得ないなって。

吉福

いや、もう、そこに居ないと、究極的なセラピーはできませんよ。

向後

ですよね。だから、何か起こったらもう、しゃあないわけだし。もちろんそういうことが起こらないように前もって準備する必要は、それはあるでしょうけど、ある程度はね。それでも防げないことが・・・

吉福

防げないことだって起こりますから。

向後

起こります。防げないことがある時に、こう、どしんと構えているというか、道場に座る。

吉福

道場に座ってれば大丈夫。

向後

それだったら大丈夫なんだなぁ、というのを、時々感じるんですよ。

吉福

事態を悪い方向には持っていかないんですよ。事態は行くべき所には行きますよ。行くべき所には行くけど、それをさらに悪くするということには行かない。

向後

行かないですよね。必ずそのプロセスが始まって、収束して行くなっていうのは思います。

吉福

そうでしょ。必ずプロセスが始まったら収束するでしょ、そこに座っていればいいんですよ。

<つづく>

【用語解説】

1、Co-miserate

たとえば、「つらいよね」、「そうだよね、つらいよね、私もつらい」などと言いあって、傷をなめ合っている状態。セラピストとクライアントがそうした状態になると、治癒は起こり得ない。

(第22回おわり)

向後善之

日本トランスパーソナル学会事務局長

ハートコンシェルジュ カウンセラー