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	<title>日本トランスパーソナル学会 &#187; ニュースレター</title>
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	<description>Japan Transpersonal association</description>
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		<title>特別寄稿 ダイアモンド・アプローチとの出合い</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 07:00:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[ダイアモンド・アプローチとの出合い 大野 誠士 　2004年の春、語学留学、そして、大学院留学のために、ぼくはサンフランシスコへと渡った。それからの数年は予想していた以上に難しい時期だった。言葉もままならず、異文化の中で [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>ダイアモンド・アプローチとの出合い<br />
大野 誠士</strong></p>
<p>　2004年の春、語学留学、そして、大学院留学のために、ぼくはサンフランシスコへと渡った。それからの数年は予想していた以上に難しい時期だった。言葉もままならず、異文化の中で孤独を体験し、日本で培ってきたはずの自信は儚くも崩れ去った。ダイアモンド・アプローチ（DA）の先生に出会ったのはまだまだぼくが異文化の中で苦悩し続けていた頃、2006年の初夏だった。信頼していた大学院の教授と会って相談に乗ってもらっていたところ、「この人に会ってみたらどう?」と連絡先をもらって会ってみたその人がDAの先生だったというわけである。それから何となくその先生にほぼ毎週会うようになり、翌年の春に参加してみたリトリート・グループでの深い体験が揺るぎない決め手となって、DAを自分の主要な“道”として生きるようになった。ダイアモンド・アプローチに出合えたことは、ぼくにとって言葉で言い尽くせないほどに幸運な出来事だった。数え切れないほどのインクワイアリー（後述）を通じて、ぼくは以前からは考えられないほどに自由になった。そして、何よりも自分自身の本質・エッセンス１）に気づき、よりその本質を自分自身として生きられるようになってきている。<br />
　ダイアモンド・アプローチは、創始者であるA. H. アルマース（A. H. Almaas）による書籍が現在までに15冊を数えているほどの大きな教えであることに加え、先生になるために最低14年以上を要する道（それを経ても先生になれる保障はない）であるので、それが何かを包括的に説明するのは難しい。さらに、DAの道の深さは、それを体験して“生きる”ことによってはじめて理解することができる教えである。これらのことを踏まえた上で、その教えの一部を紹介してみたい。<br />
　ダイアモンド・アプローチは、古代からの様々なスピリチュアルな教え（スーフィズム、仏教、キリスト教など）と精神力動学、対象関係論や分離個体化理論をはじめとする近代心理学（最近では、トラウマ理論、愛着理論、ソマティック心理学などの考えも取り込まれはじめている）が統合された、今も継続的に発展し続ける現代だからこそ登場しえた教えである。それらの統合された心理学的指向が、実践者が必然的に遭遇する自我構造の理解に正確性、明確さ、客観性をもたらし、スピリチュアリティ的指向が自我を超えた部分、つまり、我々の本質・エッセンスに光を当てることになる。<br />
　ダイアモンド・アプローチの教えは、心理学とスピリチュアリティが理論的には別々のものでありながら、人間の意識の領域においてはその二つを切り離すことが出来ないものとして捉えている。従って、心理的な成長がスピリチュアルな成長の一部として捉えられている。このことによって、我々の本当のポテンシャルへの障害と捉えられがちな自我構造やそこから生じる無知や苦しみそのものが、そのポテンシャルへの入り口として体験されることになる。従って、そのプラクティスは自我の超越を指向したものではなく、今ここで起きていることを探求し、それを体験的に理解していくことに重きが置かれる。それによって、自我を否定するのではなく、受け入れて、理解しようとする態度が生まれるわけである。<br />
　このDAの主要なプラクティスはセルフ・インクワイアリー（self-inquiry）と呼ばれている。このプラクティスにおいてまず求められるのは、考えやセンセーション、感情、行動などを含む自分の即時の経験に注意を払うことである。最初は、過去の経験にインクワイアリーの焦点が向かうかもしれないが、「今」の自分に気づき続けることで、プラクティスは現在の経験の真実へと深まってゆくことになる。その過程で、自分の本質にたどりつくための障害（自我アイデンティティーや防衛機構など）への理解が深まり、その障害そのものが解体し、その障害が隠していた空虚な心理空間を深い痛みと共に経験するかもしれない。そのインクワイアリーが深く、誠実であれば、さらにエッセンスへと導かれることになる。このエッセンスを統合することで、私たちは多くの人にとって知られていない深みと充足感と共に生きられるようになる。<br />
　ダイアモンド・アプローチは日本にはまだ正式に入ってきていないが２、アメリカ、ヨーロッパを中心に広がりを見せている。日本にこの教えが入ってくるのもそう遠い未来ではないのかもしれない。</p>
<p>注1<br />
エッセンスは、実際に“触れる”ことができ、確かに存在しているプレゼンスであり、私たちの本質である。エッセンスは超越的な本質（True Nature）から分化したものであり、様々な側面がある。例えば、力（Strength）のエッセンスは、活力や広がりの体験に特徴付けられ、勇気やアクションの源でもある。他のエッセンスと同様、力のエッセンスは常に存在しているが、これが自我の防衛機構などによって制限されると、怒りなどの形でのみしか感じることが出来ない。<br />
　<br />
注2<br />
調べてみたところ、日本でもAwareness Intensive Japanという組織がダイアモンド・アプローチの影響を受けたトレーニングを提供している。しかし、そのトレーニングのファシリテーターはDAの正式な先生ではなく、ダイアモンド・ロゴス３（Diamond Logos）の正式なファシリテーターリストにも名前が載っていなかった。</p>
<p>注3<br />
ダイアモンド・ロゴスは、1979年から1986年までダイアモンド・アプローチ及びその教えを学ぶためのRidhwan Schoolの発展に貢献したアルマースの友人であるFaisal Muquaddam が独立し、DAを基礎としながらも独自に発展させている教え。</p>
<p>大野 誠士（おおの・せいじ）<br />
1980年東京生まれ。パシフィカ大学大学院、神話学・深層心理学修士。ジョン・F・ケネディ大学大学院、ソマティック心理学カウンセリング修士。現在は、カリフォルニアのオークランドで心理セラピスト・インターン。ソマティック・エクスペリエンス（トラウマ療法）トレーニングの通訳。<br />
<a href="http://www.seijiohno.com">www.seijiohno.com</a></p>
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		<title>特別寄稿 スピリチュアルと実践の融合</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 07:00:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[特別寄稿 スピリチュアルと実践の融合 坂本たかゆき Spiritual Empowerment Japan代表 一般の人が「スピリチュアルって何ですか?」と聞かれたら、おそらく「スピリチュアル・カウンセラーとか占い師のこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>特別寄稿<br />
スピリチュアルと実践の融合<br />
坂本たかゆき<br />
Spiritual Empowerment Japan代表</strong></p>
<p>一般の人が「スピリチュアルって何ですか?」と聞かれたら、おそらく「スピリチュアル・カウンセラーとか占い師のことでしょ」と答えるでしょう。しかし、私の考えるスピリチュアルとは、より深いところにある本質であり、高次の意識のことです。そして、スピリチュアリティとは、自分との関係性、他者との関係性、自然や世界との関係性の中で実践を伴い、成長、進化し続ける生き方であると考えています。</p>
