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	<title>日本トランスパーソナル学会 &#187; おじんカウンセラーのトホホ通信</title>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信・・その３９　パワハラの実態　その３</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Aug 2010 02:04:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３９】パワハラの実態・・その３
ちょいと、補足しますが、Ｄ課長がなぜパワハラなのか解説しましょう。
Ｄ課長の言動は、一貫性がありません。自分がプロジェクトの批判をしていたにも関わらず、Ａ氏が同様な理論を展開し始める [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>【その３９】パワハラの実態・・その３</p>
<p>ちょいと、補足しますが、Ｄ課長がなぜパワハラなのか解説しましょう。</p>
<p>Ｄ課長の言動は、一貫性がありません。自分がプロジェクトの批判をしていたにも関わらず、Ａ氏が同様な理論を展開し始めると、今度はＡ氏を徹底攻撃し始めています。これは、まったく矛盾した言動です。しかも、「無礼講だ」という言葉に従って、Ａ氏は自説を述べたわけですから、Ａ氏には、非難されるいわれはありません。おそらく、Ｄ課長は、Ａ氏のプロジェクト批判が、Ｄ課長の許容する範囲を超えたのでしょうが、火をつけたのはＤ課長であり、そうした火がなければ、Ａ氏は、管理職の前でプロジェクトの批判をするはずはないのです。</p>
<p>Ｄ課長にすれば、Ａ氏はＤ課長の気持ちを推し量りながら、「無礼講だ」と言われても、「いや、私には、上の方々の考えにどうこういう立場にありません。我々若いものは、上の方から言われたことをやるだけです」などと、控えめに答えるのが理想なのでしょう。</p>
<p>しかし、自分の思い通りに他人が動くはずという思いこみは、ハラサー（ハラスメントをする人）の特徴です。自分の思いなどというものは、他人にはわからないのが当たり前です。思いを分かってもらおうとしたら、本来は、きちんと説明しなければならないのです。ハラサーは、相手が自分の感覚を理解し、自分の気持ちよいように行動をとるだろうと言う都合のよい予測があります。しかし、それは自己中心的で傲慢な予測です。</p>
<p>Ａ氏の言葉の中に、なにかＤ課長の気に障ることがあったのでしょうが、その根拠は、明確には示されていません。彼は、自分の思い通りに発言しなかったことに腹を立てているのでしょう。ですから、Ｄ課長は、自分の怒りの根拠を、論理的に明確に示すことができなかったのです。その代り、「生意気だ」、「１０年早い」など、本来の論旨と違う精神論のカテゴリーに話をすり替えています。これは、カテゴリーエラーと言われるもので、ハラサー（ハラスメントをする人）が、よく使う手口です。</p>
<p>また、Ｄ課長の止まらない説教もハラサーの特徴です。Ｄ課長は、最初の焼き鳥屋での３０分の説教だけではなく、最後にＡ氏と会ったスナックでも、Ｃ課長からの静止があったのにもかかわらず、すきを見てはＡ氏の攻撃をしています。ハラサーは、自分の怒りを抑えることができないのです。</p>
<p>そして、Ａ氏の言い分を、Ｄ課長はまったく聞こうとしていません。ハラサーにとっては、自分の意見だけが絶対なのです。しかし、自分より強い立場の人に対しては、そうした傲慢なふるまいは表に出さず、むしろ従順です。「もし言ったら、お前がやったことをおれは、会社に話すぞ」というＣ課長の言葉に従う姿勢は、Ｃ課長の発言の背景にある会社という存在を恐れたからに他ありません。</p>
<p>では、Ａ氏はどうすればよかったかと言うと、Ｄ課長のハラスメントを収めるという観点では、どうしようもないのです。「すみませんでした。言いすぎでした」と言ったところで、Ｄ課長の攻撃は収まりません。「なんで、君は、自分の言葉を、そうやってすぐに翻すんだ。そういうところが、最近の若い奴は根性がないんだよ」などとなじられるのが関の山です。</p>
<p>Ａ氏のできることは、Ｄ課長の言葉をまともに受け取らないことです。要は、Ｄ課長のようなハラサーの言葉に巻き込まれず、Ｄ課長の理論に従って自分を批判しないことです。まあ、黙っているけれど、納得はしないというのがとりあえず妥当な態度でしょう。</p>
<p>Ａ氏のまずかったのは、最後にＤ課長と会ったスナックで、早く退散しなかったことです。ハラサーは、相手が降伏するまで、あきらめないので、さっさと退散してしまった方が得なのです。</p>
<p>しかし、向こうっ気の強いＡ氏は、退散する代わりに、Ｄ課長を睨みつけてしまいました。これは決定的なミスと言えます。相手を見るのは、問題ありません。ただし、ハラサーの怒りモードに巻き込まれて、ハラサーと対決する姿勢で睨みつけるのはいけません。Ａ氏は、睨みつけた時、すでに喧嘩モードになっていました。ハラサーを見るのなら、冷静に相手を見ることです。これは、なかなか難しいんです。自分の呼吸に注意を向け、自分の中に怒りがあっても、その怒りをじっと見つめる落ち着きが必要です。Ａ氏の場合、自分の怒りに飲み込まれていました。そして、そのとき、「やるんなら、やるぞ」という気持ちになってしまっていたのです。そうなると、ハラサーの次のアクションは、キレる以外ないのです。</p>
<p>ハラサーに対しては、じっくり呼吸を落ち着けて、ただ全体を眺めるような形で、相手を見るのがよいです。下を向いていると不安・恐怖が強くなりがちです。逆に、顔をあげて、全体を見ることで、恐怖のレベルは下がります。しかし、睨みつけてしまうと、双方の怒りがエスカレートしますので注意してください。落ち着いてハラサーを見つめ、自分のペースをくずさなければ、ハラスメントのエネルギーは次第に弱まってきます。</p>
<p>余談ですが、呼吸を落ち着けて相手を見るというのは、熊に出会った時の最も良い対応法なのだそうです。そうすると、熊は人間の視線から目をそらし、去っていくのだそうです。これは、最近、北海道旅行に行った時、地元の人から聞きました。</p>
<p>熊が去っていくのですから、ハラサーは、その場にいたたまれなくなるのは、当たり前と言えば、当たり前です。</p>
<p>Ａ氏は、怒っているのは当然としても、「やるんならやるぞ」という考えは避けるべきだったのです。怒りがあっても戦わない姿勢が必要なのです。</p>
<p>ハラサーの攻撃を受けた時、Ｃ課長のような、公平で冷静で、毅然とした態度をとれる度胸のある人に相談できると、いいのですが・・。そういう人が必ずいるわけではありません。</p>
<p>ただ、ハラサーは、やがて必ず別の人にも同じようなハラスメントをしますし、過去にも同じような事件を起こしていることでしょう。そうした事実は、やがて隠しようが無くなります。いつか、ハラサーには、よくない評判が立ち始めます。ハラサーは、やがて失脚するのです。</p>
<p>もし、うまく失脚せず、いつまでもハラスメントが止まらないようだったら、パワハラ相談室に報告することです。その際、できるだけ多くの賛同者がいるのが理想的です。また、ハラスメントの具体的な内容を記録しておくこともいいでしょう。</p>
<p>そして、ときには、パワハラ相談室の責任者がハラサーの場合があります。その場合は、その上の人に訴えるしかありません。しかし、社長自体がハラサーの場合、これは、社内では打つ手がありません。その場合、戦うのなら、法的手段に訴えるか、そんな会社には、こちらから見切りをつける決断が必要になります。</p>
<p>パワハラとは、やっかいなものです。</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　常任理事　事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信・・その３８　パワハラの実態・・その２</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1987</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1987#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 23 Aug 2010 10:47:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３８】パワハラの実態・・その２
狭い店だったので、Ｃ課長とＤ課長は、すぐにＡ氏とＢ氏をみつけ、彼らのボックスにやってきました。「なんだ、お前らも来てたのか」とＣ課長。Ｄ課長は、なにも言わずに席に着きました。Ｃ課長は [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>【その３８】パワハラの実態・・その２</p>
<p>狭い店だったので、Ｃ課長とＤ課長は、すぐにＡ氏とＢ氏をみつけ、彼らのボックスにやってきました。「なんだ、お前らも来てたのか」とＣ課長。Ｄ課長は、なにも言わずに席に着きました。Ｃ課長は、「もう説教は終わりだぞ」とＤ課長に言い、Ａ氏、Ｂ氏、Ｃ課長は、いつものように楽しく馬鹿話を始めました。しかし、Ｄ課長が、再びＡ氏に向かって、先ほどの焼き鳥屋と同じ話を始めたのです。「お前は、若いくせになまいきだ」、「お前らは、上の言うことを聞いて黙って仕事しろ」などなどです。Ｃ課長は、Ｄ課長に「いいかげんにしろ。だいたいお前は、Ａと同じこと（プロジェクトに関する不満）を言っていたじゃないか」と、少々怒った顔でさとしました、Ｄ課長もさすがに、その時は、黙ったのです。</p>
<p>ところが、Ｄ課長の沈黙は長くは続きませんでした。Ｃ課長がトイレに立ったとたん、再びＡ氏に対する説教が始まったのです。内容は、まったく同じです。気の強いＡ氏は、何も返事をせず、Ｄ課長をじっと睨みつけました。沈黙をしながら、じっと自分を睨んでいるＡ氏に対し、Ｄ課長は、言葉を失いました。すると、その瞬間、Ｄ課長は、立ち上がり、テーブルにあった水割り用のピッチャーをつかむと、Ａ氏の頭にピッチャーの中の水をあびせかけ、そのまま店を出ていきました。</p>
<p>その後、事件が起きました。Ａ氏は、立ち上がり、Ｄ課長の後を追い、ドアの外で、Ｄ課長の名前を呼びました。もちろん、「Ｄ課長」などと呼びません。「おい、Ｄ」と、呼び捨てです。振り返ったＤ課長に向かって、Ａ氏は、右ストレートをＤ氏の胸に一発決めました。そのとき、Ａ氏は、非常に冷静でした。ドアの外で声をかけたのは、店に迷惑をかけないためでしたし、顔ではなく、胸を狙ったのは、Ｄ課長が脳しんとうを起こしてしまうことを避けたからです。そもそも、キレた人は、たいていフックになってしまうのですが、Ａ氏は、冷静にストレートをくりだしたのです。Ｄ氏は、その場にうずくまり、Ａ氏は、だまってそれを見ていました。Ａ氏は、それ以上Ｄ氏をなぐる気はありませんでした。一発で十分な手ごたえがあったからです。そして、そのとき、Ａ氏は、会社を辞めることを覚悟していました。管理職を殴るなど、サラリーマンにはあってはならないことだからです。これは、一瞬のできごとでした。</p>
<p>そこへ、スナックのママさんが、「やめてー！」と叫びながら出てきました。また、その後から、トイレから出てきたＣ課長が、「Ａ、やめろ！」と飛び出してきました。</p>
<p>しかし、うずくまっているＤ課長を見たＣ課長は、「おそかったか」とつぶやき、Ａ氏に向かって、「Ａ、もういいだろう」と言葉をかけました。そして、Ｃ課長は、Ｄ課長に向かって言いました。「今日のことは、Ｄ、お前が全て悪い。今あったことは、だれにも言うな。もし言ったら、お前がやったことをおれは、会社に話すぞ。」息も絶え絶えだったＤ課長は、力なくうなづきました。さらにＣ課長は、ママさんと、もうひとりいた店の女の子に「今あったことは、だれにも言わないように」と口止めをしました。Ｃ課長も、とても冷静だったのです。そして、幸い、店には、他に誰も客はいませんでした。</p>
<p>その後のＡ氏ですが、なんのおとがめもなく、無事にサラリーマン生活を続けました。Ｄ課長も、だれにも何も言わなかったのです。Ｃ課長の「もし言ったら、お前がやったことをおれは、会社に話すぞ」が効いたのでしょう。事件がばれてしまったら、Ａ氏はまずい立場に追いやられるでしょうし、会社に居場所が無くなって退職するかもしれません。しかし、同時にＤ課長の立場も無くなってしまうからです。</p>
<p>僕は、ここで、暴力はよろしくないという議論はするつもりはありません。同時に、Ａ氏を擁護するつもりもありません。</p>
<p>そして、Ｄ課長の行為は、パワーハラスメントと言えます。彼のＡ氏に対する攻撃は執拗で、論理に一貫性がなく、攻撃のための攻撃であり、さらには、Ａ氏に頭から水をかけると言う行動にまでエスカレートしていきました。</p>
<p>これまでのお話しの中からお伝えしたいことは、次の５つです。</p>
<p>１）パワハラは、しつこい。</p>
<p>２）パワハラは、相手を徹底的に侮辱する。それは、理不尽な行為である。</p>
<p>３）パワハラに対し、冷静に正当にジャッジする人がいて（この場合はＣ課長）、その人が毅然とふるまえば、パワハラの被害者は、救われる。</p>
<p>４）パワハラをするような、いわゆるハラサーには、根底に怯えがある。だから、Ａ氏の沈黙にＤ課長は耐えられなかったし、「もし言ったら、お前がやったことをおれは、会社に話すぞ」というＣ課長の言葉に従わざるを得なかった。</p>
<p>５）パワハラが新たな暴力を生むことがある。</p>
<p>つづく</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　常任理事　事務局長</p>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その３７・・パワハラの実態　その１</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1962</link>
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		<pubDate>Sun, 15 Aug 2010 11:13:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３７】パワハラの実態・・その１
パワハラは、相変わらず、多いです・・というか、最近増えているように思えます。これから、お話しするのは、実際にあったパワハラの実態です。
Ａ氏は、大学院の修士課程を修了して、入社4年目 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>【その３７】パワハラの実態・・その１</p>
<p>パワハラは、相変わらず、多いです・・というか、最近増えているように思えます。これから、お話しするのは、実際にあったパワハラの実態です。</p>
<p>Ａ氏は、大学院の修士課程を修了して、入社4年目の28歳です。その頃、Ａ氏は、ある大きなプロジェクトにかかわっていました。Ａ氏にすれば、初めての大きなプロジェクトで、とても張り切っておりました。しかし、そのプロジェクトは、目的はよいのですが、どうもうまくオーガナイズできておらず、方針が定まらないため、数十人の人達が、毎日深夜まで残業するような事態になっておりました。その結果、プロジェクトに関わっている人達には、不満が充満していました。</p>
<p>そんな状態が１ヶ月ほど続き、中締めということで、みんな残業せずに早く帰ることができる日がありました。Ａ氏は、同じくプロジェクトに参加している1年後輩のＢ氏（27歳）と連れだって、退社後飲み屋街に繰り出しました。Ａ氏とＢ氏が、いきつけの焼き鳥屋に行くと、そこには、やはりプロジェクトに関わっているＣ課長と、Ｄ課長がすでに飲んでおりました。Ａ氏とＢ氏を見つけたＣ課長が手招きし、一緒に飲むことになったのです。Ａ氏とＢ氏は、先輩におごってもらえるかもという期待を持ちながら、Ｃ課長Ｄ課長の席に行きました。</p>
<p>Ａ氏もＢ氏も、Ｃ課長のことはよく知っていたのですが、Ｄ課長のことはよく知りませんでした。Ｃ課長は、なんでも話せる先輩で、若手からはとても人望がある人でした。Ｄ課長と飲むのは初めてでしたが、彼もなかなか気さくそうに見えました。その場での話題はやはり、そのとき関わっていたプロジェクトについてでした。Ｃ課長もＤ課長も、プロジェクトのやり方については、不満を述べておりました。Ａ氏とＢ氏は、若手なので自分からは意見を言わずに聞き役に回っていたのですが、Ｃ課長とＤ課長が同じような思いでいることに安心感を覚えました。</p>
<p>ほどよく酔いが回ってきた頃、Ｄ課長が、Ａ氏とＢ氏に向かって、「君ら若手も、いろいろ不満があるだろう。今日は無礼講だから、思ったことを何でも言ってみろ」と言います。後から思うと、「無礼講」などと言う言葉をまともに受け取ってしまったのが悪いのですが、酔いも回っていたＡ氏は、日頃感じていたことをとうとうと述べはじめました。ちょっと過激なことも言ったのですが、Ａ氏は、Ｃ課長とＤ課長がさっきまで話していたことと同じようなレベルだし、せっかくの無礼講だし、この際だから、あまり遠慮せずに自分の意見を言ってしまおうと思ったのです。気持ちよく話していたＡ氏は、Ｄ課長のかおがこわばってきたことには気づきませんでした。Ａ氏が我に帰った？のは、Ｄ課長の突然の「なんなんだそれは！」という言葉でした。</p>
<p>Ａ氏はなんのことやらわからず唖然としていると、Ｄ課長の機関銃のような説教が始まりました。「お前は生意気だ！」、「お前らみたいな若いのは、上から言われたことをただ聞いていればいいんだ！」、「えらそーなことを言うんじゃない！」、「そんな意見は10年早い」などと反論する余地もなく、矢継ぎ早に、Ａ氏はＤ課長から批判されました。Ｃ課長が、「まあ、いいじゃないか。お前が無礼講って言ったんだから・・」ととりなしても、Ｄ課長の怒りは収まりません。</p>
<p>その後も延々と、Ｄ課長のお説教が続きました。Ｃ課長は、「もういいかげんにしろよ」と言うのですが、Ｄ課長は、「若いものには、しっかりと言い聞かせなきゃだめだ！」と、聞く耳を持ちません。Ａ氏は、ショックを受けることはなく、ただばかばかしい思いでＤ課長のお説教を聞いていました。</p>
<p>Ａ氏の考えていたことは、「酔っ払いの相手をしても仕方がないので、早く退散しよう」です。Ｄ課長のお説教が一息ついた時（それまで30分ぐらいの時間が過ぎていました）、Ａ氏とＢ氏は、「ごちそうさまでした」と、まだ物を言いたそうなＤ課長とうんざりした顔のＣ課長にお礼を言い、その焼き鳥屋を出ました。</p>
<p>Ａ氏とＢ氏は、他の店で飲みなおすことにしました。「いやー、Ｄ課長が、ああいう人だとはねぇー」とＡ氏が言うと、Ｂ氏も「びっくりしましたね。飲みなおして気分を変えましょう」と言いました。Ａ氏とＢ氏は、気分よく飲み直し、その後、もう一軒寄ってから帰ろうと言うことになり、なじみのスナックに行き、その店のママさんたちと馬鹿話をしながら、楽しく飲んでいました。</p>
<p>そこに、なんと、Ｃ課長とＤ課長が入ってきたのです。彼らも帰る前にもう１軒というこんたんだったのでしょう。</p>
<p>つづく</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　常任理事　事務局長</p>
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		</item>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その３６　むむむな体験</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1958</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1958#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 28 Jul 2010 11:16:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３６】むむむな体験
この１ヶ月ほど、少々不安な日々が続いていました。実は、健康診断でひっかかって、癌の疑いありって言われてしまったのです。まあ、とほほ通信でこんなことを書いていると言うことは、結果から申し上げますと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その３６】むむむな体験</span></strong><strong></strong></p>
<p>この１ヶ月ほど、少々不安な日々が続いていました。実は、健康診断でひっかかって、癌の疑いありって言われてしまったのです。まあ、とほほ通信でこんなことを書いていると言うことは、結果から申し上げますと、癌ではなかったということになりました。まずは、ほっとしました。</p>
<p>発端は、血尿です。僕は元々、結石持ちで、１５年ほど前、１７年前に２度入院したことがあります。その時も血尿が出たので、今回もすぐにおさまるだろうと思っていたのですが、いつまでたってもとまらないんです。たまたま、そのとき、健康診断の予定を入れていたのですが、やはり血尿が出てしまいました。そのときは、肉眼ではわからなかったのですが・・。</p>
<p>その後、泌尿器科でＣＴとレントゲン検査となったのですが、案の上腎臓に結石がありました。結石の一部が出てきた時にどこかを傷つけて血尿になっているのかもしれないとのことでしたが、１週間以上も血尿が出ていることから、さらに詳細検査が必要と言うことになりました。お医者さんに原因を聞くと、いくつかの病名を説明してくれましたが、腎臓、膀胱、あるいは前立腺がんの可能性もあるとのことでした。</p>