<p>私は、生来のサイキックです。生まれ持った才能を活かして、本当の自分、すなわち真の自己に生きる人が日本をはじめとして世界中に増えていくことを願って活動しています。それと同時に、人材育成コンサルタントでもあります。どちらの立場においても真の自己で生きる人を増やすという点において違いはありません。そして、ビジネスとプライベートの境なく、日常的な実践から継続的な学びを得られるように常に取り組んでいます。<br />
私自身が行っている個人セッションやグループ・セッションでは、4つのサイキック能力（クレアボヤンス“透視”、クレアセンシェンス“透感”、クレアオーディエンス“透聴”、クレアコングサス“透知”）を駆使してリーディングやスピリチュアル・ワークを行い、統合的な成長につながるように感知したことをお伝えしていきます。</p>
<p>本来スピリチュアルな話題は、本質的で感覚的であり、決して分かりやすいものではありません。しかし、内的なアプローチとして主体的な自己成長を促すためには、私自身のレンズを使い、翻訳することが必要になります。そして、そのとき翻訳者にとってもっとも大事なのは客観性です。しかし、一般的なスピリチュアル・カウンセラーや占い師は多くの場合で与える側も受け取る側も表層的な意味を授受するに留まってしまっているのが現状です。</p>
<p>そして、現実的には、これまでにつくられた自分にとらわれていたり、自分の主張、意見を持っていなかったり、成長、変化することを恐れて足踏みしている人が非常に多いのも真実です。これから時代の流れがますます激しくなる中、環境に流されないで生きていくためには、積極的に内的な変容を起こして、真の自己を見出そうとするかしないかでは大きな違いが出てくるでしょう。</p>
<p>そして、内的な考察にとどまらず、とにかく行動に移すことが大事です。どんなに学んでも実践で経験できないのであれば意味がありません。ここ数年、自己啓発系のセミナーも徐々に減少傾向にあるようですが、一時的な高揚感は特別な気分になるものの、セミナーの場を抜け出したら、もはや再現性はありません。以前よりも多くの人が自己啓発そのものに価値を感じなくなっているのかもしれません。</p>
<p>とはいえ、個々は時代の流れを感じていても、まだ多くの組織において鈴木 規夫氏がいうようなAQALでいう「右上領域－個の外面の肥大化」が日常であり、そういった能力主義、成果主義は個人にも深く浸透しています。すなわち、組織という枠組みにおいて、左上領域－個の内面が薄弱であると言えるでしょう。</p>
<p>こういったように人と組織が同時発生的にパラダイム・シフトを起こすためには、スピリチュアルな観点からのアプローチも必要であると思いますが、その他にも下のような活動も行っています。</p>
<p>まずは、対話を広める活動です。2009年からワールド・カフェを中心としたホール・システム・アプローチと呼ばれる対話の手法を使ったワークショップなどのイベントを継続的に行っています。当初はボランティアで集まったメンバーで運営していましたが、2011年1月Dynamics of Dialogue LLPとして法人化し、今後は新たに企業や大学、自治体に向けてもサービスを提供していきます。私たちは、対話の場で生まれるダイナミクスにより、深いところで人と人が理解しつながっていき、個々がエンパワーメントされる機会を増やしていきたいと考えています。</p>
<p>この活動自体は、はじめての人向けの企画、経験者向けの応用編と毎回工夫をこらして企画しています。その根底にあるのは、深いところで対話をして欲しいという思いです。さらに、そういった対話のプログラムを企業、大学、自治体で行えれば、個々の変容だけでなく、組織全体での変容を起こす可能性を拡げていくことができるはずです。</p>
<p>　さらに、フロー・インスティテュートという団体において、人と組織が最大限の可能性を発揮できる経営について考えています。ここではイキイキと仕事を楽しみながら働く人であふれた、創造的な組織が世界中に増えることを願い、様々なイベント活動を行っています。代表は、トランスパーソナルを駆使してフロー経営を提唱されている天外 伺朗氏です。</p>
<p>その他にも、インテグラル・ジャパン総合研究所の鈴木 規夫氏の協力を得て、本当の自分を探求するワークショップも今期から開催します。対話やインテグラルの知見も取り入れながら、サイキックとしてスピリチュアリティを高めていくワークを行っていきます。</p>
<p>これらの活動を観察すると、個人・集団、内面・外面のアプローチ全体にメタ的に取り組んでいると言えるかもしれません。今後は活動を共にする仲間とともにワールド・カフェ、フロー、インテグラル・スピリチュアルを各々融合させたイベントも企画中です。</p>
<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
<p>参考WEBサイト：<br />
ダイナミクス・オブ・ダイアログLLP　<a href="http://www.dynamicsofdialogue.org/">http://www.dynamicsofdialogue.org/</a><br />
ワールド・カフェ・ネット　<a href="http://world-cafe.net/">http://world-cafe.net/</a><br />
フロー・インスティテュート　<a href="http://www.flowinstitute.jp/">http://www.flowinstitute.jp/</a><br />
インテグラル・ジャパン総合研究所　<a href="http://integraljapan.net/">http://integraljapan.net/</a></p>
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		<item>
		<title>書籍紹介 『文書術：読みこなし、書きこなす』 工藤 順一（著）(鈴木規夫)</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 07:00:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[書籍紹介 『文書術：読みこなし、書きこなす』 工藤 順一（著） 中央公論社 鈴木 規夫 （本学会副会長） 文書術―読みこなし、書きこなす (中公新書) posted with amazlet at 12.01.08 工藤 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>書籍紹介<br />
『文書術：読みこなし、書きこなす』<br />
工藤 順一（著）<br />
中央公論社</p>
<p>鈴木 規夫<br />
（本学会副会長）</strong></p>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121020731/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/31VQ65Ed5wL._SL160_.jpg" alt="文書術―読みこなし、書きこなす (中公新書)" style="border: none;" /></a></div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121020731/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">文書術―読みこなし、書きこなす (中公新書)</a>
<div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4121020731/transpersonal-22/ref=nosim/" title="文書術―読みこなし、書きこなす (中公新書)" target="_blank">amazlet</a> at 12.01.08</div>
</div>
<div class="amazlet-detail">工藤 順一 <br />中央公論新社 </div>
<div class="amazlet-sub-info" style="float: left;">
<div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121020731/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div>
</div>
</div>
<div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div>
</div>
<p>トランスパーソナルという学問においてもっとも誤解されている主張のひとつに、「個であることを超越することができるまえに、個でなければならない」（“You have to be somebody before you become nobody” – Jack Engler）というものがある。個を超越した意識を創発させることができるまえに、個としての意識を確立する必要があるという主張である。<br />