<p>ネットで「血尿」と調べると、「もっとも怖いのが癌」などと書かれています。ただ、最近の医療の進歩はすばらしく、膀胱がんの中には、手術なしで治るものもあるらしいです。なんでも結核の治療薬を膀胱に注入するというのを一定期間続けると、がんが完治するのだそうです。そういえば、かつて「丸山ワクチン」というがんの治療薬があり、確かそれは結核の薬だったなと思います。そのころ、丸山ワクチンは、医学界からキワモノ扱いされていたように記憶していますが、やはりある所の癌には効果があったのですね。</p>
<p>おかげで、泌尿器系のがんの知識には詳しくなりました。</p>
<p>お医者さんからは、「来週、膀胱内視鏡をしてみましょうか」と軽くさわやかに言われました。・・と言うわけで、１週間後に、その検査を受けることになりました。</p>
<p>当日、病院に行くと、僕は別室に行き、ガウンに着替えました。看護師さんに「ここでお待ちください」と言われ、僕はベッドに腰掛けて先生を待っておりました。そのベッドには、妙なものがついていました。要は、女性が出産するときに足を乗せる器具が、ベッドの両脇に、昆虫の触角のように生えているのです。「へぇー、泌尿器科にも、こういうのがあるんだ」と、僕は、興味津津でした。</p>
<p>しばらく待っていると、看護師さんと先生がやってきました。看護師さんは、「あっ、下着は脱いでください」と言います。私は、素直に下着を脱いで、再びベッドに座ると、今度は、先生が、「それでは、ここに足を乗っけてください」と、またまたさわやかにおっしゃいます。な、なんと、例のベッドから生えている触角を、僕が使うはめになってしまったのです。両足を片足づつその器具の上に乗せ、僕は、あられもないかっこうになってしまいました。「もう、どうにでもして！」って感じです。しかし、それは、これから起こるめくるめく体験の序曲にすぎませんでした。</p>
<p>おもむろに、先生は、内視鏡を取り出しました。僕は、ギョエッ！っと思いました。膀胱内視鏡ですから、きっととても細いものだと勝手に想像していたのですが、な、なんと、それは、胃カメラと同じくらいの太さがありました。「えっ、それなんですか」と僕。先生は、これまたさわやかに、「そうです。これが内視鏡です」とおっしゃり、さらに、「まず、尿道を痛めないように、ゼリーを注入しますね」と言いながら、注射器で・・。</p>
<p>僕は、なんとも妙な感覚に、「麻酔は無いんですか」と聞いたのですが、「ありません」とのお答えでした。その後、いよいよ内視鏡検査です。これが、息が止まるような、そして、なんとも変な感じなんです。なにしろ、そもそも膀胱から外へという本来の流れに逆行するのですからね。</p>
<p>先生は、平然と「ここが前立腺です。ここは異常ありませんね」などと画面を見ながら説明してくれるのですが、僕はそれどころじゃありません。</p>
<p>内視鏡は、ついに膀胱まで達し、そこで、３６０度、膀胱内をチェックするのです。いやー、はっきりと映るものです。幸い、膀胱から尿道まで、異常はありませんでした。</p>
<p>検査が終わった時、僕は、精も根もつきはてたって感じでした。</p>
<p>結局、なんの異常も発見されず、２週間後に出た尿検査の結果も、癌の兆候なしということになりました。やれやれで、ございました。</p>
<p>しかし、がんの可能性ありなどと聞くと、やばいという気持ちになるものです。</p>
<p>入院ともなったら、カウンセリングオフィスはどうしようか？クライアントさんをだれにリファーしようか？入院先で、スカイプでカウンセリングはできないか？もしものことがあったら、家族に残す財産なんてほとんどない！やり残した仕事がいっぱいある！せっかく８月に本を出版するのに、それが店頭に並ぶのを見れないかも・・・などなど、不安（一部妄想）が膨らむばかりでした。</p>
<p>本当にがんになった人は、僕の感じた不安の比ではないんだろうなと思いました。</p>
<p>その不安がなくなって、とりあえず、やれやれです。</p>
<p>同世代のサザンの桑田さんが食道がんになったとのニュースがありましたし、僕も気をつけなきゃです。</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その３５　思いこみと現実</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1944</link>
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		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 07:18:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３５】思いこみと現実
私は、以前、石油会社に技術屋として働いておりました。会社には１５年弱勤めたことになります。その会社を辞めたのは、カウンセリング心理学を勉強するためにアメリカの大学院に留学するためでした。退職希 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その３５】思いこみと現実</span></strong><strong></strong></p>
<p>私は、以前、石油会社に技術屋として働いておりました。会社には１５年弱勤めたことになります。その会社を辞めたのは、カウンセリング心理学を勉強するためにアメリカの大学院に留学するためでした。退職希望を上司に話すまで、会社のプロジェクトにかかわり、管理職になるための研修などに参加していた私は、アメリカの大学院を目指していることを、会社の人達にはだれにも話しませんでした。つまり、私は、会社を欺いていたと言われても仕方のないことをしていたわけです。</p>
<p>私は、大学院に合格してからしばらく、退職のことを上司に切り出せずにいました。会社の人達から非難されるのではないかということを恐れていたからです。「ばかなことを考えるな」、「会社に恩を感じないのか？」、「やっぱりお前はだめなやつだな」など、上司からも同僚からも責められ、後輩たちからは冷たい目で見られるのではないかということを、私は想像していました。</p>
<p>しかし、現実は、私が想像していたことと全く違っていました。会社に退職希望を伝えた時、直属の上司は、一切私を非難せず、じっくり私の話を聞いてくれました。上司に話してしまったからには、おそらく二～三日のうちに会社の上層部や人事部の人達に、私が退職すると言うことが伝わっていたはずです。上司がこれだけ理解してくれたにもかかわらず、私はまだ、他の人達から非難されるだろうと想像していました。</p>
<p>ところが、私の退職を知った幹部の人達が、だれも私を責めないのです。元上司だった部長は、「おもいきったことやるなぁー。まあ、がんばれよ！」と声をかけてくれました。また、退職届を出してから一週間ほどたったころ、取締役から、「ちょっと部屋に来る時間あるかい？」と、直接電話がありました。当時管理職にもなっていない私に、取締役から直接電話があるなどと言うことはありえないことでした。私は、お小言を覚悟して取締役室に伺いました。しかし、取締役は、「面白いことはじめるんだねぇー。私もチャンスがあって若かったら、向後君みたいなことをやってみたかったねぇ」とおっしゃるのです。そして、切れ者のエンジニアと評判だった取締役が、意外にも心理学への興味を語ってくれました。</p>
<p>その後も、「送別会ラッシュになるだろうから」と、何人もの会社の幹部の方々から、退職の発表前に一対一の飲み会のお誘いを受けました。退職発表後は、毎日だれかが送別会を開いてくれました。その総数は、三〇〇人以上にも上ります。そして、どなたも、私を励ましてくれました。ありがたいことです。</p>
<p>私は、間違っていました。「皆から非難されるだろう」というのは、私の思いこみにすぎなかったのです。この思いこみは、私のひねくれた性格に起因するもので、それは、「どおせ、オレなんか・・」という自動思考（なにかあると自動的に働く思考パターン）の原因になっていました。</p>
<p>私は、それまでの人生の中で、この「どおせ、オレなんか・・」という考えのために、いくつものチャンスを逃してきました。目の前にチャンスが巡ってきても、それをつかまえそこなったり、自ら降りてしまったりしたことが多々あったのです。また、私のプレゼンテーションは、ひねくれたものになり、いまいち説得力に欠けていたので、強いパワーで人を引っ張っていくということが苦手で、どちらかというと一人で仕事をこなしてくと言う方向を選択していたのです。まあ、表面上は、明るく元気にふるまってはいましたが・・。</p>
<p>退職の時のこの経験は、私の「どおせ、オレなんか受け入れられるはずがない」という歪んだ信念をかえていくきっかけになりました。</p>
<p>最近、当時会社で同僚だったみなさんと飲みに行く機会がありました。10数年ぶりに会う人もいて、なつかしかったです。みなさん、だいぶ偉くなって、おなかのあたりが豊かになった半面、頭の方はさびしいというおっさんになっていましたけれど、相変わらず楽しい人達でした。</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その３４　キンシャサの戦い</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Jun 2010 05:41:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３４】キンシャサの戦い
3月の半ばから、先週まで、セミナーの主催、自分自身のセミナー、新著の原稿締め切り、大学院のファイナルペーパーの採点、そして修士論文の審査と、目の回る状態で、とほほ通信がとどこおってしまいすみ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その３４】キンシャサの戦い</span></strong><strong></strong></p>
<p>3月の半ばから、先週まで、セミナーの主催、自分自身のセミナー、新著の原稿締め切り、大学院のファイナルペーパーの採点、そして修士論文の審査と、目の回る状態で、とほほ通信がとどこおってしまいすみませんでした。やっと、最後の修士論文の審査が終わり、先週末から、自由の身になりました。やれやれ・・（私が勤めているのは、アメリカの大学院の東京サテライトキャンパスなので、修士論文の審査は6月になります）。</p>
<p>さて、自由の身になって、世の中をみわたすと、サッカーのワールドカップの話題で盛り上がっていますね。なんだか、岡田監督が急にヒーローになった感じですね。なんとか予選を突破してほしいです。しかし、デンマークは手ごわそう・・。</p>
<p>今回のワールドカップは、南アフリカ開催です。アフリカ初のワールドカップらしいですね。アフリカでのスポーツイベントというと、私などは、ザイールのキンシャサで行われた、モハメッド・アリとジョージ・フォアマンによるボクシングのヘビー級のチャンピオンシップを思い出します。1974年に行われたのですから、もう36年も前の話なんですが・・。</p>
<p>私は、当時高校3年生で、受験勉強などはそっちのけで、試合を見た記憶があります。</p>
<p>モハメッド・アリは、1960年のローマオリンピックで金メダルを取った後、プロに転向し、1964年にソニー・リストンを破ってチャンピオンになりました。アリは、試合前から対戦相手を何ラウンドにＫＯすると宣言するなど、大口叩きとかほら吹きとか言われもしましたが、実際にそうした宣言を実現させてからは、むしろ彼の大口は、何か神秘的なものさえ感じさせました。</p>
<p>アリのボクシングは、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容されたように、フットワークを多用し、ただブンブンパンチを振り回す当時のヘビー級のボクシングに、まったく新しいスタイルを持ち込みました。彼の試合は、とても華麗で、またスピード感がありました。あっという間に相手の急所にパンチを入れ、見ている側も何が起こったのかわからないうちに相手が倒れていきました。アリのボクシングは芸術でした。</p>
<p>アリは、その後も無敗のまま防衛を続けていきましたが、ベトナム戦争への徴兵拒否により、ヘビー級の王座を3何7ヶ月も奪われることになりました。プロのスポーツ選手が4年近くもブランクがあったら、普通再起はできるものではありませんが、アリは、1970年に再びリングに上ります。</p>
<p>それ以降のアリは、勝ち星は重ねるものの、往年の絶対的な強さは見られませんでした。1971年には、王者だったジョー・フレージャーに生涯初めての負けを喫しました。ジョー・フレージャーもまた、天才的なボクサーで、当時無敵とも史上最強とも言われたものです。</p>
<p>そのジョー・フレージャーを2回ＫＯ勝ちで破って王座に就いたのが、ジョージ・フォアマンです。フォアマンのパンチは強力で、「象をも倒す」と言われたものです。私の記憶では、フォアマンのパンチがフレージャーのボディーに決まった後、フレージャーが血を吐いて、その後ＴＫＯとなりました。あんなすごいＫＯシーンは初めて見ました。</p>
<p>フォアマンの初防衛戦は、1973年東京で開かれました。私は、家に早く帰って（確か、午後の授業はさぼって速く帰ったように記憶しています）、フォアマンの試合をテレビで見ました。</p>
<p>日本で初めてのヘビー級ボクシングのチャンピオンシップということもあり、リングサイドには、三船敏郎、勝新太郎など、たくさんの著名人が観に来ていて、試合前に延々と、そうしたゲストに対するインタビューが続き、なかなか試合が始まらず、イライラしたものでした。しかし、いざゴングが鳴ったら、１Ｒで、あっという間に挑戦相手のジョー・キング・ローマンをＫＯしてしまったのです。１Ｒ開始のゴングが鳴ったかと思ったら、ローマンがフォアマンのパンチですっ飛んで行ったのをはっきりと覚えています。私の同級生などは、ゲストへのインタビューがあまりに長いので、しびれをきらしてトイレに行って帰ってきたら、試合が終わっていたのだそうです。</p>
<p>それほど強いフォアマンに、アリがフレージャーを再戦して負かし、1974年10月に挑戦することになったのです。これが、キンシャサの戦いです。大方の予想は、圧倒的にフォアマン優勢でした。アリは、32歳で、ボクサーとしての峠は過ぎていたのに対し、フォアマンは25歳と若く勢いがありました。</p>
<p>しかし、アリは、この試合に勝ち王座を奪還するのです。１Ｒ目から、フォアマンはアリに襲いかかっていきました。最初のうちこそアリ得意のフットワークを使っていたのですが、ラウンド半ばには、ロープ際に追い込まれ、アリはサンドバックのようにフォアマンにボディーを打たれ続けました。</p>
<p>これが、２Ｒ以降もずっと続きます。アリは顔をガードしてはいるものの、フォアマンにボディーを打たれ続けるのです。でも、アリは倒れません。ほとんどの試合を１～２ＲでＫＯ勝ちしてきたフォアマンもしだいに、不思議そうな顔をしはじめます。</p>
<p>そして、運命の８Ｒ目。フォアマンは、それまでのラウンドと同じようにアリのボディーを打っていたのですが、さすがに疲れが出てきたのでしょう。一瞬緊張が緩みました。その瞬間に、ロープにもたれていたアリが華麗なフットワークで前に出て、フォアマンの顔面にパンチを決め、一瞬のうちに勝負が決まりました。フォアマンが倒れそのままアリのＫＯ勝ちになったのです。フォアマンのプロ41戦目にして初めての敗北でした。</p>
<p>アリは、最初からフォアマンの疲れと緊張が緩む瞬間をねらっていたのです。８Ｒ目のアリを改めて見ると、両手でガードしている奥から、しっかりとフォアマンを見据えていました。そして一瞬のスキを見逃さず、蜂のように刺したのです。</p>
<p>見事な戦いでした。これがキンシャサの戦い、あるいはキンシャサの奇跡と言われる試合です。</p>
<p>その後、アリは10度の防衛を果たしやがて引退しました。一方、敗れたフォアマンは、3年後に引退し、なんと宣教師になってしまいます。</p>
<p>しかし、ドラマはそこでは終わりません。フォアマンは、青年厚生施設建設費用ねん出のため1987年、38歳で再びリングに立ち、ボクサーとして復活します。38歳ですから、もうピークはとうに過ぎていて、その後、ホリーフィールド、モリソンといった当時のチャンピオンに挑戦することができたのですが、いずれも負けてしまいます。しかし、1994年フォアマン45歳の時に、王者のマイケル・モーラーへの挑戦権を獲得し、１０ＲＫＯ勝ちをおさめ、ヘビー級史上最年長のチャンピオンになります。そのとき、フォアマンは、キンシャサの戦いでのアリと同じような戦法を使います。つまり、相手に打たせて疲れさせて、疲れたところを１発で決めるという戦い方でした。</p>
<p>スポーツは、すばらしい。勝った側にも負けた側にもドラマがあります。３０年以上たった今も、こんなにはっきりと覚えているのですから・・。今年のワールドカップでは、日本チームには、みんなが３０年後に覚えているような戦いをすることを期待します。</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その３３　安全な場所からのジャッジメント</title>
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		<pubDate>Mon, 01 Mar 2010 10:01:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３３】　安全な場所からのジャッジメント
オリンピックも終わりましたね。ＴＶ観戦している私にとっては、感動的な場面がいっぱいありました。
浅田真央選手とキム・ヨナ選手の戦いはすばらしかったし、上村愛子選手の滑りにの切 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【その３３】　安全な場所からのジャッジメント</strong></p>
<p>オリンピックも終わりましたね。ＴＶ観戦している私にとっては、感動的な場面がいっぱいありました。</p>
<p>浅田真央選手とキム・ヨナ選手の戦いはすばらしかったし、上村愛子選手の滑りにの切れ味にもしびれましたし、カーリングの面白さを知ったし、アルペン系の競技も0.01秒台の争いで見ごたえがありました。アスリート達は、すごい！</p>
<p>彼らは、ほんのぎりぎりの差の中で争っていて、ちょっとしたミスが命取りになる妥協の許されないような世界で生きています。</p>
<p>それに比べて、観戦している私なんぞは、お気楽なものです。暖かい部屋の中でコーヒーでも飲みながら、ＴＶを見て、あーだこーだ言っているわけですから・・。</p>
<p>この感動のオリンピック期間中、実は、少々暗い気持ちになったことがあります。それは、スノーボードハーフパイプの國母選手に関することです。國母選手は、みなさん御存じのとおり、出国時の腰パン騒動で一躍注目を集めました。彼のファッションに批判が高まり、その結果、彼は入村式に出られなくなり、記者会見で記者やレポーターの前で謝罪しなければならなくなり、彼が在校している東海大学は、応援を中止し、試合が終わって、帰国時のインタビューでも、レポーター達から彼の服装について質問される羽目になりました。</p>
<p>さらに、その間、ネット上では、國母選手に対する誹謗中傷が乱れ飛んでいました。私は、２チャンネルをはじめとするネットでの書き込みは見ない主義なのですが、今回は、國母選手に対する批判がひどすぎるということをツイッター情報で知ったので、ちょっと覗いてみたのです。</p>
<p>いやー、酷かった。勝手な憶測で、自分の思い込みをあたかも正義漢のような口調で書きこんでいるんです。内容はあまりにめちゃくちゃなので、ここでは紹介しませんが、週刊誌の中吊り広告で誰かを批判する時の見出しをさらに過激にしたような内容です。しかも、全て匿名です。読んでみて唖然としました。</p>
<p>こういう行為を、本来は「卑怯」と言うのです。</p>
<p>國母選手の服装については、だれかが、びしっと注意すればそれですむ話じゃないですか。私には、入村式の辞退も、記者会見も、大学の応援中止も、まったく無意味なものに見えました。そして、ネットでの誹謗中傷は、言語道断です。</p>
<p>僕が東海大学の総長だったら（そんなことは一生あり得ないけど）、「それでも、國母君は、うちのかわいい学生です！」って宣言して、全校をあげて応援しますよ。</p>
<p>このようにメディアやネット上で、だれかをターゲットにして徹底的に非難する風潮って、醜いなと思います。そもそも、そういうことをする人達は、安全な場所から、ほとんどが匿名で、しかも上から目線で批判を展開しています。非常にカッコ悪い。</p>
<p>この傾向は、しばしば見られます。数年前の「イラクの人質事件」における「自己責任論」なんかも、まさにその例です。また、いまだに蔓延している学校や職場でのいじめ問題なんかも同じメカニズムです。それ以外にも、さまざまな場所で、こうした一方的な非難の傾向が見られます。</p>
<p>どうも最近、暗黙のルールができやすく、それが強力な規範となって、それ以外の価値観は認めないという雰囲気にすぐになってしまうよう傾向が強まっているように思います。</p>
<p>これは、これから人類が進む方向だと言われているヴィジョンロジック（価値観の多様化を受け入れること）とは逆行する動きで、文化的な退行です。</p>
<p>ちなみに、ネット上では、國母選手へのマスコミをはじめとする対応については、かなり批判が出されていたと言うことを付け加えておきます。この辺に、少しは希望があるととらえたほうがいいのかどうか・・。マスコミの対応に対する意見の中にも、「ん？」というのもありましたし・・。</p>
<p>（第33回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
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		</item>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その３２　現代の脱藩者</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1666</link>
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		<pubDate>Tue, 26 Jan 2010 02:34:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３２】現代の脱藩者？
NHKの大河ドラマで竜馬伝がはじまったせいか、本屋に行くと坂本竜馬の本が並んでいます。また、去年からの歴女ブームで、幕末の志士関係の本も多いですね。これ、面白い現象だと思います。
幕末に活躍し [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その３２】現代の脱藩者？</span></strong><strong></strong></p>
<p>NHKの大河ドラマで竜馬伝がはじまったせいか、本屋に行くと坂本竜馬の本が並んでいます。また、去年からの歴女ブームで、幕末の志士関係の本も多いですね。これ、面白い現象だと思います。</p>
<p>幕末に活躍した人達の多くは、脱藩者です。坂本竜馬もそうだし、幕末の志士達に多大な影響を与えた吉田松陰も脱藩した経験があります。</p>
<p>彼らは、藩という枠組みの中では、自分のやりたいことができないと感じていた人達です。彼らは、幕末から明治維新にかけて、大きな役割を果たしました。勝海舟などは、従来の制度にこだわらず、有為な人材を幅広く集めようとしていたらしく、脱藩者だろうがなんだろうが、有能な人材を世に出そうとしました。全ての脱藩者とは言えませんが、坂本竜馬や吉田松陰などをはじめ、実際有能な人達もたくさんいたわけです。</p>
<p>カウンセリングをしていると、不登校になった学生や、会社を休職した人達や退職した人達、それからひきこもりの人達、フリーターの人達などとお会いする機会があります。彼らとお話をしていると、彼らは、現代のシステムに嫌気がさした脱藩者なんじゃないかと思います。</p>
<p>「現在の脱藩者」の中には、興味深い考え方をしている人も少なくありませんし、彼らの問題意識には共感することも少なくありません。彼らは、自分の思いをためすことも、あるいは、主張することさえもできなかったのではないかと思います。</p>
<p>現在の日本は、みんな同じ価値観を持つことを強要されているように感じます。学校では偏差値でジャッジされ、仲間内でさえも空気を読まねばならず、公園デビューなんてばかばかしい規範があり、会社の中には見えない規範があって、その規範に反する発言は、はばかられます。</p>
<p>以前、ある会社を訪ねた時、みなさんが同じような発言をされるのに、違和感を持ちました。そもそも使う単語もしゃべり方も同じなんですね。「これからのビジネスモデルは・・」、「お客様とwin winの関係を・・」などなど、お話はもっともなんですが、しゃべり方まで同じとなると、ちょっと気味悪くなりますね。</p>
<p>以前あった「自己責任論騒ぎ」なんていうことがありましたが、私は、あれを見ていて、日本中がヒステリーになったみたいで恐怖すら感じたものです。2004年に起きたことなのですが、イラクで支援活動をしていた3人の若者が拉致された事件です。あの時、マスコミを含め、日本中が彼らが拉致されたのは「自己責任だ」と大合唱していました。まったく気味悪い現象です。この傾向は、今でも変わらないと言ってよいでしょう。</p>
<p>これでは、脱藩もしたくなるでしょう。</p>
<p>「学校や会社をドロップアウトした人達と、幕末の脱藩者はちがう。幕末の志士は、立派な志があったじゃないか。世の中を変えようとしていたではないか」という人達もいるかもしれませんが、私はそうは思わないんですね。</p>
<p>幕末には、尊王攘夷という大義名分があったから元気だったのであって、そういうものがなかったら、志士になっていった人達もうつうつとしていたのではないかと思います。</p>
<p>だから、学校や会社からドロップアウトした人達を、十把一絡げに負け組みたいに見ている風潮は、どうも嫌ですね。もちろん問題があって退学したり退社したりした人もいるのでしょうけど、それは特殊なケースだと思いますが・・。</p>
<p>私は、ドロップアウトした人達が、ちゃんと主張できて、いつでもやりなおしのきくシステムができていかないといけないと思うんです。</p>
<p>私には少々アイデアがあるのですが、10年くらいかけて、そうしたシステムを作ってけたらと思います。まあ、今は金なし力なしですが・・。これは私の初夢であります。</p>
<p>（第32回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　事務局長</p>
<p>ｶｳﾝｾﾘﾝｸﾞｵﾌｨｽ　「ハートコンシェルジュ」　カウンセラー</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その３１　今年はじめて知ったこと</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1637</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1637#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Dec 2009 04:58:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３１】今年はじめて知ったこと
年もおしせまってきました。
２００９年もいろいろなことがありましたね。
総決算と言うわけで、今年私が、はじめて知ったことを書いてみます。
【その１】辛さは、味覚ではなく痛覚である。
私 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その３１】今年はじめて知ったこと</span></strong><strong></strong></p>
<p>年もおしせまってきました。</p>
<p>２００９年もいろいろなことがありましたね。</p>
<p>総決算と言うわけで、今年私が、はじめて知ったことを書いてみます。</p>
<p>【その１】辛さは、味覚ではなく痛覚である。</p>
<p>私は、辛い料理が好きなんですが、辛みというのは味覚じゃなくて痛覚なのだということを聞きました。ちなみに味覚とは、苦味、酸味、甘味、塩味、旨味なんだそうです。旨味っていうのがよくわからないな？？？なんでも、こんぶのだしなどででる味のことなのだそうです。</p>
<p>しかし、そうなると辛い料理の好きな私は、味音痴で痛みの好きなマゾってことになるのかな？？？</p>
<p>【その２】ブラックホールに吸い込まれる時、宇宙の終わりが見えるかもしれない。</p>
<p>ブラックホールに吸い込まれる人を外から見ると、相対性理論によれば、時間がだんだんゆっくり進んでいくように見えるらしいです。でも吸い込まれている人は、普通に時間が進んでいる・・。</p>
<p>そして、ブラックホールに吸い込まれる瞬間には、外から見ると、まったく静止しているように見えるのだそうです。つまり、永遠に時間が止まっていて、吸い込まれる瞬間にたどり着かないんだそうです。</p>
<p>・・と、いうことは、ブラックホールに吸い込まれていく人が、周りを見渡すと（そんな余裕はないかもしれないけど）、すごいスピードで宇宙が年取っていくのが見えるはずです。なにしろ、周りから見ると、時間の進みがゼロなわけだから、逆に吸い込まれる側からまわりを見ると、無限大の速さで時間が進んでいくわけです。</p>
<p>だから、ブラックホールに吸い込まれる人は、宇宙の終わりまで見ることができるのかもしれないというわけです。</p>
<p>【その３】ビッグバンの時、宇宙は、光より速く膨張したことがある。</p>
<p>最近の物理学では、そういうことになっているのだそうです。なんでも、ビッグバンで宇宙が始まった瞬間のほんのちょっとの間にインフレーションとものが起こり、光より速く宇宙が膨張したのだそうです。・・んー、よくわからん。</p>
<p>【その４】恵比寿と代官山は近い。</p>
<p>オフィスが恵比寿に移ったのですが、代官山とこんなに近いとは知らなかった。恵比寿から代官山まで、歩いて１０分かからないんですね。恵比寿から電車で代官山まで行くとすると、JRで渋谷まで出て東横線に乗り換えるか、宮崎あおいさんでおなじみの東京メトロの日比谷線で中目黒まで行って東横線に乗り換えるという手があるのですが、たぶん、歩くのとたいして変わりがないのでしょうね。</p>
<p>【その５】お米をふくろにつめて電子レンジでチンとするとカイロ代わりになる。</p>
<p>これは、友達夫婦から教わったのですが、お米を布の袋に詰めて電子レンジで２分ほどチンすると、しばらく暖かいんです。友人の奥さんが作ってくれて、実際にやってみたのですが、首に巻いて寝ると心地よいです。</p>
<p>【その６】秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。</p>
<p>生物学の話です。生命とは不思議なものです。なにしろ、例えば、人間の体は、基本的に水とタンパク質（と脂肪？）でできているわけですから、放っておくとすぐに腐り始めるわけです。これは、物理学の中のエントロピーの法則「秩序は、無秩序に進む」にも合致します。それなのに、人間の生命が８０年程度維持できて、しかも成長していくというのは、ニュートン先生が発見したこの大法則に反しているようにも見えます。</p>
<p>生命が維持され成長する秘密は、細胞が劣化する前に壊され、新しい細胞と入れ替わるからなのだそうです。新陳代謝は大切なわけですね。どうも最近代謝が悪いような気がしますが・・。</p>
<p>【その７】量子コンピュータというものが研究されている。</p>
<p>量子力学を応用した量子コンピュータというものが、次世代コンピュータとしてさかんに研究されているらしいです。しくみはさっぱりわかりませんが、情報の処理速度が大幅に速くなるのだそうです。ただし、時々間違いも起こる可能歳があるらしいです。</p>
<p>間違いが起こり得るところなんかを考えると、コンピュータは、ますます人間の脳に近くなるのかな？</p>
<p>【その８】アメリカでは、ポピュラースピリチュアリティというのが受けている。</p>
<p>最近アメリカでは、ポピュラースピリチュアリティという考え方が流行しているようです。要は、ポジティブシンキング系のことらしいです。アメリカのトランスパーソナル学会では、あまり取り上げていないのですが、人間性心理学会あたりではさかんに講演会やワークショップが開かれているのだそうです。</p>
<p>ポジティブシンキング系の考えは、まあ、それはそれでいいんですが、ポジティブなフィーリングじゃないとダメみたいな議論になるのは、よくないと思いますねぇ。ネガティブシンキングもネガティブフィーリングも重要だと思うんですよね。ネガティブシンキングやネガティブフィーリングをしっかりと見据えることにより、ポジティブシンキングやポジティブフィーリングが生まれることはたくさんあるわけですから。単にネガティブなものに蓋をするだけだと、かえって悪い影響が出てくるように思います。</p>
<p>【その９】数学者がフェルマーの定理を証明するのに、３００年以上かかった。</p>
<p>・・のだそうです。フェルマーの定理自体は、中学生レベルでも理解可能なのですが、それを証明するって言うのは、難しいんですね。これは、サイモン・シンの本を読んで知りました。</p>
<p>中学生レベルでも理解できてまだ解決できていない数学的問題はいくつかあるそうです。例えば、ゴールドバッハの予測「４以上の偶数は、２つの素数の和で表すことができる」というもので、例えば、４＝２＋２、６＝３＋３、８＝３＋５、１０＝５＋５・・ということです。ゴールドバッハの予測は、１００年以上数学者が奮闘しても、今現在解けていないのだそうです。</p>
<p>100年以上証明されることのなかったポアンカレ予想と呼ばれる難問（これは、中学生レベルでは、設問自体がとてもわからない）は、ロシアのべレルマンという数学者が、2002年～2003年にかけて解いたと言われているのだそうですが、当のベレルマンさんは、40歳という若さで、研究所をやめ、実家で母親の年金で生活しているのだそうです。天才は、大変だぁ・・。</p>
<p>【その10】「私は正直者です」という人が、本当に正直かどうかということは証明できない。</p>
<p>その人（Aさんとしましょう）が、本当に正直者であって、「私は正直者です」ということもあるでしょう。でも、Aさんがうそつきでも同じことを言うわけです。Aさんは、うそつきだから、「私はうそつきです」と言ったら、正直なことを言ったことになってしまいます。Aさんがうそつきであるならば、やはり「私は正直者です」と言わざるを得ないのです。</p>
<p>屁理屈の私は、論理学はけっこう好きなんですが、これには今まで気付かなかった。</p>
<p>【その11】出川哲朗は、レギュラーまったくなしで１０年以上お笑い界で生き残っている。</p>
<p>島田神助さんがTV番組の中で言っていました。そうだったら、すごいです。</p>
<p>ところで、ダチョウ倶楽部はどうなんだろう？</p>
<p>【その12】フィンランドの１５歳は、学力が高い。</p>
<p>2006年の学習到達度の調査結果では、フィンランドは、57か国中、科学的リテラシーが1位で、読解力と数学的リテラシーが共に2位だということです。ちなみに日本は、科学的リテラシーが5位で、読解力が15位、数学的リテラシーが10位でした。そのためか、フィンランドの中等教育に関する本や、講演会がけっこう多いんですね。フィンランドを参考にする程度ならいいとは思いますが、あんまりシリアスにとらえない方がいいんじゃないかな？</p>
<p>【その13】３階がなくて４階がある建物があった。</p>
<p>札幌出張に行った時、そういうビルがありました。なんでだろう？？？</p>
<p>【その14】彗星の尾っぽはふたつある。</p>
<p>一つだと思っていたのですが、そうじゃないらしいです。彗星は太陽に近づいてガスと塵を放出するのですが、太陽風と磁場に影響されるガスと、彗星の軌道に沿って進む塵のふたつの尾ができるのだそうです。</p>
<p>【その15】サンドバックの中身は、砂じゃなかった。</p>
<p>布が詰まっているのだそうです。</p>
<p>【その16】近視が自然に治る人がいる。</p>
<p>レーシックじゃなくて、自然に治ってしまう人がいます。私の友人の一人がそうです。また、解離性同一性障害の人の交代人格の中には、視力の違う人もいるらしいと言うことを聞きました。</p>
<p>【その17】真珠湾の水深は12メートル。</p>
<p>これは、加藤陽子さんの本を読んで知ったことです。真珠湾攻撃の時、日本側の戦闘機は海上で魚雷を落下させ、停泊しているアメリカ側の戦艦や空母などを攻撃するわけですが、当時の常識では、真珠湾の水深が12メートルと浅いため、それは不可能とされていました。戦闘機から魚雷を落とすと、魚雷は一度60メートルの深さまで沈んだ後に浮上し、目標物に向かっていくというのが、そのころの常識だったわけです。</p>
<p>しかし、日本軍は、水深12メートルでも魚雷を目標物に当てる練習を、地形が似ている鹿児島湾でしたんですね。また、確か何年も前に読んだ三好徹さんの「興亡と夢」という本の中に、魚雷にも羽のようなものをつけて深く沈まないようにしたということが書いてあったように記憶しています。</p>
<p>真珠湾攻撃の良い悪いは置いておいて、当時の日本は、技術的にはすごいことをしてたんですね。</p>
<p>また、アメリカ側では、日本の暗号を解読していたはずなのに、真珠湾でなんの準備もしていなかったことをかねがね不思議に思っていたのですが、理由がわかったように思います。要は、アメリカとしては、戦艦や空母を真珠湾の中に停泊させておけば、12メートルの水深なのだから、魚雷攻撃されても大丈夫と踏んでいたのでしょうね。</p>
<p>【その18】頭で反応していたら、ピッチャーのボールは打てない。</p>
<p>ピッチャーが投げる瞬間、目でボールの握りを確認し、球種とコースを予測し、それを神経を通じて腕、腰、両足など身体の各部分に情報を伝達し、その情報をもとにバッターがバットを振るとなると、情報の伝達に時間がかかり過ぎ、プロのピッチャーのように140㎞ものスピードがあると、どうしても振り遅れてしまうのだそうです。ですから、なんでイチロー選手があんなにヒットが打てるのかは、今のところわかっていないのだそうです。</p>
<p>【その19】腸内の細菌の数は、人間の全身の総細胞数より多い。</p>
<p>人間の細胞の数が６０兆個というのは知っていましたが、腸内に巣くっている細菌の数がそれよりはるかに多いと言うのには驚きました。腸内細菌の数は、１２０兆～１８０兆個もあるのだそうです。細菌は、ただ巣くっているだけではなく、人間が生きて行くのに必要なのだそうです。こうなると、人体はひとつの宇宙ですね。福岡伸一さんの「科学者たちはなぜ見誤るのか？」という本で知りました。</p>
<p>【その20】見出しは、「デモは終わった、さあ就職だ」</p>
<p>60年安保の直後の週刊文春の記事の見出し（正確には第2段）は、「デモは終わった、さあ就職だ」だったのだそうです。半藤一利さんの本「昭和史戦後編」から知りました。当時、そーゆー見方もあったんですね。</p>
<p>【その21】嵐は、デビュー以来１０年紅白に出場していなかった。</p>
<p>年末これだけTVで言われればねー。</p>
<p>【その22】チャーチルは強運の持ち主だった。</p>
<p>第二次世界大戦中、チャーチルは急死に一生を得たことがあるのだそうです。チャーチルが乗っていた車がドイツの爆撃を受け、車の左側が大きく損傷を受けるということがありました。いつもは右側の座席に座るのが習慣だったチャーチルが、なぜかその日は左側に座っていたおかげで難を逃れたのだそうです（「本当にあった戦争の話」より）。</p>
<p>【その23】量子力学の世界では、多世界解釈が脚光を浴びている。</p>
<p>「神はサイコロを振りたまわず」というのは、アインシュタインが量子力学に対して言った言葉です。彼は、確率論的に解釈する量子力学に違和感を覚えたのでしょうね。</p>
<p>その量子力学の世界では、多世界解釈なる理論が研究されているようです。要は、世界は事象があるごとに枝分かれしていくという理論なのだそうです。サイコロを振って１の目が出れば、１の目が出たという前提で進んでいく世界に、２の目が出れば、２の目が出たと言う前提で進んでいく世界に・・という具合に、世界がどんどん生産されていくわけです。・・ということは、私が今日スリランカカレーではなくて、駅前のカレーうどんを食べようと決意したとたん、世界が変わると言うことですよね。ムムム・・。</p>
<p>【その24】2ミリの蘭が咲いた。</p>
<p>この12月4日、エクアドルで、幅2ミリの蘭の花が咲いているのが発見されたのだそうです。世界最小とのことです。</p>
<p>・・と、言うわけで今年もいろいろなことを学びました。</p>
<p>（第31回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その３０　どーも違和感のある言葉</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 14:16:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その３０】どーも違和感のある言葉
カウンセリングの業界で使われる言葉で、どーも違和感のある言葉があるんです。
まあ、私はひねくれものだから・・。
例えば、「癒し」です。わかるんですけどね。あんまり「癒し、癒し」って言わ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その３０】どーも違和感のある言葉</span></strong><strong></strong></p>
<p>カウンセリングの業界で使われる言葉で、どーも違和感のある言葉があるんです。</p>
<p>まあ、私はひねくれものだから・・。</p>
<p>例えば、「癒し」です。わかるんですけどね。あんまり「癒し、癒し」って言われると、もし、私がクライアントだったら反発しちゃうかもなんて思ってしまいます。「私は、癒していただかなくてもけっこうですっ！問題が解決すりゃぁいいんですっ！」みたいなこと言ってしまうかもしれません。「癒し」を強要されているみたいで嫌になってしまうかもしれません。それに、そもそも、カウンセリングというのは、自分に向き合うというプロセスがあるわけで、少なくとも途中経過では「苦しさ」もあると思います。気持ちよく癒される目的だったら、温泉やエステに行った方が「癒される」ようにも思うのですが・・。さらに言えば、「癒される」というよりも「すっきりする」っていう解決もあるような気もしますしね。</p>
<p>「癒し」と同じく、普通は動詞で使われるのに名詞化されているのが、「気付き」ってやつですね。「どんなことに気付きましたか？」って言うのが普通だと思うのですが、「どんな『気付き』がありましたか？」なんて言われると、ぞっとしちゃう。なんだか、大仰な「気付き」を述べなきゃいけないって気持ちになっちゃいます。</p>
<p>「ちょっと気分が楽になりました」なんてことは、あまりに小さいことで、「気付き」というものに当てはまらないんじゃないかなんて考えてしまうかもしれません。しかし、そういう小さな「気付き」も大事なんです。・・おっと、「気付き」って使ってしまった！</p>
<p>それから、「共感」っていうのもねぇ。普通は使わないですよね。共感とは、「他人の気持ちを自分のことのように感じること」と定義されます。そのへんの感覚は、日々の生活の中でも感じることなのですが、なんとなく「共感」って言われると、なんだか特別なことに感じられてしまいます。</p>
<p>「共感」はカウンセリングの専売特許じゃないわけで・・。</p>
<p>また、カウンセリングは「共感」だけでは成り立たない場合も少なくないんですよ。「直面化（コンフロンテーション）」と言って、これまで避けていた自分のテーマに直面するプロセスも重要なんです。そして、直面化の後にやっと共感が生まれるなんてこともいっぱいありますからね。</p>