ここで留意すべきことは、このことばが必ずしも西洋的な自我を確立することが必要だと主張しているわけではないということである。そこで意図されているのは、あくまでも、自己を対象化して観察・探求できるだけの十分な内省力をそなえた自我を確立することが重要であるということであり、ある特定のスタイルの自我を特権化しているわけではないのである。人間の意識が深化するとは、既存の自己を対象化できるもうひとつの自己を確立するということである。あえていえば、そこで強調されているのは、自己をつきはなして客観的に観察・探究できるほどに強靭な自己を確立するということなのである。その意味では、個としての意識を確立するとは、紛れもなく自己中心性を減少させていくことであり、また、自己の強度を高めていくということなのである。<br />
このことを無視してしまうと、当然のことながら、上記の主張は、あたかも「西洋的自我」を美化するものであるかのように誤解されてしまい、結果として、不毛な論争が生み出すことになる。実際、トランスパーソナル・コミュニティにおいても、数多くの関係者が、そうした誤解にもとづいた論争に巻き込まれてしまい、もっとも本質的な問題を忘れてしまうという残念な状況が生じている。即ち、「トランスパーソナル」とよべる意識を確立するための基盤となる「人格」とは具体的にどのような自己対象化能力（内省力）を有しているのか、そして、それを確立するためには具体的にどのような実践にとりくむことができるのかという問題が無視されてしまっているのである。<br />
こうした状況を観察しながら、個人的にとりわけ危機感を覚えるのは、人格の発達の過程において「ことば」というものが果たす非常に重要な役割にたいして、総じて認識が希薄であるということである。結局のところ、自己を対象化して内省する作業とは、ことばの支えなしには不可能である。個としての基盤を形成することの重要性を軽視することは、不可避的に我々をことばにたいして無頓着にさせることになるのである。つまり、「言語能力」の発達が人格的成熟と緊密に関連するものであることが軽視・無視されているために、「個」としての意識構造を涵養するための重要な方法――しかも、それはもっとも身近なところにあるものである――をないがしろにしたままに放置してしまうことになっているのである。<br />
こうしたことを鑑みるとき、今、トランスパーソナル・コミュニティにおいてもっとも緊急に必要とされているのは、個としての人格的成熟を確実に実現するための方法を確認することであろう。このことは、トランスパーソナルというとりくみが「非日常的意識状態」を意識の変容の重要な触媒として位置づけるものであるがゆえに、とりわけ重要となる。強靭な人格構造を欠いたところで、膨大な量の心的エネルギーが関与することになるそうした非日常的体験を追及することは、深刻な自我肥大を惹きおこすことになるからである。</p>
<p>*</p>
<p>日頃こうした問題意識を抱いているためか、普段、「識者」とよばれるひとたちの発言を聞くとき、わたしは基本的に2つのことに留意してその価値を判断している：</p>
<p>• 単なる意見や見解を主張するのではなく、聞き手が実際に実践することのできる具体的な「型」（practice・praxis）を呈示していること<br />
• 発達論的な視点にもとづいていること（人間が根本的に変化・成長する存在であることに留意していること）</p>
<p>市場には実に膨大な数の「文章術」や「思考術」の書籍が陳列されているが、不思議なことに、上記の2つの基準をみたす作品はほとんど存在しない。その大多数は、個人的な体験にもとづいて著者が自身の思想や哲学を披瀝した独白か、あるいは、「魅力的」な文章を書くための技術（technique）を紹介したものに過ぎない。「ことば」という人間としての根源的な営みについて、それが人間にこの世界と関係をもつということを可能にする根源的な基盤であることを認識したうえで――それこそが発達心理学の核にある洞察のひとつである――実践的な観点から読者に語りかけようとする作品がほとんど存在しないのである。<br />
こうした貧困の中で異彩を放つのが、工藤 順一（http://www.kokusen.net/）氏の一連の著作である。工藤さんは長年にわたって小学生を対象にして日本語の読み書きを教えてこられた在野の教育者であるが、この最新著作では、これまでに蓄積した知見を「再編集」して、大人のための文章術を呈示している。<br />
そこで呈示されている方法は、非常に斬新なものであるが、同時に非常に古典的なものであるともいえる。そこには、文章を書くということが、本質的に文脈を共有しない不特定多数の他者にたいして意思疎通を図る行為であるという前提のもと、そのためには、自身の個人的な感覚や体験そのものを内省して、それをもうひとつの「目」をとおしてとらえなおす自己対象化の能力が必要となることが明確に認識されているのである。<br />
先述のように、人間の意識の発達の過程とは、自己中心性の減少の過程である。即ち、それは、文脈を共有しない他者の存在と視点を認識して、それにむけて自己の視点を適宜包装して届けることができるための自己対象化の能力が高まっていく過程であるといえるのである。単純化していえば、発達とは、そのようにして意思疎通できる文脈の種類を拡張していく過程なのである。そうした原理は、発達という旅程をとおして一貫して息づくものであり、「発達段階」に関わらず、自己を深化させようとするときに、我々が必ず直面するダイナミクスである。<br />
工藤さんは冒頭で次のように述べている。</p>
<p>長い間、私は小学生に作文を教えてきました。ところが、想定していなかったことなのですが、近年。ぜひ社会人向けに文章作成法のようなものを書いてほしいという相談が持ちかけられるようになりました。今まで必死で子どものための教材を作ってきたつもりなので、当初、私はこれに戸惑い、何も書けないままでいました。しかし悩みつつ、これまで作ってきたプログラムを総点検し、再度、角度を変えて考え直してみると、そもそも文章を書くことの基本や原理については、大人も子どももないのではないかと思い当たるようになりました（p. v）。</p>
<p>発達（意識の拡張）という一生の旅の端緒に就いたとき、人間は、その後、自らが直面することになる課題や試練を克服するための方法の元型を「型」として授けてもらう必要がある。それは、意識の発達という「死と再生」の過程を経験するうえでの羅針盤として機能しつづけることになるものである。その意味では、確かにそこには「大人も子どももない」のである。<br />
言語をとおして、われわれは、時空間をこえて、異なる文脈の中に置かれている他者と対話をする能力を獲得することになる。その画期となるのは、いうまでもなく、工藤さんのいう「話し言葉」から「書き言葉」に移行するということであるが、その移行の核心にあるのは、「自己」と「他者」の両方を包含することのできる包括的な視点を確立するということである。我々の日常において、多数の人々があたりまえのように実践している、この意識の拡張の意味を正確に把握することは、さらなる拡張と深化の果てにあるトランスパーソナルな意識にむけて自己を導いていくうえで必須の条件となるだろう。<br />
「言語化」（自己の体験にことばをあたえること）という意識の発達を触媒する重要な能力を鍛錬することは、ときとして混沌と混乱をきわめる変容の過程の中で我々を崩壊の危機から救ってくれることになる。霊性（spirituality）には、他者としての絶対者と関係を営むという、2人称的な側面が存在しており、それは、自己の主観的な混沌に耽溺しているとき、そうした状態から我々を目覚めさせ、救出してくれるものとなる。自己の内部に他者を抱擁して、その存在が醸成する不協和音を許容しつづけることは、健全な霊性を維持するためにも、必須の条件となるのである。ことばをつむぐという行為をおして自己を他者と世界に開くとき、我々は本質的には自己をの啓示に開くための基礎を習得しているのである。<br />
本書には、個としての自己を確立するということが、ことばをつむぐということと不可分に結びついているものであること――そして、それが最終的にはに至るための基盤であるということ――に関する重要な洞察が豊穣に息づいている。個をこえることを志す人々にこそ熟読していただきたい良書である。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>自著紹介   『ソマティック心理学』 （春秋社） 久保 隆司</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2707</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/2707#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 06:25:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://transpersonal.jp/?p=2707</guid>
		<description><![CDATA[自著紹介 『ソマティック心理学』 （春秋社） 久保 隆司 （本学会常任理事） ソマティック心理学 posted with amazlet at 12.01.08 久保 隆司 春秋社 Amazon.co.jp で詳細を見る [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>自著紹介</p>
<p>『ソマティック心理学』<br />
（春秋社）<br />
久保 隆司<br />
（本学会常任理事）</p>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393360583/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41S9sG-XYDL._SL160_.jpg" alt="ソマティック心理学" style="border: none;" /></a></div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393360583/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">ソマティック心理学</a>
<div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4393360583/transpersonal-22/ref=nosim/" title="ソマティック心理学" target="_blank">amazlet</a> at 12.01.08</div>
</div>
<div class="amazlet-detail">久保 隆司 <br />春秋社 </div>
<div class="amazlet-sub-info" style="float: left;">
<div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393360583/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div>
</div>
</div>
<div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div>
</div>
<p>ソマティック心理学の世界にようこそ！</strong></p>
<p>『ソマティック心理学』という言葉は、多くの人にとって耳慣れないものかもしれません。日本語に直訳すると「身体心理学」となります。ソマティック心理学は、自分の心と身体とのつながりを通して、また人と人との肌の触れ合いを通して、困難な時代を共に生き抜いていくための心理学であり、その実践としての心理療法なのです。その流れを少しでも知ってもらうことを願って、タイトルを『ソマティック心理学』としました。<br />
さて、ソマティック心理学といっても、実にさまざまなものがあります。ソマティック心理学とは、一つの特定のアプローチの名称ではなく、心理学のカテゴリーの名称だからです。しかしながら、それらは、基本的に「心身一元論」、「身心一如」的な立場をとる点で共通しています。身体と心理・精神は、不断に相互的なコミュニケーションを行い、影響を与え合っているという基本認識です。とはいえ、幅広い分野でもあるので、どこに力点を置いて探求・研究するのかは、それぞれの学派、研究者によって異なってきます。非常に神経生理学的、生物学的な「科学的」な立場を重視するものから、ボディ・エモーション・マインド・スピリットの統合やサトル・エネルギー（生命・霊的エネルギー）などに力点をおく「ニューエイジ的」または｢スピリチュアル｣なものまで、さまざまです。<br />
歴史的には、フロイトの弟子の精神分析医W.ライヒの貢献が大きく、「ソマティック心理学の父」と呼ばれることもあります。しかし、現代のソマティック心理学は、たとえば、ユング心理学、ゲシュタルト療法、ダンス・ムーヴメント療法など、さまざまな流れも含めて分野を構成しているといえます。特に1990年代以降、従来から心理と身体、生物学との関係性を探求していたソマティック心理学は、アタッチメント理論や、PTSD・トラウマの研究などを介して、最新の神経生理学・脳科学などの現代科学との相性がよいことも明らかとなってきました。以後、現在に至るまで、研究室での研究と心理セッション・ルームでの実践とのコラボレーションが大きな潮流・課題となっています。<br />
ソマティック心理学という立場は、ある程度の統合的な枠組みを提供できる学問として、果たせる役割とその可能性を持っていると考えます。もちろん、ソマティック心理学は万能ではありません。しかしながら、心身の分離状態から、心身の統合段階の領域に対して極めて有効な心理学・心理療法であり、時代がまさに求めている心理学であると確信しています。そしてこの領域へのワークの対象となるのは、現在生きている人（=身体を持っている人）のほとんどなのです。これが、ソマティック心理学が重要であり、必要である根本的な理由です。<br />
本書の大きな目的は、ソマティック心理学という、多くの人にとっては新しい、ホリスティックで学際的な概念・領域・枠組みを知ってもらうことです。そのため、ソマティック心理学を限定するのではなく、その隣接分野についての基礎も幅広く知ってもらおうという欲張った意図を持っています。これは、広く浅い内容になりがちなことと裏腹の危険性もあるのですが、その場合はカタログ的な機能を持っていると、好意的に受けとめていただければ幸いです。<br />
本書では、ソマティック心理学に関わるさまざまなトピックを扱っていきます。臨床心理学、実験心理学、発達心理学、脳科学、神経生理学、精神免疫学、意識学、哲学、文化人類学、動物行動学、ボディワーク（ソマティックス）、ダンス・ムーヴメント、トラウマとPTSD、トランスパーソナル心理学、インテグラル理論、マインドフルネス、仏教、その他スピリチュアルに関わる部分なども含みます。ソマティック心理学の世界で概ね共有されている話題から個人的に関心が高い話題まで、幅広く触れることで、未来へと開かれたとしてのソマティック心理学の特質を、多くの方と共有できることを目指しました。</p>
<p>どこからでも読み始めてください。そして、特に興味を感じられたところはじっくり読んでください。さらに、本書を手がかりに、参考図書やインターネットなどを通じて、ご自身の手と足で探求を進めていただければ幸いです。今後、より多くの人が、ソマティック心理学についての認知と理解を深められることを願っています。</p>
<p>私たちは誰であっても、身体というこの世に一つしかないオーダーメイドの地図を持っています。さあ、本書を手にとって、わくわくする宝物探しの旅に出かけようではありませんか！</p>
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		<title>特別寄稿 生き心地よい感じを取り戻す 飯田茂実</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 06:25:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[特別寄稿 生き心地よい感じを取り戻す 飯田茂実 （ダンサー・舞台演出家） 　すみませんが、とてもありきたりで、ネガティブな話から始めます。人の抱くネガティブ感にはいろいろあって、言わずもがなとは思いますが、あえて舞台創作 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>特別寄稿<br />
生き心地よい感じを取り戻す<br />
飯田茂実<br />
（ダンサー・舞台演出家）</strong></p>
<p>　すみませんが、とてもありきたりで、ネガティブな話から始めます。人の抱くネガティブ感にはいろいろあって、言わずもがなとは思いますが、あえて舞台創作でよく登場するネガティブ感を挙げてみます。<br />
　無能感、恥辱感、抑圧感、嫌悪、反感、敵意、劣等感、軽蔑、不安、焦り、恐れ、怒り、憎しみ、妬み、憂鬱感、自責感、疎外感、孤立感、後悔、罪悪感……心を込めてこうした言葉を朗読したら、それだけで気分が重暗くなるし、ぜんぶまとめて体験したら、どんなに強くて偉い人でも、生きているのがイヤになるのではないかと思います。<br />
　せっかくの自然な感情なのだから、ネガティブ感といえども元気に活かして、心地よく人生に役立て、固めてしまわずにバランスよく解消したい。ネガティブ感を固定させて心身に溜めこむ、そういう人が多くなるほど、社会のなかで、ストレスの病みを抱える人が多くなり、身ずからの命を奪う人が増えていくようです。 </p>
<p>　僕は仕事柄どうしても、人のネガティブ感を扱ったり、放散したりすることが多く、必要に迫られて、整体とか経絡医療とか、心理療法の技術を、いつのまにかせっせと身につけるようになってしまいました。そうした技や術は、物事の捉え方、心のもちよう、日頃からの態度といったことも含みます。<br />