<p>私がクライアントだとして、カウンセラーに怒りを感じていたとして、ありったけの罵詈雑言、例えば「あんたは、最低のカウンセラーだ！」をぶつけたとき、カウンセラーが「あなたの怒りももっともですね」なんて共感のふりをされたらたまらないです。共感（にせ共感）の乱発はやめてほしいと思うでしょう。</p>
<p>「傾聴」っていうのも、どうも好きになれない。</p>
<p>要は、「よく聴く」ってことでしょ？それを、「傾聴」なんて言っちゃうと、なんだか特別なカウンセリングテクニックみたいに聞こえてしまいます。普通のことなんですよ。相手の話をちゃんと聴こうと思ったら、みんな自然に「傾聴」になるんです。</p>
<p>「転移」、「逆転移」というのも、うさんくさい。</p>
<p>転移とは、クライアントがカウンセラーに感じる感情や思考などのあらゆる反応、逆転移とは、その逆でカウンセラーがクライアントに対して起こす反応のことを示します。ちなみに、転移、逆転移にはさまざまな定義があって、ここで示したのは、実存主義セラピーの大御所ヤーロムが主張している定義です。</p>
<p>この「転移」、「逆転移」はだいたい、「クライアントはカウンセラーに転移を起こしていますね」とか、「それは、カウンセラーの逆転移ですね」などと使われます。・・何を言っているのかわからない・・。そういうことを言う方は、たいていの場合、恋愛感情のことを指しているみたいですけど、そうだったら、そう言えばいい・・。</p>
<p>さらに言えば、病名も嫌いですね。「双極性障害ですね」とか、「ＤＩＤ（解離性同一性障害）の典型的な症状ですね」とか、「ＡＤＨＤですね」なんて、もし言われたら、なんとなく嫌だな。病名じゃないけど、「ＡＣですね」とか「共依存ですね」も嫌ですね。私は、どうもレッテルを貼られるのが嫌いなんです。</p>
<p>「そんなわけのわからないレッテルで、私のことなんかわかるもんか！」って気持ちになってしまいそうです。</p>
<p>うつだろうが、不安だろうが、その根底にある状況を表すことはできません。同じトラウマを受けたって、ある人はうつになるだろうし、ある人は不安になるということです。薬を選ぶ精神科医にとっては必要な区別かもしれませんが、カウンセラーにはあんまり必要ありません。</p>
<p>器質的な問題がかかわるもの、例えば「自閉症」とかは、うつや不安と同列にはできないので、ある程度仕方がないのですが、レッテルを貼るというのは、どうも好きになれないですねぇ。</p>
<p>もちろん、病名を聞いて安心する人もいますから、そういう人にはお伝えした方がいいですけどね。例えば、「なんだかわからないけどやる気がない」という人に「うつ」という病名を伝えた方が、本人が納得するし安心するみたいな場合ですね。</p>
<p>カウンセラーが一般向けのセミナーをやる時に、「癒し」だとか「気付き」だとか「共感」だとか「気付き」などの専門用語？は、必要最小限にした方がよいと思います。また、病名を説明する時、器質的な原因のもの以外は、「これは便宜上のもので、病名自体にはあまり意味がない」ということを伝える必要があるでしょうね。</p>
<p>ある日、事例研究会というものに参加したら、参加していたどこかの先生が発表者に対して、「その事例ではロールはやらなかったのですか？」と聞いていました。私は、「ロール」とは、「ロールプレイ」のことかと思ったのですが、それは、とんでもない間違いで、「ロール」とは、「ロールシャッハテスト（心理テストの一種）」のことなのだそうです。勝手に略さないでよ！！って言いたいです。</p>
<p>専門用語の羅列は、なんか、現実に起こっていることと遊離してしまっているような気がしますし、カウンセラー側からの「私、その筋の専門家です」というえらそーな感じを受ける人もいるかもしれません。だいたいわざわざそんな言葉を使わなくったって説明は可能ですし、そっちの方がわかりやすい。</p>
<p>私は、もっと普通の言葉でカウンセリングを伝えたいと思っています。</p>
<p>（第30回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会　事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
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		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その２９　そんなことをしていいなんて誰が言った？！</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1561</link>
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		<pubDate>Wed, 18 Nov 2009 01:48:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２９】そんなことをしていいなんて誰が言った？！
小学校４年か５年の時、私は、友人たちとよからぬことをして、先生に激しく怒られたことがあります（まあ、しょっちゅう怒られていたのですが・・）。確か、自作のロケットを屋上 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２９】そんなことをしていいなんて誰が言った？！</span></strong><strong></strong></p>
<p>小学校４年か５年の時、私は、友人たちとよからぬことをして、先生に激しく怒られたことがあります（まあ、しょっちゅう怒られていたのですが・・）。確か、自作のロケットを屋上から飛ばしているのがばれた時だったと思います。ちなみに、自作ロケットの作り方は、キケンなので、ここではお伝えしません。</p>
<p>その時、先生が、「そんなことをしていいなんて、誰が言った！」とえらい剣幕で怒っておられました。私にとって先生に怒られるのは日常茶飯事だったので、なんということもなかったのですが、その時の記憶を鮮明に覚えているのには、理由があります。</p>
<p>私は、先生の「そんなことをしていいなんて、誰が言った！」という言葉にひっかかちゃったんです。先生は、顔を真っ赤にして怒っていたのですが、私の頭の中は、「？マーク」でいっぱいになりました。</p>
<p>「？マーク」の元凶は、「していいと言われたことしか、やっちゃいけないのか？」という疑問で、その疑問から、「だとしたら、『これから、勉強していいでしょうか？』といちいち聞いて許可を得なければならないのだろうか？」、「いやまてよ、『息をしてもいいですか？』とも聞かなければならないのか？これじゃぁ、死んでしまう・・」などなど、先生のお説教はそっちのけで、あれこれ考えていました。私にとっては、先生は、まるで昔のサイレント映画のように口をパクパクさせているように見えていました。</p>
<p>そのとき、「あっ！」とひらめいたんです。「『してよいこと』は、決めることができないんだ！」ということです。別な言い方をすると、「規則として決められるのは、『してはいけないこと』だけ」なのではないかということです。</p>
<p>だけど、例えば、野球で打者が打ってセーフになろうとするのであれば、１塁に向かうわけで、規則としては、「１塁に向かわなければならない」ということになります。</p>
<p>そうすると、「『してはいけない』だけではなく、『しなければならない』も規則になるのではないか？」ということが、私の中で新たに疑問として浮かびました。しかし、それも簡単に解決します。「打者は、打った後、セーフになろうと思ったら、１塁に向かわなければならない」は、「打者は、打った後、セーフになろうと思ったら、１塁以外に向かってはならない」と言い換えることができるわけで、結局、規則は、全て『してはいけないこと』に集約されます。</p>
<p>私は、この発見に夢中になりました。</p>
<p>まったく話を聞かずにそんなことばかり考えていた私に、先生は気付いたんでしょうね。先生は、言いました。</p>
<p>「向後、おまえ、聞いているのか？！」、「何を考えているんだ！」</p>
<p>それで、つい・・・、私の「大発見」をしゃべっちゃったんですね。結果は火を見るより明らかです。先生は激怒し、他の二人が許されたのに、私だけさらにお説教を食らうことになりました。</p>
<p>やれやれ。</p>
<p>まあ、先生には怒られちゃったけれど、その時の私の「大発見」は、正しいんじゃないかと思うんですね。</p>
<p>『していい』ことを決めていったら、窮屈でたまらない。</p>
<p>なんでこんな昔の小学校の４、５年のころのとほほな経験を思い出したのかと言うと、それには、きっかけがあるんです。</p>
<p>新人のカウンセラーは、ベテランカウンセラーから、スーパービジョンを受けるものなのですが、時に、「私が受けていたのとはえらく違うスーパービジョンを受けているなぁ」と思う例があるんですね。ある新人カウンセラーが、自分の思いつきでなんらかのアプローチをしたとき、スーパーバイザーから、「そんなことをして良いなんて言っていない」って言われたという話を聞きました。そして、その新人カウンセラーが試みたことは、私には別に悪い方法には思えませんでした。</p>
<p>逆に私は、そのスーパーバイザーが、なんで、「そんなことをして良いなんて言っていない」という言葉の矛盾に気付かないんだろうと疑問に思いました。そして、その言葉の背景には、「自分のやり方以外は許さない」という傲慢なコントロールの意思があるように思えます。</p>
<p>ちなみに、私はアメリカ時代合計８人のスーパーバイザーにつきましたが、こんな言い方をする人は、ひとりもいませんでした。</p>
<p>だいたい、スーパーバイザーが許可する方法だけ採用して良いなんてことになったら、新人カウンセラーは委縮してしまうでしょう。そうしたら、クライアントさんのケアよりもスーパーバイザーに怒られないことを優先してしまうかもしれないじゃないですか。</p>
<p>もちろん、師匠の型を真似ると言うのは、新人には必要な部分もあるかと思いますが、型にはめすぎて、新人の新鮮なアイデアをつぶしてしまったら、もったいない。</p>
<p>基本的に、「規則」というのは、少ない方がいいと思います。特に、人対人のかかわりのなかで動いていくカウンセリングみたいな分野にはね。なにしろ、クライアントさんひとりひとり違うのですから・・。</p>
<p>カウンセリングにおいては、「クライアントさんを傷つけない」という規則（厳密には倫理ですが）が、最優先されなければならないものであって、もし傷つけてしまった時などには、「カウンセラーは、クライアントさんに対して、屁理屈を言って自分をごまかしてはならない」というのが、大事な姿勢になります。</p>
<p>その原則さえきちんと守っていれば、クライアントさんのプロセスは自然に進んでいくのですから。</p>
<p>あまり「こうしなければならない」という教育をしていると、かえってクライアントさんのプロセスを邪魔しちゃうのではないかなと思います。</p>
<p>（第29回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
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		</item>
		<item>
		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その２８　山本迪夫さんのこと</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1541</link>
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		<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 14:17:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２８】山本迪夫さんのこと
最近、松田優作さんのＤＶＤが発売になったことを、ＴＶで知りました。探偵物語なんかもよく見てたし、遺作となったブラックレインはかっこよかったですね。
僕がはじめて（ＴＶで）松田優作を見たのは [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２８】山本</span></strong><strong><span style="text-decoration: underline">迪夫</span></strong><strong><span style="text-decoration: underline">さんのこと</span></strong><strong></strong></p>
<p>最近、松田優作さんのＤＶＤが発売になったことを、ＴＶで知りました。探偵物語なんかもよく見てたし、遺作となったブラックレインはかっこよかったですね。</p>
<p>僕がはじめて（ＴＶで）松田優作を見たのは、「太陽に吠えろ」です。彼の殉職シーンとそのときのセリフ「なんじゃ、こりゃー？！」は、当時とても話題になりました。その松田優作さんの殉職シーンを撮ったのが、山本迪夫監督です。</p>
<p>山本さんとは、家が近くだったこともあり、我が家にも時々訪ねてこられ、僕が小さいころからいろいろとお世話になりました。いつもブルーのサングラスをかけていて、情熱的に映画やＴＶのことを話していたかと思うと、ちょっとした冗談を言って、はにかんだような笑みを浮かべる方でした。ＴＶで松田優作さんのＤＶＤを紹介している番組を見ていて、山本さんのことがなつかしく思い出されました。</p>
<p>山本さんは、2004年8月23日にがんで亡くなりました。</p>
<p>その数ヶ月前に、僕は、山本さんに偶然出会いました。その時、僕は実家を訪ねていたのですが、たまたま妻と散歩をしていて隣の駅まで歩いていた時、山本さんと奥様に偶然会ったのです。山本さんは、その時すでにがんが発見されていて、闘病生活を続けられていました。しかし、偶然僕らがお会いした時、とてもお元気そうだったのです。山本さんは僕らを発見すると、「やあ」と例のはにかみ笑いで手を振り、「ちょっとあがっていかないか」と言ってくれました。僕らは、一も二もなく、お宅におじゃまさせていただきました。</p>
<p>僕らは、リビングに案内されました。そして、リビングのテーブルには、大きな江戸の地図がありました。博学な山本さんは、「ここが薩摩藩邸で・・」などと、僕らに説明してくれました。外様の藩邸は、大きいけれど、江戸城から見ればちょっと外側にあるということを、その時初めて知りました。その詳細な地図は、山本さんの同級生が作ったものなのだそうです。山本さんは、「次は、時代物を撮りたいんだよ」と、その構想を僕らに語ってくれました。</p>
<p>僕らは、とても楽しいひと時を過ごしました。</p>
<p>それから、数カ月後、山本さんは、帰らぬ人となりました。</p>
<p>僕らがお会いした時、山本さんはとてもお元気そうにしていたのですが、実はがんが進行していたのだそうです。１ヵ月後山本さんは入院し、その後は、もはや緩和ケアしか選択がない状況でした。毎日痛み止め（それは、やがてモルヒネになったのだそうですが）の点滴を打つ毎日でした。</p>
<p>その日、山本さんは、とてもすっきりした顔をされていたそうです。そして、看護師に、「頭をクリアにしたいから、しばらく点滴を止めてくれないか」と言ったのだそうです。点滴を止めると、痛みがぶり返すのではないかと医師も看護師も心配したのですが、山本さんの決意は固く、結局、しばらくの間モルヒネの点滴を止めることになりました。</p>
<p>点滴を止めた後、山本さんは、傍らに置いてあった本、司馬遼太郎の「覇王の家」をとりだし、一心に読み始めたのだそうです。「覇王の家」は、徳川家康の物語です。山本さんの前には、あの江戸の地図はありませんでしたが、彼の頭の中には、あの江戸を作り日本の覇者となった徳川家康の姿がありありと浮かんでいたのではないかと思います。やがて、本を置き、少し間をおいて山本さんは、「もういいよ」と言いました。そして、モルヒネの点滴が再開され、山本さんは、そのまま息を引き取られました。</p>
<p>山本さんは、最後までご自分の次回作の構想を練っておられたのではないのでしょうか。</p>
<p>「もういいよ」と言った時、山本さんは「覇王の家」をモチーフとした作品を完成させたのでしょう。そして、満足して息を引き取られたのではないかと思います。「覇王の家」のラストシーンが、彼にははっきりと浮かんでいたのではないかと思います。</p>
<p>山本迪夫さんは、最後までかっこいい人でした。</p>
<p>（第28回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
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		<item>
		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その２７　ﾌｨﾝﾗﾝﾄﾞで中等教育そしてﾊｰﾊﾞｰﾄﾞへ！</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1519</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1519#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 19 Oct 2009 09:46:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２７】フィンランドで中等教育そしてハーバードへ！ 
とあるお店で、昼すぎにコーヒーを飲んでいた時のことですが、隣で、主婦の方がおふたりお話をされていたのを、それとはなしに聞くことがありました。
彼女たちは、子供の受 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２７】フィンランドで中等教育そしてハーバードへ！</span></strong><strong> </strong></p>
<p>とあるお店で、昼すぎにコーヒーを飲んでいた時のことですが、隣で、主婦の方がおふたりお話をされていたのを、それとはなしに聞くことがありました。</p>
<p>彼女たちは、子供の受験の話をされています。カイセイだの、アザブだの、ワセダだの、ケイオーだのと、名門校の名前がポンポン出てきて、まあにぎやかです。話の中に７２とか７３とかの数字が、出てくるのですが、偏差値のことなんでしょうね。それにしても、よくご存じなので感心します。</p>
<p>まあ、こうした会話はよく耳にすることで、興味もないので、私は持ち歩いていた文庫本を読んでいたのですが、そのうち、「えっ？！」と思う言葉が（主婦のおふたりの方から）飛び込んできて、思わず、文庫本から目を離してしまいました。</p>
<p>私が驚いた言葉は、「中学浪人」という言葉です。</p>
<p>彼女たちの話によれば、最近よりよい高校に進学するために、浪人する子供がいるそうなのです。それを「中学浪人」と言うのだそうです。最初、小学校を卒業した子が志望校に入るために浪人するのかと思ったら、そうじゃなくて、中学を卒業した子が浪人することを「中学浪人」と言うのだそうです。</p>
<p>今、私立有名校が受験に有利ということもあるし、名門大学にエスカレーター式に進学できる学校は、相変わらず人気なのでしょうね。しかし、中学浪人とは・・。</p>
<p>彼女たちのお話に耳をそばだててみると、高校に進学しながら、よりレベルの高い学校を受けるために、一応受かった高校には進学手続きをするのですが、それは、みかけだけで、実は中学浪人している子供が増えているのだそうです。</p>
<p>「●▲さんの息子さんも＠＊高校に進学しながら勉強して、1年遅れでワセダに入りなおしたのよ」、「いいところ入るためなら、中学浪人もありよね」などなど、まあ、にぎやかです。あげくのはてには、「大学は、ワセダ、ケイオーぐらいには入ってほしいわよね」だそうです。とほほですね・・、まったく。</p>
<p>ワセダやケイオーに入るのはどれだけ大変なことなのかわかっているのでしょうか？そして、自分たちが受験で苦労したことをすっかり忘れちゃっているのでしょうか？簡単に、「・・ぐらい」って言っちゃうんですからね。彼女たちの子供たちがストレスでつぶれなきゃ良いのですが・・。</p>
<p>そもそも、大学を出てからの方が、人生長いのだし・・。</p>
<p>お受験は、それだけにとどまりません。次々に新手が現れます。<br />
去年の年末、朝日新聞だったと思いますが、最近、東大ではなく、ハーバードやエールなどの海外の大学をめざす日本人が増えてきたとのことで、そのための予備校もあるという記事を読みました。</p>
<p>その記事を読んで、そのうち、「西海岸なら、スタンフォードかＵＣ校、東海岸ならアイビーリーグかＭＩＴぐらい入れなきゃね」なんて会話が飛び交うんじゃないかと思っていたのですが、どうやら、冗談じゃなく、本当にそんな時代になりつつあるみたいです。</p>
<p>私は、最近「カウンセラーへの長い旅」という本を出したのですが、いざ出版すると、売れ行きが気になるもので、ちょこちょこアマゾンのランキングなんかをチェックしています。ランキングを見ていると、いろいろな発見があります。</p>
<p>私の本は、「海外教育・留学」や「留学ガイド」部門に分類されているのですが、その部門にリストされている本の中で、「5歳からはじめるハーバード留学準備」なんて題名を見つけたりして、いやはや驚いています。中身がどんな本なのかは知りませんが、5歳からそんなことを目標にするんですかねぇー。んーーー。上位ランクの中に、けっこう「ハーバード本」が多いですねー。</p>
<p>アメリカは大学名で学校を選ぶ人も、そりゃーいますけど、少数なんですがね。多くの学生は、「何を勉強したいから○◎大学」とか、「＠％＄先生の下で勉強したいから■◆大学」という選び方をするケースが多いと思います。「学部はどこでもいいから有名大学に」という強迫的な選び方は、アメリカにいたとき、私の周りでは聞いたことがありませんでした。</p>