　喜びを増やして、苦しみを減らすには、どうしたらいいか。平たく言えば、欠けているところを充たし、詰まっているところを流れるようにするばかりです。そのへん、伝統的な心身術は、本当によく効く。やはり効目が速くて、効目の長もちする技術が佳いようです。<br />
　こうした技術は、近頃の義務教育ではなかなか身につけられません。なるほど、生き心地よく暮らすことは、国民の義務ではなくて、たんに権利なのかもしれませんね。<br />
　高いお金を払って、お医者さんや薬屋さんにもたれかかっていてはもったいない。それぞれが生き心地のよくなる心身術を心得、身につけるのがいちばんです。<br />
「え? たったこれだけで、なんで?」というくらい、簡単によく効く技術がいろいろあるのに、それを身につける機会がないまま、多くの人たちが、闇のなかでぐるぐる廻りをしている……そんな妄念が襲ってきて、僕はときどき悔しくて辛くてたまらなくなります。そういう妄念はさっさと消しますが、またすぐに湧いてきて困ります。 </p>
<p>　新鮮な驚きにみちた子どものころの日々。生まれ故郷のくに言葉での、実感にあふれた人交わり。たくさんの感動に充ちた時。自分がかつて信じて守ってきたこと。これまでに僕は、大切なことをたくさん失ってきました。もちろん僕だけではないと思います。<br />
　大切なこと、大切なものを失うのは、とても恐ろしいことです。「ただいま」と言ったら「おかえり」と返事してくれる人を失い、故郷を失う。健康を失い、この世でたったひとつの自分の命を失う。収入や地位を失い、財産を失う。何より大切だった信念を失う。「一緒に元気になろうね」「わかっているから安心して」「あなたのこと大事に思っている」「信じているからね」……そうした、大切な人たちからの言葉を、愛情を失う。心の拠りどころを失うのは怖い。だから守りに入る。<br />
　たとえば僕は、人から意を注がれなくなるのが怖いです。かつて祖母や両親、師匠が自分を気にかけてくれたこと、妻、兄、友人が自分を気にかけてくれていることが、どれだけ救いになっているか、毎日しみじみ感じ入ります。それから、怖いといえば、気にかける対象というか、生きがいというか、そういうことをなくすのが怖いです。自分は今たしかに生きていて、活かしているんだ、という実感を失うのが怖いです。<br />
　多くの人が経験してきたことだと思いますが、僕は、両親を失い、女友達を失い、大切な友人知己を失い、先生や師匠を失い、そのたびに哀しくてたまりませんでした。もう、二度と、あの声を、聞けない。死んだ方が楽だと思うくらい哀しいこともありました。哀しんでいる体はうまく息がつけない。過酸素呼吸みたいになってしまって苦しいものです。<br />
　そんな哀しみから、なんと自分は、立ち直れてしまった。僕はいつも、人間の回復力におどろき感動します。立ち直るたびに、びっくりする。なんという回復力の速さだ。<br />
　もちろん立ち直ったつもりになっていても、実は根深いところで回復できないまま、しこりのように残っていることもあるのでしょう。そういうしこりというか、弱味がすっかり消えてしまった人は、人情もまた失ってしまうのかもしれないと思います。<br />
　山本周五郎さん、藤沢周平さん、山田洋二さんといった、大乗芸術の菩薩さんたちみたいな方々を、僕は敬愛しています。ひそかに先生と呼ばせてもらいながら、彼らの作品からいろんなことを学ばせてもらっています。先進的な人たちは、ついつい我を張ってしまうのか、理路を整えすぎているのか、まだまだ彼ら大乗芸術家の体現したような方法に、到達していないのではないかと思うこともよくあります。</p>
<p>足元が揺らぐ。自分の頼りにしてきたものごとが崩壊する。「ああ、自分にはもう、何も残っていない。もう生きていてもしょうがない」とさえ思う。そうした喪失の体験から、どうにか立ち直ってきた人、無から幾度も回復してきた人は、傍目にはどんなにへなちょこに見えたとしても、根が、芯が、しっかりしているように思います。本当に大切なことは何なのか、そうした経験のなかで、たしかめざるをえなくなる。人間にとって本当に大切なことを、いつも胸に抱いて暮すようになっていく。</p>
<p>　先月まで僕は九ヶ月ほど、もう捨て身の覚悟で、あちこちを旅して、奥地の奥にも触れてきました。ラテンアメリカ、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、ときには知人もなくほとんど何の予備知識もない国や土地へ出かけていっては、ワークショップをし、舞台を作って公演します。たてつづけに奇跡みたいな出会いの体験をしました。途方もない、圧倒的な、交流の体験が、つづいてゆく日々。行く先々で大規模な人災のシステムみたいなものに気づかされ、何とかできないものか、血尿を出しながら工夫をこらし続けました。何度か命の危険を冒しました。さあこれから八百年くらい先まで子孫たちのことを想って活動していくにあたって、身ずからをヴァージョンアップする必要もあったのです。中年期の武者修行みたいな一人旅でした。<br />
　ヴァージョンアップしなくてはもうダメだ、自分は無力感でダメになってしまう、自分がダメになってしまったら、家族も哀しむし、師匠に対しても申し訳ない、いや何よりやっぱり自分が困る。ここで自分がマモリに入ってしまったら、たくさんの人たちにとって「ああ、もったいなかった」というような損失だという気もする。なんかアホみたいだけど、そんなふうに感じていて全力です。自分の何をヴァージョンアップするのか。主に回復力です。受容力も、創造力も、人間の力というものは、芯からの回復力なくして成り立たないと思っています。<br />
　若い人たち、とりわけ、ちいさな子どもの回復力は、素晴らしいです。自粛しなさいと言いきかせても、なかなかうまく校則できない。野バナシにされている子どもたちは、いざというとき頼もしい野性を発揮できる。ちいさな子どもたちは、社会のなかの自然力だと思います。<br />
子どもは身近な人のパターンを真似ます。真似られる側がしっかりした回復力を身につけておけば、子どもがせっかくの回復力を失うことはないと思います。おい、もっとこっちへ伸びなさいと、芽をあんまり引っ張ると、芽が抜けてその先育たなくなってしまう。広びろした自然な環境で芽を伸ばしていくと堂々たる大木に育って、雷に打たれてもしぶとく芽吹いたりします。社会のお日様と空気さま、水さま大地さまがしっかりしていれば、あとはもう周りの人たちをよく真似ながら、子どもはすくすく育っていくのだなあと思います。<br />
　闇を知っても、すぐに光を取り戻すことのできる、回復力。疲れきったり、熱を出したり、病気になったりするのはかまわないんです、回復力さえあれば。ネガティブなことへ突入していっても、回復力があれば、平気です。<br />
僕は臆病者ですが、回復力を強みにしておけば、安心して、人を信じ、愛することができる。創造力、クリエイティビティの親分みたいな存在でもある、心身の回復力さえしっかりと身につけておけば、喪失を恐れて守りに入る必要もいくらか少なくなるのではないか。<br />
　守りに入っていたら、この世のなか、なんとかするなんてことはできない。放っておいたら、世のなかの未来は病みです。我が身を、周りの大切な人たちを、世のなかを、少しでも晴れやかに、おおらかにするのに、なんらかの常人的能力が必要だとしたら、その能力を身につければいい。……身につけてみる方向で、いこう。……というか、この状況ではすでに、身につけるしかない。<br />
　回復力を身につけることができるなら何でもやってやろうと、いきおい命を張って危険に飛び込んでいくのはバカだと思いますが、体張って原始行動というか、バカいっぱいやってきたおかげで、僕はこの10年ほどのあいだに、周りの人たちがキョトンとするような回復力を身につけてきました。虚弱児だったかつての自分を思うと尚更のこと、人間の心身に潜在している可能性は、途方もない自然生命の恵みだなあと感じ入ります。おかげであまり睡眠もとらず、食事とかもよく忘れたまま栄養過多になることもなく、ノンストップで創作の日々を続けています。<br />
おおむね自由で充実した生き心地でやっています。生き心地いいかい、わるいかいと訊かれたら、たいへん生き心地がいいです。なんて運がいいのだろう。なんて恵まれていて幸せなのだろう。熱を出して寝込んでいるときも、ひとりで哀しくて泣いているときも、怒ってじだんだ踏んでいるときも、体の生き心地のよさは変わりません。こういう単体で生き心地よい僕は、同時に社会人なので、社会をもっと住みやすくしたい。それで色んな活動をすることになります。生き心地のよさのうちにも、「気楽にちょっとムリしている」といった感じです。運がよかったのでしょうか。苦しみを耐え忍んで暮している人たちに申しわけない、すまないような気持になります。こういう生活がいつまで続くか、長生きはできるかどうかは、わかりません。</p>
<p>　僕はこれまで世界のいろんな場所で、いろんな国の人たちと、全員が本人の役で語りかけ、語り合い、踊り、歌う、ドキュメンタリー・ダンス・シアターの舞台作品を創作してきました。僕自身はあまり舞台に立つことはなく、構想、振付、台詞づくり、美術、音楽、演出など、総合監督を担当します。出演者たちと相談しあいながら、なるべくムリのないように、大勢での共同創作を進めていきます。日本ではこれまでに、松山、仙台、京都で、長い時間をかけて舞台を作りました。<br />
ドキュメンタリー・ダンス・シアターでは、ひとつの舞台ごとに、10人から30人ほどの出演者が集まって、一時的なコミュニティをつくり、共同創作をします。出演者が定まったところから創作が始まります。一人ひとりの出演者に即して、様々な役割を互いに見出しながら、全員が主人公となる舞台作品を創り、劇場で上演します。創作期間は、企画に応じて、わずか3日間のものから、1年余りかけるものまで、幅ひろい。<br />
こうした舞台創りをすると、どれだけ出演者一人ひとりの現在を受け容れ、愛することができるか問われます。今ある現実を受け容れて、味わい愉しむ能力。未来へのヴィジョンを生みだす能力。一瞬で能なしになれる能力。いろんな能力をずんずんヴァージョンアップさせ続ける能力。いろんな能力が必要になります。限界がない世界です。創作中は、毎日、力を使いきります。疲労でからだがぶるぶるふるえることがよくあります。</p>
<p>現在、一時帰国して、仙台にいます。19歳から27歳の若いアーティストたち15人と、新しい舞台を創っています。出演者も、技術スタッフも、メンバーは全員が3月の震災の被災者です。1ヶ月の創作期間のあと、他地域の多くの方々と協力しあって、東北公演ツアーをおこないます。<br />
舞台監督は19歳、足元が大きく揺らいだとき、彼はちょうど海辺の原発にいました。来た道を逆に辿ってバスで仙台へ避難してゆく道すがら、彼は、さきほどとまったく違う、信じられない風景を見た。道路の際の家々が、屋根まで水に漬かっていた。<br />
稽古のあとでラーメンを食べながら、ときに目を潤ませて、メンバーはお互いにそんなことを語り合っています。<br />
ある出演者はそのとき仙台の街なかにいました。立っていられないほどに足元が揺らぎ、目のまえで壁が崩れていく。ビルがゆらゆら大きく揺れ、窓ガラスが砕け、信号が停まり、車輛が停まり、バスから人びとが溢れでてくる。サイレンの音が聞こえ、遠くで煙があがっている。「ああ、もう終わりだ、あのビルも倒れてしまう、世界が終わるのだ」と思って、すべてがスローモーションのように見えたそうです。彼女はそれから三日ほど、体が何かの塊になってしまったようで、何も考えられずに呆然と寝たきり状態で過ごしたそうです。彼女はその後、海辺の被災地を廻って、ヴォランティア活動を続けてきました。しばらくはこの世界が色彩を失って、すべてモノクロのように見えていたそうです。一ヶ月ほど、動き回っているうちに、「色が戻ってきて、色を感じられるようになった」そうです。<br />
避難所から自宅へ戻ったあと、放射能におびえて何日か部屋にこもっていたという出演者もいます。彼もまた、その後、部屋を飛びだして、被災現場で働き続けてきました。被災現場の話をするとき、27歳の彼は、ひとり暮らしのお年寄りみたいな表情になります。<br />
震災によって、稽古場や劇場もたくさん使えなくなりました。制作予算もほとんどない。時にはその日の稽古場が昼になるまで定かではないような状態で、あちこちの稽古場へ転々と集いながら、創作を続けています。多くの方々に援けていただいています。創作中、ときおり余震で稽古場がぐらぐらします。そんなとき思わず体を縮めて「こわい……」と口走ってしまう20歳の女子もいます。<br />
出演者たちは、全力全身全霊といった状態になっています。<br />
この三ヶ月、それぞれが哀しみや怒りを、心身に溜めこんできました。<br />
ひとつの状況を多くの人たちと切に分ち合っているなか、日々、それぞれの哀しみ、怒りが……あたたかく思いやりのある態度へ、やさしい気持へと昇華されてゆく体験を重ねています。<br />
今、創作現場で、次世代の若い出演者たちから感じるのは、人の想いを感じやすくなっているゆえの強さ、芯のある底力みたいなものです。上演に向けて、心ふかい作品が、少しずつ育っている最中です。</p>
<p>　ドキュメンタリー・ダンス・シアターの創作というのは、心身の濃密な交流に充ちた作業です。共に本音で交わり、踊り、語り、笑い、怒り、泣き、安らぐ。創作過程ではいつも、一人ひとりの共作者たちのことを、たまらなく好きになってしまいます。心底いとおしい気持です。けれども舞台を終えるとコミュニティは解散し、共作者たちは、ばらばらになる。ドキュメンタリー・ダンス・シアターの舞台は、いちど限りの出来事です。想いを合わせ、全エネルギーを注いで創ってきた作品とも、公演が終わったら、さようならです。公演後の喪失感はひどいものです。もう舞台創りなんか二度とやりたくないと思って泣けてきます。かつて一年かけて創った舞台公演を終えた翌日、「終わってしまった。……舞台が終わってしまった」とつぶやきながら、呆然とひとりで街をさまよい歩いていました。そんなことの繰り返しです。 </p>
<p>　舞台づくりという作業を通じて、僕は、野口整体とか心理療法を学ぶことになってしまいました。古神道、武術、東洋医術など、伝統の技術は、ほぼそれで充分というくらい役に立つと思います。広くて深い愛情と信仰をもっていた人びと、仏陀、空海上人、ルーミー、一遍上人といった方々の用いた技術は、やはりやりやすくて効目があります。宗教から切りはなして活用できる技術が盛りだくさんです。<br />
あれこれ考えて工夫するにしても、やはりなにがしかの伝統術を身につけて、心身をすっきりさせてからのほうが効率よいようです。<br />
　僕にはいろいろ弱味があります。生き心地を回復するための、こうした伝統的な心身術を知らなかったら、日々の暮しはもとより、舞台づくりの指揮なんて、まるでダメだったと思います。<br />
　近頃の世のなかは、昔よりだいぶ便利になったようです。そして体感覚での交流が少ない世のなかになっている。心から想いを語りあい、分かちあう機会も少ない。人為的なシステム・ストレスに充ちた世のなかになっています。生命から見てたいへんな世のなかです。<br />
日本トランスパーソナル学会のメンバー全員が、想いをあわせ力をあわせて祈ったとしたらどうでしょう。協力しあって祈るように活動したとすれば……。例えば、人びとがもっと、命を大切にして、周りの人たちの心身を慈しむほうへと、この世を変えていくことはできるのか。ひと握りの超大金持ちたちの、自己意識や世界観を、変えることはできるのか。もしや、できるのではないか……などと僕は想像をたくましくして生き延びていますが……薬をつくって売ると儲かるし、武器をつくって売ると儲かるし、富と力を喪失するのが怖くてたまらない人たちも多いようだし、……やはり、ムリだろうか。<br />
時折、インドで活動しておられる佐々井秀嶺・龍樹師のことを想い出します。今はもう菩薩さんとしか言いようのない方ですが、かつては秀嶺師も自分と同じようなところの多々ある人間だったのだなあと思って喝を入れられます。</p>
<p>　どんな宗教にも属していませんが、僕は自分なりの信仰をもっています。誰もが、生命への、他の人たちへの大きな愛をひめていると信じています。<br />
　もしも舞台を観に来てくれるお客さんみんな、共作者たちみんな、お互いに、気の詰まったところがなくなって、お互いに、受け容れ、赦し、活かし合う、愛、と呼ばれるような心地にみたされるのなら、なんだってやってやろうと思うのですが、そう思う本人がまだ力不足で、守る必要のないものを守っていたりして、そのような境地へはなかなか到れません。 </p>
<p>　昨日の夕方から満月の夜が明けるまで、公演の創作をしていました。そのあと、朝の光のなかで、一気にこの原稿を書きました。取りとめのない話を最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。<br />
6月15日　仙台にて　</p>
<p>飯田 茂実（いいだ・しげみ）<br />
1967年信州諏訪に生まれる。大野一雄・大野慶人のアシスタントを務めてダンスと演出を学び、ピナ・バウシュ、アラン・プラテルの知遇を得て、ドキュメンタリー・ダンス・シアターの創作を志す。1998年よりマルチ・アーティストとして、世界17カ国に招かれ、創作・公演をおこない「人間アート・センター」と称されるようになる。ダンス・音楽・美術・シアター・文学など、様々なジャンルを身をもって統合していく活動は、学術的な研究対象にもなり、国際的に高く評価されている。著書に『一文物語集』『ダンスの原典』など。</p>
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		<title>特別寄稿 子どもの発達と教育 ～インテグラルな視点から～ 後藤　友洋</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 06:24:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[子どもの発達と教育 ～インテグラルな視点から～ 後藤　友洋 国語専科教室 http://www.kokusen.net/ 講師 現在、私は民間の教育機関で子どもに読み書きを教える仕事をしています。同時に、個人的な探求とし [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>子どもの発達と教育<br />