<p>「ハーバード本」以外で目につくのが、フィンランド教育関係の一連の本です。どうやら、フィンランドは教育レベルが高く、15歳の学力が世界一なのだそうです。</p>
<p>なんでも、2006年の学習到達度の調査結果では、フィンランドは、57か国中、科学的リテラシーが1位で、読解力と数学的リテラシーが共に2位です。ちなみに日本は、科学的リテラシーが5位で、読解力が15位、数学的リテラシー10位です。</p>
<p>そのためか、フィンランド教育関係の本が、アマゾンの「海外教育・留学」部門でのきなみ上位に君臨しているんです。謙虚に「海外に学べ！」というのは、明治以降日本の得意分野ですし、それはそれで、有意義だとは思います。多くの本は、教育関係者が参考にするための目的で書かれたものなのでしょう。しかし、中には、子供の留学体験の本もちらほらありました。</p>
<p>ひょっとして、そのうちフィンランドの小中学校に、日本人の子供が大挙しておしかけるなんてムーブメントが起きるのではないかなんて思ってしまいます。</p>
<p>「フィンランドで中等教育を受け、めざすは、ハーバード！」なんてキャッチコピーができるのかも？？</p>
<p>日本のお受験もグローバル化？？？</p>
<p>いいのかな？これで・・。</p>
<p>（第27回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>おじんカウンセラーのとほほ通信　その２６　見えない虐待</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1494</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1494#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 05 Oct 2009 10:54:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[少し前になりますが、高校生の起こしたある事件について、週刊誌が「事件の陰に母親の溺愛」と報道していて、「あーまたか」という気持ちになりました。あまりにワンパターンな表現ですよね。
マスコミは、紋切り型に「母親の溺愛」など [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>少し前になりますが、高校生の起こしたある事件について、週刊誌が「事件の陰に母親の溺愛」と報道していて、「あーまたか」という気持ちになりました。あまりにワンパターンな表現ですよね。</p>
<p>マスコミは、紋切り型に「母親の溺愛」などと興味本位に書いてしまうのですが、私は、「母親の溺愛」が、問題の本質ではないと思うんです。</p>
<p>親子関係がゆがんでいる場合、溺愛という表面的な行為があるとしても、その背景に、過干渉、理想のおしつけといった過度なコントロールが存在します。そのコントロール自体が問題の本質です。</p>
<p>なにしろ、最近子供はけんかしないらしいですからねー。けんかしそうになると、親をはじめとしておとなが寄ってたかって止めてしまうみたいで・・。もちろん、怪我しちゃまずいのでしょうが、少々ほったらかしにしといてもいいんじゃないかと思うのですが・・。昔は、「子供のけんかに親が出る」なんてばかにされたものなのですがねぇー。</p>
<p>また、学校でいじめの問題などがあって、いじめている側を学校が注意しようものなら、モンスターペアレントとか呼ばれる親が、学校に抗議するらしいですからね。</p>
<p>とにかく、危険がないようにおとなが露払いしちゃうんですね。これじゃあ、危機対応能力なんて育ちようがありません。</p>
<p>それだけでなく、そうした過干渉で、無菌状態にしながら、同時に親の理想を、過度に子供に押し付けるといったことが、しばしば見受けられます。</p>
<p>不安の時代の反映なのでしょうか？経済の先行きも不透明だし、格差社会はひそかに拡大しているしという背景があり、その結果、「自分の子だけは、なんとかしなきゃ・・」という意識が強くなってきているのでしょうか？</p>
<p>この過干渉と理想の押し付けといったコントロールは、何も母親に限ったものではなく、父親にもそういう傾向があり、その傾向が近年多くなっているのではないかと思います。だから、「母親の溺愛」という言葉でくくってしまうと、本質が見えなくなると思うんです。</p>
<p>そもそも、親と言うのは、適度に手を抜く、あるいは失敗する方が、子供の成長にとって望ましいといわれています。しかし、これだけ社会が不安になると、なんとか完璧に子供を育てようという傾向が強くなってしまうのかもしれません。完璧に育てれば、子供は、やがて良い学校に進学し、安定した会社に勤めることができ、あるいは、食いっぱぐれのない資格を持つことができ、その結果人生における安全が確保できると考えているのでしょうか？でも、それは、幻想です。</p>
<p>さて、それでは、完璧に理想的な子供に育てようとしてしまったら、子供の内面は、どうなるのでしょうか？</p>
<p>実は、「完璧」というものは存在しません。「理想的」と言ったって、それは、親にとって都合のよい物かもしれませんが、子供にとって「理想的」とは限らないでしょう。要は、「完璧」も「理想」も、親が勝手に思い込んでいる幻想にすぎないと言ってよいでしょう。</p>
<p>完璧という思いに固執してしまうとき、そこには、無意識のコントロールが働きはじめます。理想を求めるあまり、子供を無意識に自分の思い通りに動かそうとしてしまうのです。清く正しく美しい子供の姿は、親にとっては喜ばしいものなのでしょうが、子供にとっては、居心地の悪いものになります。</p>
<p>子供は、残虐な部分もあります。思春期になれば、性的な興味も当然のごとく出てきます。しかし、そういう親たちは、子供の暗の部分をきちんと見ようとはしません。「暗の部分」といったって、それは、その親にとっての「暗」であるだけの話で、どんな子供にも存在するものなので、暗でもなんでもないのですが・・。</p>
<p>そうした親のもとでは、子供は、親の幻想である完璧さを演じざるを得ません。そうしないと、親からの愛を受けられないからです。</p>
<p>こうして完璧そうに見える家族関係ができあがります。例えば、子供は親に口答えせず、親がなにも言わなくてもせっせと勉強し、読む本は世界文学全集で、お笑い番組などには見向きもしません。</p>
<p>一見理想的な子供に見えても、実は、その内部では、親による無意識的なコントロールが存在しているわけです。このコントロールが行き過ぎた場合、それは、「見えない虐待」と呼ばれます。</p>
<p>親も、周囲の人たちも、そして、子供も、その実態がつかめないというのが、「見えない虐待」のこわさです。わかりにくいために、被害者には、だれも気づかないうちに大きな傷がついてしまいます。</p>
<p>その代表例が、「ダブルバインド」と「ミスティフィケーション」と呼ばれる、主に親から子になされる介入です。</p>
<p>「ダブルバインド」は、ほぼ同時に矛盾するメッセージを伝えるということです。「なんでも好きなことを言いなさい」と言われて、自分の意見を述べたら、「そういうことは、おとなになってから言いなさい」と言われてしまうような介入を指します。「ダブルバインド」を受けた子供が戸惑ってしまうのは、当然のことです。なにしろ親の言うとおりにしたら、逆に怒られてしまったのですから。「ダブルバインド」を受け続けると、自分が何を感じ何を考えているのかがわからなくなってしまいます。</p>
<p>「ミスティフィケーション」は、イギリスの精神科医R.D.レインが提唱していた概念で、子供の感情を搾取してしまう巧妙な介入です。例えば、子供の希望が明らかではないうちに、あるいは、子供の希望をまったく無視して、「○△クンは、女の子なんかには、興味ないんだよねー」なんて言ってしまうやり方です。こんなことを言われ続けたら、女の子にワクワクする気持ちは、罪悪として認識されるようになってしまいかねません。それって、とても不健康な状況ですね。</p>
<p>ダブルバインドやミスティフィケーションは、どこの家庭でも時には、行われると言ってよいでしょう。たまに行われるのなら、問題はほとんどないのですが、それがひっきりなしに行われてしまうと、深刻な心の傷を子供に与えます。</p>
<p>こうした介入を受けた子供たちは、他者（親）の心の動きに常に敏感になり、それに自分を合わそうとし始めます。その過程で、ワクワクした気持ち、反抗する気持ちなどは、罪悪感や自己嫌悪感、自責の念を伴うものとなり、その結果、自分の気持ちを抑え、やがて、それは、自分を失うといった感覚に至ります。子供たちは、他者の要求に答えようとして、必死に勉強したり、せっせと習い事に通い、けっして親に逆らわずに、不健全と言われるTV番組には目もくれず、自分の中の内的葛藤は微笑みでごまかすというようなことをしだします。</p>
<p>そうして、自己を失っていくにつれ、彼らの内面的な空虚感は、耐え難いものになっていきます。そのため、ますます、親の価値観に完璧に沿おうとします。そうでないと、自分が何者であるのか見失ってしまうような感覚に襲われるからです。</p>
<p>そのことに、親を含め周囲の人は、だれも気づかない場合が少なくありません。彼らが親の期待にたまたま沿うことができるとき、彼らは、完璧なよい子に見えるからです。そうした場合には、子供自身も、自分の心が搾取されていることに、ほとんど気づくことができません。</p>
<p>「見えない虐待」を受けてきた人は、親の期待に沿えなくなるとき、あるいは、自分のやり方が必ずしも世の中で通用しないことがわかってきたときに、目に見える形で危機をむかえます。その時、彼らは、自分の中の空虚感と直面せざるを得ません。それは、恐怖の体験です。自分の中心には何も無い・・そんな感覚に襲われます。そして、彼らは、どうやって、その危機を乗り越えたらいいのか迷い、途方にくれてしまいます。なぜなら、彼らは、それまでの人生で、自らの力を信じることを禁じられてきたからです。</p>
<p>ある人は、過呼吸になり、また、ある人は、空虚感を埋めるために過食に走り、また、自分の中のおぞましさを吐き出すかのように嘔吐を繰り返します。リストカットをする人もいるでしょうし、ひきこもる人もいるでしょう。もちろん、「見えない虐待」が原因でなくても、こうした状態に陥ることは多々ありますし、また、「見えない虐待」を受けた全ての人が、こうした状態になるわけではないことは、言うまでもないことです。</p>
<p>彼らが回復するのは、自分自身と再会したときです。他者からの期待は、自分自身の希望とは必ずしも一致しません。その違を受け入れ、自分の感覚や感情や希望を自覚し、自分が、けっして空虚な存在などではなく、生きるエネルギーに満たされた存在であることに気づいたとき、彼らは、やっとそれまでの苦悩から解放されます。</p>
<p>どうも、最近、「見えない虐待」が蔓延しているように思えます。</p>
<p>（第２６回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
]]></content:encoded>
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		<title>おじんカウンセラーのトホホ通信　その２５　前向き？後ろ向き？</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1471</link>
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		<pubDate>Mon, 21 Sep 2009 13:52:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２５　前向き？後ろ向き？】
以前、企業向けセミナーをやったとき、「前向き社員を作る」だかなんだかというテーマの副題が横断幕に書かれていて、その下に私の名前が「講師：向後善之」記されていました。
どうも、いけません。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２５　前向き？後ろ向き？】</span></strong><strong></strong></p>
<p>以前、企業向けセミナーをやったとき、「前向き社員を作る」だかなんだかというテーマの副題が横断幕に書かれていて、その下に私の名前が「講師：向後善之」記されていました。</p>
<p>どうも、いけません。</p>
<p>前向き社員なのに、講師の名前が、「向後」じゃねぇー・・。</p>
<p>私は、セミナーのまくらに、「前向き社員というテーマなのに、講師の名前が後ろ向きですみません」と一発ギャグをかましておきました。</p>
<p>向後という名前は、一発で覚えていただけるので、今ではありがたいのですが、小さい頃は、「後ろ向き」だとかなんとか言われてからかわれたものです。向後というのは、「後ろ向き」って意味じゃなくて、本来は、「これから先」と言う意味なんですがねぇ・・。</p>
<p>小学校の３、４年生の頃でした。私は、父に、「なんで、向後って名前なんだ？」と聞いたことがあります。</p>
<p>父は、私が、名前のことでからかわれたことに気づいたのかもしれません。</p>
<p>すぐに答えず、ハイライトに火をつけ、プカーッと一服した後、父は、語り始めました。</p>
<p>「よしゆき、壇ノ浦の合戦というのがあったのを知っているだろう？」と、父。</p>
<p>いきなり、話題が源平合戦に変わり、私は、「なんのこっちゃ？」と思いながらも、「知ってるよ、源氏と平家が戦ったやつでしょ？」と答えました。当時大河ドラマで義経をやっていて、それをかかさず見ていたものですから、そのくらいのことは知っていました。確か、最近亡くなった緒形拳さんが、弁慶を演じていたと記憶しています。</p>
<p>父は満足そうにうなづき、「我が向後家は、平家だった」と、いきなり衝撃的な（当時の私としては）ことを切り出しました。そして、その瞬間、私は、父の話に完全に引き込まれてしまいました。</p>
<p>「残念ながら、・・」　悲しそうな顔をして、父は、続けます。</p>
<p>「平家は、源氏に敗れた。それは、悲惨な戦いだった。我が向後家の祖先は、しかし、けっして、源氏の連中に背を見せなかった。</p>
<p>しんがりを務め、最後まで刀を抜いて平家と戦ったんだ」</p>
<p>私は、「しんがり」という意味が分からず、父に聞きました。</p>
<p>父は、にやりと笑みを浮かべ、「しんがりというのは、時に利あらずして（この辺芝居がかっています）、戦いが不利になり、涙をのんで撤退する時、一番後ろを守ることを言うんだ。しんがりは、一番犠牲が多い。だから、一番強い武将が務めるもんだ。秀吉も信長が危機に陥った時、しんがりを務めた」と言います。</p>
<p>私の頭の中では、「我が向後家」の祖先が名誉あるしんがりを務め、勇敢に戦うシーンがありありと浮かんでいました。</p>
<p>父は、さらに続けます。</p>
<p>「向後家は、源氏に向かって刀を抜きながら、壇ノ浦から千葉の銚子まで帰ってきたんだ。」</p>
<p>千葉県の銚子は、父の生まれ故郷（正確にはその近く）です。</p>
<p>私の頭の中には、我が祖先が、刀を構えながら勇敢にも壇ノ浦から千葉の銚子まで撤退していくシーンが浮かび、わくわくした感動を覚えたものです。</p>
<p>「向後一族は、いつか源氏に勝とうと決意し、千葉の銚子の地にありながら、武術にはげんでいたんだ。まあ、徳川幕府に対する薩摩・長州といったところだ」</p>
<p>父は、どうだと言わんばかりの顔をしていました。</p>
<p>私は、向後家が薩摩の島津家や長州の毛利家と同格だったという妄想を限りなく膨らましていました。そして、私の頭の中には、源氏への復讐を誓い、決して鍛錬を忘れない向後家の武将たちの姿が浮かんでいたものです。</p>
<p>純情だった私には、「ところで、向後家はその後、源氏をやっつけたのかい？」なんてやぼな質問は浮かびもしませんでした。</p>
<p>父は、最後に言いました。</p>
<p>「ちなみに、『向後』という字は、『これから先』と言う意味を持っているんだ」</p>
<p>私は、「向後」と言う名に、「これから先、いつか源氏をやっつけるぞ」という堅い決意があることを知り、感動したものです。</p>
<p>その後の私には、自分の名前に対する劣等感はなくなり、むしろ名誉に思えました。</p>
<p>しかし、その名誉ある向後一族のしんがりの話は、まったくのでたらめでした。そんな史実は、調べた限りありません。全部父の作り話だったのです。</p>
<p>壇ノ浦から銚子まで、刀をかまえながら帰って行ったなんてねー。あり得ません。しかし、当時小学生だった私には、壇ノ浦から千葉までの距離感なんてないですから、なんの疑問も持たず、父のほら話に聞き入り、不覚にもまるごと信じてしまったんですね。</p>
<p>おそらく父は、ハイライトをプカーッってやっているほんの一瞬に、この話を思いついたんでしょう。やるじゃねーか・・と、今では思います。</p>
<p>ちなみに、父の話の中で、「『向後』が、『これから先』という意味を持つ」というところだけは、本当です。広辞苑にも出てます！</p>
<p>後年、私は、この「向後」という名前に助けられたことがあります。</p>
<p>サンフランシスコで大学院を出た後、私は、ダメモトで、RAMSというカウンセリングセンターの試験を受けました。RAMSは、多文化に対応するサンフランシスコで最も大きなセンターで倍率が高く、その前年は、日本人の採用はゼロでした。ですから、受かる自信もなく、「だめだったら、日本に帰ろう」というつもりで受けました。</p>
<p>面接官（ディレクターとスーパーバイザー）は、ふたりとも中国系アメリカ人でした。</p>
<p>彼らは、「ヨシユキ」という私の名前に興味を持ったようで、その時、ディレクターのエベリンが、「『ヨシユキ』というのはどんな意味なの？」と聞いてきました。彼らは、日本人の名前には、何か意味があると思っていたのです。</p>
<p>私は、「Good Guy （良い奴）って意味です」と答えました。</p>
<p>すると、今度は、スーパーバイザーのフィリップが、「じゃあ、『コウゴ』というのは、どんな意味なんだい？」と聞いてきました。</p>
<p>私は、「『向後』は、Future（未来：これから先）という意味です」と答えました。</p>
<p>その時、私の中に、ピッとひらめくものがあったんです。</p>
<p>私は、続けました。</p>
<p>「だから、私の名前は、姓と名を併せると、”In the future I might be a good guy.（将来、いいやつになるかもしれない）”という意味になります」と、私が一発ジョークをかますと、エベリンもフィリップも腹を抱えて笑い出しました。</p>
<p>エベリンは、笑いすぎて涙を拭きながら、「じゃあ、今は、いい奴じゃないかもしれないのね？」と、私に聞いてきました。</p>
<p>私は、「だから、私を採用するのは、いい投資になりますよ」と答えたものです。</p>
<p>そのおかげかどうか、私は、RAMSに無事インターンとして採用されることになりました。「向後」という名前に救われたわけです。</p>
<p>（第２５回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
]]></content:encoded>
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		<title>おじんカウンセラーのトホホ通信　その２４　吉福伸逸氏インタビュー（５）</title>
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		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1462#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Sep 2009 10:37:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２４　吉福さんとの対談を終えて】
【インタビューを終えて・・向後善之】
吉福さんのお話は、いつも刺激的です。
吉福さんと私の間で最近よく話題になるのが、セラピストの過剰介入についてです。セラピストは、どうしても、「 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２４　吉福さんとの対談を終えて】</span></strong><strong></strong></p>
<p>【インタビューを終えて・・向後善之】</p>
<p>吉福さんのお話は、いつも刺激的です。</p>
<p>吉福さんと私の間で最近よく話題になるのが、セラピストの過剰介入についてです。セラピストは、どうしても、「私が、クライアントさんをなんとかしてあげなきゃ」という気持ちになりやすく、それが、過剰介入につながっていきます。</p>
<p>ある程度の介入は必要です。例えば、イメージを使ったり、認知行動的にアプローチしたり、アートを使ったりします。しかし、それが度を越してしまうと、ろくなことがありません。セラピー技法に耽溺してしまって、セラピストの自己満足に終始するセラピーになってしまったり、自分の考えをクライアントさんに押し付けてしまったり、クライアントさんをコントロールしてしまったりということが起こります。</p>
<p>そうなると、クライアントさんは、セラピストに依存してしまい、自分で考えて解決していくことをやめてしまうかもしれません。それに、そもそも、そういう過剰介入は、セラピストが、クライアントさんひとりひとりが、自分自身のテーマを乗り越えていく力を持っていることを忘れてしまっている状態で起こることです。これは、傲慢な態度であり、セラピストとして最も忌むべき姿勢です。</p>
<p>その結果、クライアントさんをより傷つけてしまうこともあるわけで、我々セラピストが、しっかりと自戒しなければならないことです。</p>
<p>そして、最も重要なセラピストとしての姿勢は、クライアントさんの前に、しっかりとそこにいるということでしょう。インタビューの中で、「道場に座る」という言葉で表わされる姿勢です。セラピストの中に、自己欺瞞や防衛がなく、ただ、クライアントさんといっしょにいるということに集中している状態だと、私は思います。</p>
<p>そのあたりの姿勢については、吉福さんから学ぶところがとても多く、ここ数年、吉福さんのセッションを手伝わせていただき、ありがたく思います。</p>
<p>インタビューの中で、「メロドラマ」という言葉が出てきました。これについて、若干説明を加えたいと思います。</p>
<p>人は、精神的な外傷を受けると、パターン化した思考・行動を繰り返すようになります。例えば、いじめを受けた人が、人から攻撃されないように、人との接触を避ける、あるいは逆に、攻撃的に人に対するというパターンを繰り返すことがあります。このように繰り返されるパターンは、反復強迫と呼ばれ、その多くは無意識的になされます。</p>
<p>さらに、精神的な外傷を受けた人は、その心の傷の痛みを共感的に理解してくれる人に出会ったとします。例えば、セラピストですね。</p>
<p>その人は、自分の心の傷が何に由来するのかに気付き、自分がいかに理不尽な仕打ちを受けてきたのかを理解し、そして、その傷が共感によって癒されることを知ります。これは、重要なプロセスで、こうした経験がなければ、心の傷を克服していくことは、なかなか難しいと言ってよいでしょう。</p>
<p>しかし、セラピーは、それだけでは、まだ不十分なのです。</p>
<p>ある種の人達は、癒されると言うことに耽溺してしまいます。例えば、「自分は、虐待を受けた不幸な人間だ」という自己憐憫に固執してしまいます。周りの人達は、彼らの悲しいストーリーを聴けば、それは、やさしく接してくれるでしょう。従って、そこには、ある種の心地よささえある場合があります。だから、そこで留まってしまう人達がいます。</p>
<p>そういう状態を、あるセラピストは、「悲しみ温泉」と名付けました。傷を受けた人は、だれもが「悲しみ温泉」に入ることがあります。しかし、いつか、そこから出なければ、その先の成長はなくなります。</p>
<p>セラピストの仕事というのは、「悲しみ温泉」に案内することもしますが、「悲しみ温泉」にいっしょにつかるのではなく、のぼせないようにそこから出ることも援助するというものです。インタビューの中で出てきた「過剰介入」は、クライアントさんを、ずっと温泉につからせてしまうことにもなってしまいます。</p>
<p>吉福さんのおっしゃる「メロドラマ」とは、この反復強迫から悲しみ温泉に至る、繰り返しのパターンのことを示すと、私は理解しています。</p>
<p>セラピストがクライアントさんといっしょにメロドラマを演じていたら、セラピーにもなんにもならないわけです。インタビューの中に出てきた、Co-miserate 、すなわち、傷のなめあいの状態になってしまうわけです。場合によっては、クライアントさんは、セラピストに過度に依存するようになってしまうでしょう。</p>
<p>このような状態になってしまったら、クライアントさんが、自分の力に気付き、自分の意思で動くと言うことを、セラピストが阻害することになってしまいます。すなわち、セラピストがクライアントさんの成長の機会を奪ってしまうわけです。</p>
<p>この辺は、セラピストと名乗る人達は、十分に自戒しておかなければならない点だと思います。</p>
<p>今回のインタビューは、ワークショップのあいまに、吉福さんに時間をいただいて行ったものです。インタビューの中にも出てきましたが、このインタビュー内容は、表現などを校正して公開しようとも思ったのですが、「てにをは」の修正ぐらいにとどめ、結局、ほとんどそのままお伝えすることにしました。</p>
<p>お忙しいところ、時間を割いていただいて、吉福さんには感謝しております。</p>
<p>（第２４回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>おじんカウンセラーのトホホ通信　その２３　吉福伸逸氏インタビュー（４）</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1431</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1431#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 07 Sep 2009 03:29:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２３　吉福氏との対談（４）】
向後
だから、なんか不測の思いがけない事態が起こった時っていう、その時がマキシマムな気がするんですよね。で、そっから例えばセラピストが、セラピストじゃなくてもいいんですけどね、近くにい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２３　吉福氏との対談（４）】</span></strong><strong></strong></p>
<p>向後</p>
<p>だから、なんか不測の思いがけない事態が起こった時っていう、その時がマキシマムな気がするんですよね。で、そっから例えばセラピストが、セラピストじゃなくてもいいんですけどね、近くにいる人が、道場に座るという感じで、そこにずんっといればね。そのマキシマムから必ず落ちてくるというような感覚がありますね。</p>
<p>吉福</p>
<p>だから、クライアントとセラピストという、こういう対比の中で考えていくとさ、要するにクライアントの症状そのものが最も激しくなっている時ですよね。マキシマムなものを展開している時に、その時のセラピストの心の奥底の反応なんですよ。それが問題なんですね。なぜかというと、病状次第ですけれども、一般的に統合失調症の方であるとか、極端なボーダーラインの方なんていうのは、一見表面をみて僕がどーんと座っていて何も起こってない、何の反応をしてないように見えても、僕の心の中は波立っていたら、これは、確実に感じ取りますから。</p>
<p>向後</p>
<p>敏感ですからね。</p>
<p>吉福</p>
<p>ええ。心の中が波立ってない、っていうのが大切なんですよ。一見何の反応もなくじーっとただしているように見えても、この心の中の波立ちが問題なんですよ。これが最も難しいところです。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>一見何の反応もしていないように見えることを「演じる」ことができる人はいると思うんですよ。でもそれは通用しない。</p>
<p>向後</p>
<p>それはもう確実にバレますよね（笑）。セラピストなんかより、はるかに敏感ですもんね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうですよー。彼らの方が遥かに鋭敏で、感性が高いですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>セラピストが「いかにごまかさないか」っていうことですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>だから、感性の低い人が感性の高い人を治すことなんかできるのか？と僕は思うんですよね。</p>
<p>向後</p>
<p>それは、非常に難しいんじゃないでしょうかねぇ。</p>
<p>吉福</p>
<p>さっき向後さんのおっしゃってた、感性の高い人の展開するメロドラマに、感性の低い人がくっついてやっていくと、たまらなくなるでしょう、感性の低い人は。あまりのことに。メロドラマが急展開するから。</p>
<p>向後</p>
<p>大変ですからね。</p>
<p>吉福</p>
<p>でも、もっとおかしくなると、「おかしいおかしい」って、相手のことを病理だとジャッジすることが、どんどん始まっていくわけですよね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>だから、僕もようわかりません。</p>
<p>向後</p>
<p>はい？</p>
<p>吉福</p>
<p>いや、僕もようわからないです、何がなんだか（笑）わかる？統合失調症って何だって言われた時に、別におかしくないって思うんだよ。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>別に・・・どうってことないんですよ。勝手にメロドラマやってますから。</p>
<p>向後</p>
<p>最大級のメロドラマですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>まあメロドラマがほしいわけなんだけど、本人にとっては。僕にとってはさ、単なる繰り返しなんだよ、反復・反復・反復・・・　世界中がそれやってるんだもん。正常だっていわれる人も。何も変わらないですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>まあそうですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>僕は内容には目を向けないって言ったでしょ。内容が少し激しいだけなんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>確かにね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうするとさ、何がなんだか僕はわからない、区別がつかないんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>僕が統合失調症（用語解説１参照）の人とセラピーをやっていて感じるのは、表現形態は確かに、CIAが出てきたりUFOが出てきたり・・・</p>
<p>吉福</p>
<p>いくつかのパターンが存在していますよね。</p>
<p>向後</p>
<p>だけど、その根底に流れているものっていうのは、恐怖だったり、そういったものの表現でしょう。</p>
<p>吉福</p>
<p>表現です。我々が持っているものでしょ。</p>
<p>向後</p>
<p>僕らは違う形で表現しているけれども、彼らはああいった形で表現している。</p>
<p>吉福</p>
<p>あの手の表現は、社会が受け入れられないんですよね、家族に始まり。それが僕は良くわからないんです。だから僕は良くわかりません、どこに境界線があるのか。</p>
<p>向後</p>
<p>なるほど。</p>
<p>吉福</p>
<p>問題が内容だから。内容は意味がないから、僕からすると。どんな内容であっても。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですよね。その根底にあるものが、本来の扱うべきテーマなんでしょうね。</p>
<p>吉福</p>
<p>その奥にあるものがね。</p>
<p>向後</p>
<p>だから、あれ普通なんですよね。僕が良くやるのがね、幻聴の人に対するひとりグループセラピーというか、ディスカッションなんですが。クライアントさんに通訳になってもらって、幻聴同士でディスカッションしてもらうんです。要するに、一体何を言いたいのかは、まあそれは聞きますけど、そこで何を狙っているかっていうのは、幻聴同士の中でプロセスが起こってくるじゃないですか。それで、その「わ～っ」ってなってるのが、やがて落ち着いてくるんです。</p>
<p>吉福</p>
<p>沈静化していく。</p>
<p>向後</p>
<p>沈静化していくっていう。で、しゃべってるうちに落ち着いてくるだろうという。</p>
<p>吉福</p>
<p>もう、間違いなく。</p>
<p>向後</p>
<p>だから、話の内容は確かに、あんまり意味がないですよ。例えば「お前は最低だ」と言っている声がいたとして、声が聞こえるということとか、別に最低かどうかっていうのは、どうでもいいわけで。それによってクライアントさんが恐怖を感じていて、幻聴は、恐怖の表現なんですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうです。</p>
<p>向後</p>
<p>それによって恐怖を感じてるように見えるけど、実はクライアントさんにもともとある恐怖がそこに反映されていて。それを全部カード出しちゃったら、あんまり怖くなくなってきて、ある種ばかばかしくなる人もいるのかもしれないですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>それは、常識的な目から見ると、そういうことだと思いますね。</p>
<p>向後</p>
<p>クライアントさんの中に、それが起こってくるんですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そう、まったく同じ。</p>
<p>向後</p>
<p>「別に、どうでもいいや」っていう。</p>
<p>吉福</p>
<p>ディスカッションさせるとさ、そういう状態の、いろいろと聞こえる人が何人も集まって話をするとさ、最終的に沈静化していきますよね。何がわかってくるかと言うと、「同じなんだ、みんな」ということですよね。内容の区別にかかわらずね、それがすごく大きい。沈静化の要素の1つとしてね。さっき向後さんがおっしゃっていたことに加えるとね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。日本でもね、北海道にべてるの家というグループホームがあるんですよ。</p>
<p>そこでは、統合失調症の人たちが集まって、NPOをやってるんですよ。で、そこで生産活動をしてるんですよ、昆布を作ったり。そこの入所者の人たちとお話ししたことがあるんですけど、面白いなと思ったのが、「妄想大会」っていうのをするらしいんです。最も激しい妄想をした人を表彰するっていうのをやっていて。</p>
<p>吉福</p>
<p>いいアイディアだと思いますねぇ。</p>
<p>向後</p>
<p>そうなんですよ、非常にね。なんというか、妄想の恐怖におののくっていう状態じゃなくなっていくんですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>ゲーム化ですよ。ゲーム化することによって、対象化していって、そこでindulgence、耽溺を止めるんですよね。いいんじゃないですかね、必ず効くとは限りませんけど。</p>
<p>向後</p>
<p>まぁ1つの方法としてね。そうですよね。で、統合失調症ね・・・結局結論出ましたよね・・・「わからない」(笑)</p>
<p>吉福</p>
<p>わからない。</p>
<p>向後</p>
<p>どこが他のと違うのよ、という。</p>
<p>吉福</p>
<p>そう、まったくその通り(笑)。という状態なくらい、僕は「居る」からさ。といってもね、わかりますけどね。</p>
<p>向後</p>
<p>現象として違いますからね。</p>
<p>吉福</p>
<p>現象として違うからね。</p>
<p>向後</p>
<p>ただ、そのプロセスとしては一緒だし。</p>
<p>吉福</p>
<p>プロセスは一緒だし、原理は一緒だし、普通の人と。</p>
<p>向後</p>
<p>ええ。だから、セラピーのやり方としてもね、違わない。</p>
<p>吉福</p>
<p>普通の人と？変わりませんよ。神経症の人とも変わらないし、心身症の人とも変わらないし、普通の人がちょっとなんか、という時に対応するのとも変わりませんよね。</p>
<p>向後</p>
<p>これが、今回のインタビューの結論かな。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうですね。すごく極限的なこと言っているけどいいよね。</p>
<p>向後</p>
<p>いやー大丈夫です。わかりにくいところは、解説いれますし。今日は、どうもありがとうございました。</p>
<p>【用語解説】</p>
<p>１、統合失調症</p>
<p>慢性の精神病の一種。幻覚、妄想などの精神病的症状が、断続的に長期に現れる。日本では、統合失調症の人たちには投薬治療が主であるが、アメリカでは投薬治療と共にカウンセリングを併用するのが一般的。長期慢性的な病理と言われているが、２～３割程度は、完全に回復する。</p>
<p>（第２３回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>おじんカウンセラーのトホホ通信　その２２　吉福伸逸氏インタビュー（３）</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1406</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1406#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 30 Aug 2009 00:03:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２２吉福氏インタビュー（３）】
吉福
（クライアントさんを）操作する必要は全然ない。例えば僕が攻撃的な方と対応しているとして、相手の人が、ぎゃーぎゃー非難し始めたとしますよね。僕はまず一言も弁解もしないですよね。
 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２２吉福氏インタビュー（３）】</span></strong><strong></strong></p>
<p>吉福</p>
<p>（クライアントさんを）操作する必要は全然ない。例えば僕が攻撃的な方と対応しているとして、相手の人が、ぎゃーぎゃー非難し始めたとしますよね。僕はまず一言も弁解もしないですよね。</p>
<p>向後</p>
<p>弁解しないっていうのは、そうですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>一言も弁解せず、ただ相手のぎゃーぎゃー言ってくる、言葉が立ち上がってくる場を作るわけですよね。そういう僕もいるから。で、僕の中では「こっちの勝手でしょ」っていうのがあって。「それが影響を与えるとしたら、あなたも私に影響与えてるんですよ、お互い様でしょ」と。言葉にはしないけど。</p>
<p>向後</p>
<p>そのことが、何もしなくてもだんだん伝わっていくわけですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>言葉にする必要はないんだよね。過剰反応さえしなければ。そういうことを僕は言っているわけですよ、「何もしない」こと。</p>
<p>向後</p>
<p>「道場に座る」ってやつですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>「道場」っていうのは命の原点ですから、人全てがいるところなのね。道場にさえ座ってしまえば、相手がどう反応しようとも、暴れまくろうとも、何しようとも、こっちが道場から出て行かなければ、もう、確実に伝わります。</p>
<p>向後</p>
<p>確実に変わっていくんですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>変化が相手の中に起こってきますね。</p>
<p>向後</p>
<p>最悪なのはね、乗っかっちゃうことですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そういった人が展開する世界を、僕は「メロドラマ」と呼ぶんですよ。メロドラマをね、ただただ冷静に見つめているんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>どういうことですか？</p>
<p>吉福</p>
<p>メロドラマっていうのは、ドラマティックなんですよ、だいたい。いろんなことが起こるんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>そうか、わかりました。例えば、「私は傷つけられた被害者だ。だから、人を救う職業に携わるセラピストは、自己犠牲をしてまで、私を助けなければならない」というのが、その人のメロドラマなんですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そう。本当はそういう人だけではないですよ。世の中全ての人、ほぼ。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>テレビなんか出ている人も全部含めて。全部自分のメロドラマを展開している。メロドラマは、それはドラマティックで面白いかもしれないけど、そんな事には目を向けず、奥底に沈潜している静かな所に目を向けておくと、気が付いていく人もいますよね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。メロドラマの根底には、なにかもっと、修飾されていない情動があるわけですね。例えば、先ほど僕が挙げた例では、表層の「私は、被害者だうんぬん・・」という内容の奥底に、深い悲しみがあるかもしれないし、「私をちゃんと受け入れて」という無条件の愛を求める気持ちがあるかもしれない。それなのに、逆にこっちが慌てちゃって、表層のメロドラマの内容に乗っちゃって、「そうだ、セラピストだからこの人を何とかしなきゃ」と思い、しかし、どうしてよいかわからず、どんなアプローチもうまくいかず、あげくのはてに、そのクライアントさんが「死にたい」って言ったら、「どうしよう、どうしよう」ってセラピストがパニックになってしまったりすると、もう収集つかなくなっちゃいますね。</p>
<p>吉福</p>