～インテグラルな視点から～<br />
後藤　友洋<br />
国語専科教室<br />
<a href="http://www.kokusen.net/">http://www.kokusen.net/</a><br />
講師</strong></p>
<p>現在、私は民間の教育機関で子どもに読み書きを教える仕事をしています。同時に、個人的な探求としてインテグラル理論に取り組み、教育の領域における応用を模索してきました。そうしたなかでみえてきたことは、教師ほど「インテグラル」であるということが明確な形で要請されている職業は他にはないということです。教師は、人間の成長のすべての段階（All Levels）について、深い理解と共感を示しながら、成長のあらゆる段階に位置している一人ひとりの子どもたちに向き合い、成長を促進するために働きかけていかなければならないのです。今回は、そうした成長の支援に取り組む際に、日本の教育が直面している問題についてお話をさせていただきたいと思います。</p>
<p>◆「ありのまま」を肯定することへの誤解<br />
教師の仕事とはなんでしょうか? いうまでもなく、それは、人間の成長を支援することだといえるでしょう。したがって、医師が治療を行うために病気に対する知識が必要であるのと同じように、教師は人間の「成長」について、ある程度理論的に考えることができる必要があります。言い換えれば、教育とは、「人間とはこうあるべきだ」という理念に基づいて行われる営みであり、それは生徒たちに、自らの示す理想の人間像に近づくよう促すことであるといえるでしょう。<br />
一方、今日、教育を志す人々の間では、子どもの「ありのまま」を肯定しようとする教育論が広く共有されています。そこでは、理想の人間像とは、誰かに与えられるものではなく、一人ひとりが自分自身のなかに見出さねばならないものだと考えられます。そうした考え方は、教師の善意や深い共感に基づくものであることは確かです。しかし、このような考え方によれば、教師が自らの理想とする人間像を子どもたちに示すことは、ある特定の価値の「押し付け」であり、「傲慢」であるとされてしまいます。その結果、教師は明確な教育目標を設定して、自らの指導力を発揮する機会を自ら放棄することになってしまうのです。<br />
はたして、これは教師としての正しい態度でしょうか? 私は、このような「善意」の教育論を語る教育関係者に出会うたびに、何度も自問しました。そこには、何かが決定的に欠落しているように思えたのです。<br />
いま、改めてその疑問の内容を整理してみるなら、次のように説明できます。すなわち、価値中立的な教師の態度は、教育というものが、そもそも子どもたちの思想・信条に何らかの形で影響を与えないわけにはいかないものであり、教育とは、必ずある意図のもとに行われるものであるという事実をむしろ隠蔽しているということです。結果として、こうした考え方は、教師と生徒の双方に都合のよい逃げ道を用意することになります。教師は教えることの責任を、生徒は学ぶことの責任を放棄することができるのです。したがって、もしこのような価値中立的な、ありのままを尊重するという考え方で教育活動に取り組むなら、それはスタートの時点ですでに教育としての資格を失っているといえるでしょう。なぜなら、生徒の「ありのまま」が尊重されるとき、生徒は自らの内に克服すべき課題が何もないかのように扱われることになり、そのようななかで行われる教育には、より優れた存在になるための「成長の見取り図」が、全く存在しないことになるからです（こうした主張がなされるとき、しばしば教育は「共育」と表現されることになります。「教える」という教育の重要な側面が捨てられてしまうのです）。だから、私はこのような考え方を持った教師は、自らの立場を最後まで守りながら教育活動を行うことは不可能であると思うのです。では、こうした「ありのまま」を肯定するという教育理念に対して、インテグラルな視点は、どのような教育理念を対置することができるでしょうか?</p>
<p>◆子どもを改めて発展途上の存在と位置づけること<br />
上述したように、教育とは子どもたちに理想の人間像を提示することなしには決して成り立たないものです。ところが、このように教育を定義すると、必ず「そのように教師が一方的に子どもに価値観を押し付けるべきではない」という反論に出会うことになります。しかし、そのような反論をする人々でさえ、子どもたちに自らの理想とする人間像を投影しているのであり、教育に「教える」という側面が必ず付きまとうのである以上、彼らもある一定の価値を押し付けることは免れないのです。<br />
では、彼らの理想とする人間像とは、どのようなものでしょうか? この問いに対する優れた解答として、教育評論家の尾木 直樹氏の「子ども観」が挙げられます。尾木氏は、現代の子どもには「地球時代を生きるヒューマニズムと成熟した民主主義の感性」すなわち、「市民性」の芽生えが認められるとしています。そして、子どもを「完成体である大人への発展途上人」として捉える見方を否定しています。こうした考えには、私も基本的に賛成であり、これからの教育においては、自律的に物事を考えることのできる市民を育てることが最優先事項であることは間違いありません。<br />
しかし、 一方で、次のような疑問が残ります。そのような市民性を備えた個人は、いかにして形成されるものなのか、という疑問です。発達心理学の研究を参照するなら、それは、発達の過程で「獲得」されるものであるはずです。したがって、市民性の獲得は発達が順調に進んだ場合の「ゴール」であって、子どもたちにあらかじめ与えられているものではないはずなのです。ところが、子どもの「ありのまま」を尊重する立場に立てば、それははじめから子どもたちに備わっている能力であるということになってしまいます。なぜなら「市民性」とは、一人ひとりの存在が平等に扱われることによってはじめて成立するものであり、「ありのまま」を尊重する立場を認めるなら、平等であるはずの子どもはすでに市民として生きる権利を有しているということになるからです。<br />
しかし、この考え方は、それではなぜ人間が成長する必要があるのかという根本的な問いに対して、決して答えることができません。発達の視点が欠如しているのです。そして、こうした平等主義は、教師と生徒の間に、教え、教えられるという上下関係を認めません。彼らの立場を徹底するなら、教師と生徒は、対等な関係を築いていくべきなのです。<br />
このように、教師と生徒を水平的な関係のもとに位置づける平等主義の発想は、大人と同じように、自由意志に基づいて自らのあり方を決定することができるかのように子どもを扱うことになります。しかし、実際には、そのように自律的な個として生きることは、非常に難しいことです。<br />
ケン・ウィルバーが指摘しているように、人間は、発達の過程で、前－慣習的段階、慣習的段階、後－慣習的段階という3つの成長の段階を通過していきます。そして、自律的、かつ民主的であることは、後－慣習的段階に至ってはじめて獲得される能力なのです。したがって、子どもは、まずは慣習的段階において規範を学び、後－慣習的段階において規範を相対化する（これが、自律的な市民性を獲得するということの意味です）という順序で成長していくことになります。つまり、教育の初期の段階では、なによりもまず「躾」が重要になるということです。<br />
しかし、最近の教育関係者の間ではこの「躾」という言葉にも抵抗を感じる人が多いようです。原因は、これまで確認してきたように、それが教師と生徒の上下関係を意識させる言葉であるからでしょう。そのような批判をする人々は、ある意味で非常に健全な精神の持ち主であることは確かです。ただし、この人々は、自らのその健全さが、子どもの頃にきちんと躾を受けたことによって形成されたものであることに気付いていません。その結果、実際には前－慣習的段階に位置している子ども達を、教師自身と同じ位置に――すなわち、後－慣習的段階に、誤って位置づけてしまうのです（前後の混同）。<br />
このような誤りを招いている原因は、生徒の存在そのものを肯定することと、生徒の能力を評価することを混同していることにあります。ウィルバーは、すべての者に平等に与えられている存在そのものの価値（基底価値）と、相対的に他の存在に対して優越している価値（内在的価値）を区別していますが、まさにこの2つの価値が、同じ次元で捉えられてしまっているのです。<br />
たとえば、新自由主義的な教育を巡る論争において、一人ひとりの生徒を平等に扱うべきであるという革新派と、生徒間の能力差を認めるべきであるという保守派の対立がしばしば問題とされます。この場合、革新派は基底価値を、保守派は内在的価値をそれぞれ問題としているのです。ここで、革新派と保守派の双方が主張している内容は、それぞれに一定の真実を宿しています。しかし、問題はその真実が一面的であり、異なる価値の領域があることをお互いに認められないということなのです。<br />