<p>収集つかないよね。それを求めてるんだもん、相手が。あなたの前でメロドラマを展開するというのは、あなたにその役の1つをやってほしいんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>彼らは、でも、メロドラマしか見えていないんですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうだよ。セラピストの大半もメロドラマしか知らないよ(笑)。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね・・・たぶんそう思います(笑)。</p>
<p>吉福</p>
<p>だから僕、良く言うんです。「メロドラマをやるのはいいんだけど、主役は降りてくれ」と。</p>
<p>主役でいたら、「You’re the target」になるんですよ。だから、主役は降りて下さいって言うんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>それは、セラピストも、でしょ？</p>
<p>吉福</p>
<p>僕全然、クライアントとセラピストを区別してないんですよ。人間全ての事を言ってるの。</p>
<p>向後</p>
<p>人間全てですか。わかりました。</p>
<p>吉福</p>
<p>人全てのことを言ってて、それをセラピーに適応していくとどういうことになるかというと、クライアントの方は確実にメロドラマを演じてるわけですよ、自分が主役のメロドラマを。わかりますよね、それ？</p>
<p>向後</p>
<p>すごく良くわかります。</p>
<p>吉福</p>
<p>自分で主役のメロドラマを演じているのを、どういうふうに展開していくかというと、主役からサブに移り、サブから端役に移り、端役から通行人に変わり、最終的にはメロドラマの脚本家になっていく。脚本家の立場に置いていただければ、メロドラマは放っておいても終演していきます。その人を中心としたメロドラマはね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね、脚本家ですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>全体像を見るということですね。Script writer（脚本家）になる。Script writerになれば、いかにそのメロドラマがつまらないドラマだったのか、それから、どのメロドラマも同じ筋書きだってことが分かってくるわけですよ(笑)</p>
<p>向後</p>
<p>石原裕次郎（映画俳優；数々の映画に主演）が、まずは高品格（映画俳優；脇役が多い）になって、最後には鈴木清順（映画監督）になるってことですね(笑)。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうそう、まず最初は高品格さんになって(笑)。　実感のある言葉ですね。伝わるよね、今のでね？</p>
<p>向後</p>
<p>伝わると思います。</p>
<p>吉福</p>
<p>だから、病理的な人の話では、全然ないんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>それで、逆のことが起こってるような気がするんですよね、日本のセラピーの現状を見てると。いわゆる、Co-miserate（用語解説１参照）っていうかね、お互いみじめになるっていうか。「私たちかわいそうよね」「そうよね、かわいそうよね」のところで、メロドラマが増殖していくようなところが・・・。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうだよね、要するに、なんでも受け入れてウンウンって言うの、アクティブリスニングってそういうの、やめましょうよって。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。本当に思っていないのに、「ウンウン」は、最悪ですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そんなことをやっているとね、やりながら同時に、今おっしゃった「互いがmiserable（みじめ）になっていく」っていう世界を作っていきますからね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。どんどん、どんどんドラマの中に入って行ってね。見てるとね、気持ち悪くなっちゃうんですよ(笑) 。こんなこと言ったらヤバイかなと思うんですが(笑)。</p>
<p>吉福</p>
<p>わかります、その通りだと思いますよ。よく僕向後さんに言ってるじゃないですか、ドラマの内容は関係ないんだって。プロセスとコンテクストですよって。以前のセッションでもあったじゃないですか。参加者の人がパニックになって倒れた時、僕は、まったく無反応だったでしょ、僕。あれなんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>僕らは、焦りましたけどね、倒れた時。</p>
<p>吉福</p>
<p>僕何とも思わなかったんだよね。それなんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>そこはね、あの時ものすごく学びましたね。ああ、そうだと思ったんですよ。要するに、あそこで僕の中で起こっていたのは「あ、なんとかしなくちゃいけない」。</p>
<p>吉福</p>
<p>ケガしているかもしれないし、と思ったわけですよね。しょうがないじゃない、そんなケガしたって、本人が自分でやったことなんだから。</p>
<p>向後</p>
<p>まあ、そうなんですけど(笑)。結果的に僕がやっていることは何もならなかったわけなんですよ、クライアントさんに。だいたい、あとから思い出してみれば、その方は、ちゃんと受け身の姿勢で倒れているわけで、けがのしようがない・・。ところが、僕らときたら、「あぁどうしたんだろう、大丈夫だろうか」って、焦ってるわけなんですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>内容に反応したんだよね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうなんですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>それはプロセスが勝手に展開してたんですから。僕の反応を見てたらわかるでしょ、ほぼ微動だにしないでしょ。</p>
<p>向後</p>
<p>動いてたのは周りだけで、がちゃがちゃと。</p>
<p>吉福</p>
<p>それを見せようとしてやってたわけ。これが1人のセラピストの中で起こらなきゃいけないことですよ、って。根っこで。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね、あれは深かったですよね、非常にね。いや、いろいろ気づきましたよ、あれは本当に。自分の中の繰り返している傾向に気づきました。「なんとかしなきゃ」っていう過剰介入の傾向にね。</p>
<p>吉福</p>
<p>セラピスト対象のセッションなんかで、そういうことがあったりすると、自分が失敗したことで、あたふたして、後で言い訳しに来る人もいるけど、相手にもしないよ。</p>
<p>向後</p>
<p>あぁ、そうなんですか。</p>
<p>吉福</p>
<p>僕はほら、評価しないから、いちいち。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですよね。ちゃちゃは、入れますけどね(笑)</p>
<p>吉福</p>
<p>ああ、それはもちろんね(笑)。こっちの機嫌が悪かったりするとね(笑)。</p>
<p>向後</p>
<p>あれはすごく勉強になったというか、パッと世界が変わったような体験で。</p>
<p>いかに動かないのが大事か、っていうのがね、実感できました。</p>
<p>吉福</p>
<p>僕、時々言うじゃないですか、「目の前で殺し合いが起こっても動かない」って。</p>
<p>向後</p>
<p>そうなんですよね・・・そういう覚悟が必要な時ってありますよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>ありますよ。あらゆる瞬間がそうだと思うこともできるんですよ、人生の一瞬一瞬というのは。</p>
<p>向後</p>
<p>突き詰めればそうですよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>突き詰めればね。で、実際に、向後さんがおっしゃるように、必要な時って起こってきますから。「自分を捨てる」っていう。「あげてしまう」とも言えるし。</p>
<p>向後</p>
<p>言うは易しですけどね・・・相当、なんというか、いや、大変ですよ。</p>
<p>吉福</p>
<p>大変ですよ。考えようによってはさ、あの場の責任者は僕なわけですよね。だから、そういうことを考えて、社会の事をふと考えたらさ、あれで彼女が死ぬとか激しい後遺症を持つなんてことが起こったら、社会的な非難を十分に浴びる立場にいるわけですよね。そういう風に考えが行ってしまわないっていうことなんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>それは、一瞬たりとも考えないってことなんですか。</p>
<p>吉福</p>
<p>一瞬たりとも考えない。浮かんでも来ません。</p>
<p>でも、馬鹿じゃないから。知らないわけじゃないわけじゃないんですよ。そういうことは十分に起こりうる。医療でもいっぱい起こるじゃないですか。手術上の失敗であるとか、そういうことが起こるとさ、やっぱり社会的な責任に問われたり、実際に罪に問われたりしますよね、社会の中で。で、そうすると、じゃあこんなことで罪に問われたら、誰も新しい実験的な治療はしなくなりますよ、って医学界から出てくる言葉ですよね。その辺が最大の問題。そういうことじゃないでしょって。</p>
<p>向後</p>
<p>全く考えないっていうのは、すごいですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>浮かんでこないんですよ。そういうことを全く考えてないわけじゃないですよ、前もってそういったことが起こりうるっていうのはしっかりと熟慮された上で、その現場では考えない。出てこない。良く言うじゃないですか、ジャズミュージシャンの人はね、理論は知る必要はないかもしれないけど、理論を知っても、理論のことを頭の中に浮かべて音楽なんか演奏なんてしていませんよ、っていうことですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>そういうことですね。僕の経験の中ではね、過去のそういう危機的な場面で一瞬浮かんでましたね。やっぱり、これでヤバいことがあったら、これで全責任が僕に・・・って、本当にほんのコンマ何秒だと思うんですけど、フラッシュバック的な感じで浮かんで来たんですけど・・・</p>
<p>吉福</p>
<p>でもそれは、自然ですよ、普通の人間で。</p>
<p>向後</p>
<p>でもそれは、一瞬のことで、その時に思ったのが、覚悟っていうかね、「それはそれでもう、全部引き受けるよ」っていうところに行かざるを得ないなって。</p>
<p>吉福</p>
<p>いや、もう、そこに居ないと、究極的なセラピーはできませんよ。</p>
<p>向後</p>
<p>ですよね。だから、何か起こったらもう、しゃあないわけだし。もちろんそういうことが起こらないように前もって準備する必要は、それはあるでしょうけど、ある程度はね。それでも防げないことが・・・</p>
<p>吉福</p>
<p>防げないことだって起こりますから。</p>
<p>向後</p>
<p>起こります。防げないことがある時に、こう、どしんと構えているというか、道場に座る。</p>
<p>吉福</p>
<p>道場に座ってれば大丈夫。</p>
<p>向後</p>
<p>それだったら大丈夫なんだなぁ、というのを、時々感じるんですよ。</p>
<p>吉福</p>
<p>事態を悪い方向には持っていかないんですよ。事態は行くべき所には行きますよ。行くべき所には行くけど、それをさらに悪くするということには行かない。</p>
<p>向後</p>
<p>行かないですよね。必ずそのプロセスが始まって、収束して行くなっていうのは思います。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうでしょ。必ずプロセスが始まったら収束するでしょ、そこに座っていればいいんですよ。</p>
<p>＜つづく＞</p>
<p>【用語解説】</p>
<p>１、Co-miserate</p>
<p>たとえば、「つらいよね」、「そうだよね、つらいよね、私もつらい」などと言いあって、傷をなめ合っている状態。セラピストとクライアントがそうした状態になると、治癒は起こり得ない。</p>
<p>（第２２回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>おじんカウンセラーのトホホ通信　その２１　吉福伸逸氏インタビュー（２）</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/1384</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/1384#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 23 Aug 2009 03:55:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２１　吉福氏インタビュー（２）】
引き続き、吉福さんとの対談です。
吉福
人と言うのはね、社会的な動物であると言うことは明らかですけど、その社会的な動物であると言うことを絶対視する必要ないほど、我々は、もっと大きな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２１　吉福氏インタビュー（２）】</span></strong><strong></strong></p>
<p>引き続き、吉福さんとの対談です。</p>
<p>吉福</p>
<p>人と言うのはね、社会的な動物であると言うことは明らかですけど、その社会的な動物であると言うことを絶対視する必要ないほど、我々は、もっと大きな可能性を秘めていると僕は思っていますので。その点は、常に、なんかしっくりこなくて。</p>
<p>向後</p>
<p>さっきの話ですと、要するにペルソナ（用語解説１参照）を作っていると言うことになっちゃいますね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうそう。ペルソナをしっかりしていれば、外に向かっては、大丈夫。（笑）</p>
<p>向後</p>
<p>自己実現と言う名のペルソナをつけているってこるみたいなね、感じになっちゃいますよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうですね。</p>
<p>それがくるのが、ようするに、原初の分離の時に作り上げられたことだと思うんですね。原初の分離に、しっかりと目を向けて行かないと・・。それは、運命的にわれわれが定められているこというふうに、僕はとらえているんです。それを乗り越えていくことができると、僕は思っているわけですよ。乗り超えたらどんな人間になるのかは、それは、何の保証もないけれど、乗り越えることは、不可能ではないと、僕は考えているんですよ。</p>
<p>で、極端な状態に直面すると、人はさ。極端な状態というのは、受け止められないような、サバイバルさえ不可能な状態にわれわれが直面したり、あるいは、歓喜のきわみ、エクスタシーのきわみというもの、極端な、そういうエモーショナルな反応をする状況に直面すると、どんな人であれ、人は、きわめて、画一的な反応をするんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>例えば、どういうことですか？</p>
<p>吉福</p>
<p>例えば、サバイバルが危ない、生き残れないかもしれない状況に追い込まれた人は、なんとか生き残ろうとする反応をする。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>中には、早くあきらめる人もいますけど。</p>
<p>向後</p>
<p>とじこもる人もいますよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>それも、ひとつの、とじこもるという形の要するにサバイバルの方法じゃないですか。</p>
<p>向後</p>
<p>だんだんやられていくのは、確実なんだけど・・。</p>
<p>吉福</p>
<p>確実なんだけど、とにかくひきこもって、なんとかそれを精神的に受け止められるようにしようと・・。そういう画一的な反応って、人間は、あるじゃないですか。そこに、人間としての共通性を見出していこうと。そこが人間としてのひとつの究極の姿なわけですね。だから、いのちを失うと言うところにいったとき、ひとつの人間としての本性が出てるわけです。Flight &amp; Fight ってあるじゃないですか。</p>
<p>向後</p>
<p>逃避‐闘争反応。</p>
<p>吉福</p>
<p>そう、逃避‐闘争反応。だれでもそうなんですね。その反応は、逃避のしかたも違うし、闘争の反応も違いますけど、基本的に同じメカニズムで反応しますよね。それを見た時、僕は、あー、ここに、人間としての原点があるんだと思うわけですよ。</p>
<p>それはさ、やっぱり、社会性の問題、基本的に自他の問題ですよ。</p>
<p>自らと社会、自らと世間との対峙の問題で、それを癒す方法があるのか？ということなんです。そういう画一的な反応が存在していると言うことはですね。</p>
<p>なぜそうなるのかというと、だれもがそうなんだということですよ。そういう状況になると。</p>
<p>追い込まれる状況と言うのは、自然災害とかそういうことを全部含めてですよ、世界からの襲撃なわけですよ。基本的にはね。</p>
<p>世界そのものが、それが、パーソナライズされていると思いますから、僕はそこに、その相手、襲ってくる自然界そのものにすらも、自然界そのものが、同じ状況に置かれると、逃避-闘争反応をすると言うことで、共通項が見出されるわけですよ。</p>
<p>相手が特に人間であった場合、それが集合的であっても個人であっても、相手の間に共通の画一的な反応が存在するわけですよ。画一的なエモーショナルなものが秘められているわけですよ。</p>
<p>わかりますか？</p>
<p>向後</p>
<p>わかります。</p>
<p>吉福</p>
<p>ということは、そこに共通の基盤、コモングラウンドがあるわけですよ。そのコモングラウンドにしっかりと目を向けさえすれば、われわれは、傷を、自らの力で知らず知らずのうちに癒していける力を持っているんだと思いますね。</p>
<p>向後</p>
<p>今ね、そういうシステムがうまく働いていないと思うんです。</p>
<p>吉福</p>
<p>まったく働いていないと思いますね。</p>
<p>その共通の基盤なんかを、僕はさ、「悲しみの共同体（用語解説２参照）」と呼んだりとか、あるいは、悲しみの共同体だけでなくてもかまわないんですよ、なんともいえない繋がった部分、人が直面した時に必ず共通の反応をする部分ってありますよね。悲しみだけじゃなくてもいいんですよ。怒りでもいいんです。喜びでもかまわないですよね。そういうのがありますから、そこに目を向けていきさえすれば、分離がなくなるわけではないですけど、人は十分に、分離の幻想による圧倒されるような恐怖感からは、しだいに解放される。</p>
<p>ちょっと飛躍があったかな？伝わりますか？こうやって面と向かって話しているとわかるんだけど・・。</p>
<p>向後</p>
<p>わかりますよ。ただ、一瞬読者に伝わるかどうかってことが頭によぎりましたが。（笑）</p>
<p>吉福</p>
<p>それが、最大の問題なんですよ。そこは、向後さん、うまくまとめて・・。（笑）</p>
<p>向後</p>
<p>共通の基盤についてですが、共生期（用語解説３参照）なんかに見えますよね。ほんの生後６ヶ月程度のことなのですが、要するに共生期という、母子がまったく共通の基盤を持つ時期というのがありますよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうだね。他を自覚しはじめると言うのは、そのあとから始まりますね。</p>
<p>向後</p>
<p>そこから、苦悩が始まってきて、あるいは、自分をごまかすということが始まってくるわけですね。でも、その分離の根底には、共通の基盤があって、それは、共生期に経験しているというわけです。</p>
<p>吉福</p>
<p>そう、（自他の分離はあるのだけれど）その根底にある共通の基盤に目を向けようということです。</p>
<p>共通の基盤として、たとえば、僕と向後さんが、しっかりと、あなたもそうだ、ぼくもそうだという、彼や彼もそうだ、これまで敵だと思っていたあの人もそうだというように見るとさ、少なくともモンスターに見えないんですよ。社会がさ。</p>
<p>社会そのものも、個人もそうだし、集合的なものもそうなんですが、モンスターにはならないんですよ。わかりますか？</p>
<p>向後</p>
<p>はい。</p>
<p>吉福</p>
<p>モンスターみたいなことしますよ。集合的になると。</p>
<p>原爆落としたりさ。アウシュビッツみたいなことしたりしますけど。</p>
<p>モンスターと呼ばれるようなことをやる人たちは、そのことに気づいていないんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>たとえば、一般社会の中でも、ＤＶとか虐待とかパワーハラスメントとか、モンスター的なことってあるじゃないですか？</p>
<p>御存じのように、僕は、それにすぐ反応しちゃうんだけど。（笑）</p>
<p>吉福</p>
<p>そうだね。（笑）</p>
<p>ははは。</p>
<p>向後</p>
<p>すぐ、反応しちゃうんだけど、最近少し上達しましてね、あんまり反応しないですむようになった、少しですけどね。</p>
<p>最初ね、圧倒されるような感じが来るわけですよ。そうなると、こっちは、もうね、全力を持って戦おうとするんです。</p>
<p>ただ、相手をよく見ると、要するに共通の基盤と言うものがあるし、彼らの中のどこかに自分を見るわけですよ。そうすると冷静に対処することができる。彼らの行為は否定するけれど、モンスター的行為といっしょのレベルで戦わないってことかなって思います。</p>
<p>吉福</p>
<p>僕なんかのセッションを、見てわかるでしょ？</p>
<p>なにしているのか。</p>
<p>向後</p>
<p>よくわかります。</p>
<p>吉福さんは、そうしたモンスター的な行為をする人たちに対しても、かなりつっこんでいきますよね。</p>
<p>吉福</p>
<p>だって、その人が何をしようとも、そこに自分と同じ基盤があるということが見えてくると、全然恐ろしいとかそういうことじゃまったくなくなるんですよ。</p>
<p>僕は、前景とか背景とかいう話を僕するじゃないですか。前景になにがあろうとも背景がしっかりと繋がっていれば、僕から見るとCommon wealth なんですよ。</p>
<p>それこそが、つまり人と人との間に、コモンなウェルス、富が見えれば、それさえ見えれば、Common wealthさえ見えれば、なにも怖くないんですよ。</p>
<p>向後</p>
<p>そこが見えてくると、モンスターと呼ばれる人たちすらも、自然に変わってくる、っていうことなんですね。</p>
<p>＜つづく＞</p>
<p>【用語解説】</p>
<p>１、ペルソナ</p>
<p>ユンソナではありません。ペルソナです。ユング心理学で提唱されている概念で、社会に適応するためにつけている心理的な仮面を示します。</p>
<p>２、悲しみの共同体</p>
<p>人間の心の奥底には、だれもが持っている共通の基盤があり、そこには、深い悲しみ、喜び、怒り、さびしさなどの根源的な情念がある。その根源的な情念の場を、吉福さんは、「悲しみの共同体」と表現しています。</p>
<p>３、共生期</p>
<p>ハンガリー生まれの精神科医マーガレット・マーラーが提唱した概念。生まれてから数か月の間、子供は自己と他者の区別が十分にできていない。この時期は、あたかも母子一体の感覚が、母親子供の双方にある。マーラーは、この共生期の前に、自閉期があるとしているが、反論もある。</p>
<p>☆皆様からのご意見ご感想をお待ちしています。</p>
<p>（第２１回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p>日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p>ハートコンシェルジュ　カウンセラー <span style="font-size: small"><span style="line-height: 18px"><br />
</span></span><span style="font-size: small"><span style="line-height: 18px"><br />
</span></span><span style="font-size: small"><span style="line-height: 18px"><br />
</span></span></p>
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		<title>おじんカウンセラーのトホホ通信　その２０　吉福伸逸氏インタビュー（１）</title>
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		<pubDate>Sun, 16 Aug 2009 14:44:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kougo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web連載]]></category>
		<category><![CDATA[おじんカウンセラーのトホホ通信]]></category>

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		<description><![CDATA[【その２０吉福伸逸氏インタビュー（１）】 
今回から、４回にわたって、セラピストの吉福伸逸さんとの対談をお伝えします。吉福さんは、日本にトランスパーソナルの考え方を導入した最初の方で、数々の著作、翻訳があります。ご本人は [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="text-decoration: underline">【その２０吉福伸逸氏インタビュー（１）】</span></strong><strong> </strong></p>
<p>今回から、４回にわたって、セラピストの吉福伸逸さんとの対談をお伝えします。吉福さんは、日本にトランスパーソナルの考え方を導入した最初の方で、数々の著作、翻訳があります。ご本人は、現在トランスパーソナル学という枠を超えて、独自の活動をされています。</p>
<p>インタビューは、吉福さんのワークショップの前日にお時間をいただいて、行いました。内容は、セラピー全般についてです。吉福さんとのお話は、いつも冗談交じりで楽しいのですが、その中に、しっかりとクライアントさんに相対しているという重みを感じます。</p>
<p>どうぞ、お楽しみください。</p>
<p>【吉福伸逸氏プロフィール】</p>
<p>著述家、翻訳家、セラピスト。早稲田大学文学部を中退し、ボストンのバークレー音楽院へ留学。ジャズ・ベーシストとして活躍後、カリフォルニア大学バークレー校にて東洋思想やサンスクリットを学ぶ。<br />
（株）C+Fコミュニケーションズ、（有）C+F研究所を創設。<br />
日本に初めてニューエイジ、ニューサイエンス、トランスパーソナル心理学などの分野を体系的に紹介。著書に『トランスパーソナルとは何か　増補改訂版』（新泉社）、『トランスパーソナル・セラピー入門』（平河出版社）、翻訳に『意識のスペクトル』（春秋社）、『無境界』（平河出版社）、『タオ自然学』（工作舎）等多数。1989年以降、ハワイ在住。<br />
【対談その１】</p>
<p>向後</p>
<p>本日は、セラピストの吉福伸逸さんをお迎えして、セラピーの考え方全般と、それから、吉福さんがとりくまれている統合失調症などの、いわゆる治癒が困難と言われている疾患に対するアプローチについてお聞きしたいと思います。</p>
<p>吉福さん、よろしくお願いします。</p>
<p>吉福</p>
<p>はい、それじゃあ、はじめましょうか。</p>
<p>今、向後さんが言われたことなんだけど、自分の経験をベースとして言えば、たとえば統合失調症に対して、なにができて、どうすれば、その当人自身が内なる解離を強く感じて、焦燥感の中で生き続けると言うことから解放するということは、可能だと思いますね。</p>
<p>しかし、解放することによって、社会の要請にこたえるような人間になるのかどうか、あるいは、社会の要請にこたえることに意味を感じるような人間になるのかどうかについては、僕は、あのー目を向けていないんです。そういうことに目を向ける必要性を、僕は感じておりませんので。</p>
<p>向後</p>
<p>いきなり、過激ですねー。（笑）</p>
<p>セラピーを、その前提で、進めていくということですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>その前提で考えていかないと難しいと思うんですね。</p>
<p>向後さんも経験なさっていると思うのですが、セラピーの全体的な傾向というのは、二段階あると考えていただければいいと思うんですね。</p>
<p>ひとつは、社会の要請に機能できなくなって自らが激しい苦しみの中にいる人が、社会の要請にこたえられる状態になること。</p>
<p>ということは、社会のルールにのっとって、社会的に機能するような状態になることを社会が要請しているわけですよ。</p>
<p>精神的な問題を抱えている人たちに対して。</p>
<p>その要請があるために、問題を抱えている人たちは、その要請にこたえようとしているわけですよね。</p>
<p>だから、セラピストやカウンセラーのところに来たりするわけですよね。</p>
<p>だけど、それでいいんだろうかという疑問が、僕の根っこの中にあるんですよね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。</p>
<p>たとえば休職している人を職場復帰させるとか、ひきこもりの子を学校に返すとか・・。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうですね。それはさ、アルコール依存にせよ、薬物依存にせよその他の精神疾患にせよ、結局そうですよね。それはさ、社会の要請がそうだからこそ、その中で苦しんでいる当人が、その要請にこたえようとして、苦しみを抱えて行って、症状そのものがさらにひどくなっていくという状況があると思うんです。</p>
<p>ですから、僕なんかは、社会の要請をいったん横に置いておいておきましょうよと思うんです。それが、もうひとつの段階のセラピーですね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そういうもんですよね。</p>
<p>社会からの要請と言うものを横に置いておくと、人間が本来抱えている分離解離が浮き彫りになると考えているんですね。人間と言うのは、分離しているものじゃないですか。</p>
<p>向後</p>
<p>いろいろ分離していますね。</p>
<p>吉福</p>
<p>まず最初に、新生児として生まれて、母と一体化している状態と言うのは、きわめて短いですよね。その後に、母と自分の間に分離があって、自分と他人との間に境界線があるということに気づくということは、子供にとっては、誕生時の苦しみに勝るとも劣らない一種の巨大な、なんて言うんですか、大惨事なんですよね。わかりますよね？</p>
<p>向後</p>
<p>わかります。</p>
<p>吉福</p>
<p>だからこそ、我々は、その後、自我と呼ばれるようなものを発達させて、分離にこたえる仮面をかぶっていくわけです。</p>
<p>そのことが、人間の中に激しい分裂を固定化させて、それにはたと気づいた人たちが、精神的におかしくなっていくし・・。</p>
<p>自分が気付かないままだったらいいんだけれど・・。</p>
<p>気がついてしまいますと、その分離を何とかしようとすると、要するに社会から見ると、反社会的な行動に走る方向すらも見られてしまうわけですね。</p>
<p>ただただとじこもりというか、なんといいましたっけ・・。</p>
<p>向後</p>
<p>ひきこもりですか？</p>
<p>吉福</p>
<p>そうそう、ひきこもり。</p>
<p>ひきこもりという状態なら、もう僕はやっぱりその方々が、今言ったようなことを理解しているのかどうかわからないけれど、根源的な分離に対する感触ですよ。感触に対する反応ですよ。</p>
<p>僕は、私は、社会の要請にこたえられない。</p>
<p>わかりますかね？</p>
<p>向後</p>
<p>わかります。社会からの分離ですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>それは、アクティングアウトのひとつの形態なんですよ。僕は、非常にそのマイルドでやさしい気弱な反応なんだと思うんですけど。そのためにひきこもりと言う形が存在しているんだと思うんですがね。それが逆に出て行ってより激しく外に向かう場合もあると思いますけど。</p>
<p>向後</p>
<p>反社会的な反応ですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そう、反社会的なね。</p>
<p>犯罪なんていうと、すぐその背景に精神障害がほのめかされたりするんですけど。裁判所なんかでもよく言われていますよね。</p>
<p>精神的におかしいと犯罪者が、罪に問われないってことあるじゃないですか。</p>
<p>向後</p>
<p>心神喪失状態とか。</p>
<p>吉福</p>
<p>そうそう心神喪失状態。</p>
<p>僕は、もうなにか犯罪が起こるたびに精神的な問題が背景にあるなんて言われるたびに、「あー、またこれで、社会そのものに、精神的な障害というのが反社会的なもので、犯罪で、罰せられる対象であるかのように扱われている」と思ってしまうんです。</p>
<p>向後</p>
<p>みなさん「そういうつもりではない」と説明されるのですが、今、吉福さんがおっしゃったような誤解（精神的な障害というのが反社会的なもので、犯罪で、罰せられる対象であるかのような誤解）のもとにテレビなんかの報道を見られている方はいらっしゃるでしょうね。それは、問題ですね。</p>
<p>吉福さん</p>
<p>僕は、それをなんとか変えたいと思うんですよね。</p>
<p>向後</p>
<p>さきほど吉福さんがおっしゃった、セラピーの二段階ですが、ひとつは、社会のニーズに合わせていくという形のセラピーで、もうひとつは、そうしたニーズにこだわらないセラピーということですね。</p>
<p>最初の段階のセラピーについてなんですが、セラピストたちの中にも、誤解があると思うのだけど、たとえば、天職という言葉があるじゃないですか？</p>
<p>吉福</p>
<p>天の職の方ですね。</p>
<p>向後</p>
<p>例えば、「天職を見つけるというのが、自己実現（用語解説２参照）」みたいな誤解が、一部にあるんじゃないかと思うんですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>うそだぁー。</p>
<p>向後</p>
<p>そう言う感じの雰囲気があるんですよ。例えば、いわゆる「自分探し」をしている人たちや、それをサポートしているセラピストなんかにね。</p>
<p>あれね、すごい違和感を感じるんですよ。</p>
<p>なんだか、職ありきみたいな感じでね。職と言う枠組みの中で、自己実現というものを限定してしまおうとするみたいなことが、時々見受けられるんです。自分探し＝天職探しみたいなね。</p>
<p>「そうじゃないだろ？」って思うのですが・・。</p>
<p>場合によっては、職と言うのは、お金を稼ぐだけでいいというのだってありだと思うんですよ。</p>
<p>吉福</p>
<p>生きていくだけのね。</p>
<p>向後</p>
<p>生きていくだけのね。</p>
<p>吉福</p>
<p>お金が介在しないでそういう生活できる場だってあるじゃないですか？</p>
<p>向後</p>
<p>例えば？</p>
<p>吉福</p>
<p>例えば、どっか耕すところ行ってさぁ、畑でも耕しながらさぁ・・。遠い離れ小島に住むとか。そういう人もいるじゃないですか？</p>
<p>向後</p>
<p>それもそうですね。</p>
<p>それから、たとえば、１７世紀辺りまでの数学者なんか、まったくお金になってないじゃないですか？まったくね。あれは、職業と言うよりも趣味ですよね。</p>
<p>フェルマーの定理を作ったフェルマー（用語解説１参照）さんなんかも、たぶん趣味でやっているわけじゃないですか？プロじゃなくて、アマチュアですよね。それでも数々の実績をあげて、それで、とても満足しているわけです。</p>
<p>吉福</p>
<p>それで充分自己実現しているわけですね。</p>
<p>向後</p>
<p>だから、職イコール自己実現なんていうのがね・・。</p>
<p>吉福</p>
<p>そんな風潮あるの？</p>
<p>向後</p>
<p>なんとなくですね。全部じゃないけれど、そんな感覚を持っている人たちがいると思うんですよ。「天職をみつけよう！」っていう言葉のなかに、天職を見つけることが自己実現みたいな意識があるように思うんですよ。その結果、自己実現のための職探し・・なんて感じになってしまうことがあるんです。</p>
<p>でも、実際には、そんな天職がみつかる、つまり、職と言う方向が自分の自己実現の方向と一致している人なんていうのはまれなわけで、結局は、「これが、僕の天職で、この方向で行けば、自己実現できるんだよね？」と、自分をむりやり納得させていくということがあると思うんです。</p>
<p>本当はね、そういう人たちのすべてとは言わないけれど、かなりの人たちが、自己実現というより、社会の中で居場所を探しているわけだと思うんです。それ自体は、けっして悪いことではないのですが・・。</p>
<p>吉福</p>
<p>それはさ、非常に原初的な部分で、人間性心理学で言えば、ベーシックなベーシックな段階の充足感にしかつながらないじゃないですか？</p>
<p>向後</p>
<p>マズローの欲求の段階（用語解説３参照）ですね。</p>
<p>吉福</p>
<p>そう、マズローのね。所属意識ですよね。自己実現でもなんでもないですよね。</p>
<p>向後</p>
<p>そのへんが、なんとなくごちゃごちゃになっているような状況があるように思いますね。ベーシックな段階の充足感を求めるのは、それはそれで重要なことですが、そうした欠乏欲求と、成長欲求がごっちゃになると変なことが起こると思います。</p>
<p>そうなると、まずは、社会に戻すのが一番いいんだ、そこから始まって、次は自己実現だという感じになってしまう。</p>
<p>吉福</p>
<p>それは、強く感じるんですよ。日本にいるこの５～６年、ハワイで十数年過ごした後に、帰ってくるたびに、常に、自分の中で、なんだろう、なんでこんなことしているんだろうと思うんですね。</p>
<p>僕がみんなに示そうとしている人間像と言うのは、皆が求めているものとは違うと言うことがすごくはっきり僕の中あるんですね。</p>
<p>でも、（日本の社会の中に）どうしても社会的に機能していく人間になっていかないと、まず社会が満足しないし、社会が満足しないと言うことをベースにして、本人が満足しないということがあるんですね。</p>
<p>僕は、それではおかしいとすごく感じている。</p>
<p>まあね、向後さんが事務局長をおやりになっている、なんとかという学会（日本トランスパーソナル学会のこと）ではね、昔僕がやっていたんですけど、基本的にまず健全な自我を確立するなんていっていましてね、健全な自我を持つと言うことは、社会的に機能すると言うことで、つまり、自らを欺く力をしっかり持つということなんですね。</p>
<p>向後</p>
<p>ははは、いやー、僕らは、「自らを欺く力をしっかり持つ」なんて言ってませんけど（笑）。</p>
<p>吉福</p>
<p>でも、あのほら、明らかに、自らをはっきりと欺いて生きて、なんの疑問も感じないことが健全な自我を持つということなんですね。</p>
<p>ケン（ケン・ウィルバー；トランスパーソナル心理学の理論家のこと）なんかが言っているのは、そこを通過しないとその先には行けないって話があるじゃないですか。僕はねぇー、そこにすごく大きな疑問を感じているんです。そういうこっちゃないですよね。</p>
<p>向後</p>
<p>そうですね。</p>
<p>＜つづく＞</p>
<p>【用語解説】</p>
<p>１、フェルマー・・ピエール・ド・フェルマー</p>
<p>１７世紀のフランスの数学者。数学における数々の先駆的な仕事をする。</p>
<p>弁護士でもあったフェルマーは、その余暇に数学の研究をしていた。</p>
<p>フェルマーの最終定理は、３６０年もの間、数学者を悩ます難問だったが、１９９４年イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズが証明に成功した。</p>
<p>フェルマーの最終定理とは、</p>
<p>「3 以上の自然数 について、<em>x</em><em><sup>n</sup></em> + <em>y</em><em><sup>n</sup></em> = <em>z</em><em><sup>n</sup></em> となる 0 でない自然数 (<em>x</em>, <em>y</em>, <em>z</em>) の組み合わせがない」という定理のこと。・・ちなみに、n＝２の場合は成り立ち、ピタゴラスの定理となる。</p>
<p>２、自己実現</p>
<p>個人が、自分自身の内面にある潜在的な可能性を、いかんなく発揮し生きること。私自身の考えでは、自己実現と言われる状態と言うのは、ほとんどの場合、部分的な覚醒だと思います。例えば、インタビューの中で、数学者が、数学の定理を発見する過程を例に挙げて、自己実現という言葉で説明していますが、それは、その分野では、自分自身の潜在的能力をいかんなく発揮しているので自己実現的とも言えますが、全人格的に自己実現しているとは限らないと、私（向後）は考えています。</p>
<p>３、マズローの欲求の段階</p>
<p>アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、提唱した概念。</p>
<p>下位の欲求から、上位の欲求へ、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、尊敬（承認）欲求、自己実現欲求の5段階があるとされている。インタビューに出てくる所属欲求は、所属と愛の欲求に含まれます。すなわち、集団に属したり、仲間から愛情を得たいと言う欲求のことです。</p>
<p>（第２０回おわり）</p>
<p>向後善之</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">日本トランスパーソナル学会事務局長</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">ハートコンシェルジュ　カウンセラー</p>
<p style="font-size: 0.9em;line-height: 1.6;margin-top: 10px">
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