さて、それではこの2つの価値の違いを前提とした上で、それらを統合的に位置づけるには、どのような教育観の設定が必要でしょうか? まずは、子どもの存在そのものの価値を尊重する姿勢が、教師に求められることは明らかです。しかし、子どもの基底価値のみを問題にして、同時に子どもには克服すべき未熟な側面があることを否定することは、明らかな間違いです。なぜなら、子どもの「ありのまま」を肯定する教育観は、子どもを大人と平等の存在として、あるいは、大人以上に高い価値を有した存在として、過度に美化することになるからです。こうした考え方は、実は、大人と子どもの双方を馬鹿にした考え方であるといえるでしょう。これでは、大人は「堕落した存在」であり、子どもは、「堕落しつつある存在」ということになってしまうからです。もし、子どもが大人という存在に向けて堕落しつつあるのだとすれば、子どもは一体何のために成長するべきなのか、わからなくなってしまうでしょう。<br />
私は、このような一面的な子ども観、あるいは教育観に対して、子どもの内在的な価値を同時に重視することを主張します。子どもは、ありのままの姿に価値があるのではありません。すべての子どもは、より善なるものへと成長するための潜在的な可能性を秘めているが故に、平等に価値があるのです。このように子どもの基底価値を定義しておけば、同時に、一人ひとりの子どもの能力は質的に異なるものだということも受け入れることができます。つまり、子どもの存在の価値を尊重しながら、子どもを改めて発展途上の存在と位置づけることができるのです。このような了解があってはじめて、私たちは子どもの発達段階を考慮した教育のあり方について、議論することができるのです。</p>
<p>◆責任への教育<br />
ヴィクトール・フランクルは、教育とは、まず何よりも「責任への教育」であるべきだと主張しています。それは、「自分は何をしたいか」ということよりも「自分は何をすべきか」ということが優先されるべきであるという考えに基づいています。そしてそれはまた、自律的な個人というものが、自分自身の欲求を超えた、 より高次の「意味」の次元に開かれた存在であることを示しています。つまり、真に自律的な個人を育成しようとするなら、個人的な欲求を犠牲にしてでも実現しなければならない「意味」ある行為が、この世界には無数に存在していることを子どもはまず学ばなければならないのです。<br />
子どもの「ありのまま」を尊重しようとする教師の感性は、確かに教育の画一化という弊害を乗り越え、一人ひとりの個性を認めていこうとする、より理想的な教育理念を打ち出すことに貢献したことは間違いありません。しかし、同時に、子どもの「多様性」に目が奪われるあまり、すべての子ども達に妥当する普遍的な価値の領域が見失われてしまっていることも確かです。つまり、全ての人間の背後に息づく普遍的な構造に対する洞察が欠けているのです。 その結果、教師の設定する教育目標よりも生徒の個人的な欲求が優先される学習環境が形成されることになります。その最悪の例が、学級崩壊であるといえるでしょう。したがって、こうした子どもの発達の問題についてどれほど自覚的であるかということは、教師の指導力を測る上で非常に大きな尺度になると、私は考えています。<br />
教師の指導力とは、どれだけ明確な教育目標を子どもに示すことができるかにかかっています。それは、学習の「意味」を軸にした 教育であるということができるでしょう。そこでは、子どもの学習に対する動機は、自己中心的な欲求に基づくものではなく、そうした欲求を超えた学習の「意味」に向けられたものでなくてはなりません。そのためには、教師は子どもに対して学習の到達目標を提示して、その目標を達成するために必要となる「型」を与えることが必要になります。それは、子どもが自分自身のなかに克服すべき課題を見出すことであり、その課題の克服に伴って、成長することの喜びを感じられることが、人間としての健全なあり方なのです。<br />
一方、子どもの「ありのまま」を尊重して、子どもをすでにそのままで完成された個人として捉えるなら、我々大人は、彼らに何ひとつ、示すべき価値がないことになります。そのとき、自律的な学習とは、個人の欲求に従い、好きなように振舞うことと混同されてしまうのです。その結果、こうした教育観は、子どもをある特定の型に当てはめることを拒絶することになります。しかしそれは、残念ながら、教師の指導力不足を露呈することにしかならないのではないかと思います。<br />
いま、教育に求められているのは、一人ひとりの子どもが異なる発達段階に位置していることを認識した上で、それぞれの段階の子どもにどのような支援ができるのかということを模索することです。子どもの振る舞いを無条件に肯定するのではなく、時には否定し、子どもが自己そのものを克服するように鼓舞すること。それこそが、真に一人ひとりの子どもを尊重することなのです。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>関連書籍紹介 『インテグラル・シンキング―統合的思考のためのフレームワーク』 鈴木 規夫著 (小林真行)</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2701</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/2701#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 06:23:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[関連書籍紹介 『インテグラル・シンキング―統合的思考のためのフレームワーク』 鈴木 規夫著 コスモス・ライブラリー刊（2011年） 小林 真行 （本学会常任理事） インテグラル・シンキング―統合的思考のためのフレームワー [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>関連書籍紹介<br />
『インテグラル・シンキング―統合的思考のためのフレームワーク』<br />
鈴木 規夫著<br />
コスモス・ライブラリー刊（2011年）</p>
<p>小林 真行<br />
（本学会常任理事）</strong></p>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434157841/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41bTUGDM75L._SL160_.jpg" alt="インテグラル・シンキング―統合的思考のためのフレームワーク" style="border: none;" /></a></div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434157841/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">インテグラル・シンキング―統合的思考のためのフレームワーク</a>
<div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4434157841/transpersonal-22/ref=nosim/" title="インテグラル・シンキング―統合的思考のためのフレームワーク" target="_blank">amazlet</a> at 12.01.08</div>
</div>
<div class="amazlet-detail">鈴木 規夫 <br />コスモスライブラリー </div>
<div class="amazlet-sub-info" style="float: left;">
<div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434157841/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div>
</div>
</div>
<div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div>
</div>
<p>本書は、ケン・ウィルバーのインテグラル理論におけるもっとも基本的かつ重要な柱である「四領域（Four-Quadrant）」の分析に焦点を当てて、その具体的な応用方法・活用法を示した手引書です。著者はこれまで、人間の心理的な発達や能力開発にかんする研究を進めながら、企業組織におけるコーチングやリーダーシップ・トレーニングを始めとした人材育成に携わってきました。本書の一番の特徴は、そうした活動に裏づけられた洞察がふんだんに盛り込まれているところにあります。<br />
ウィルバーの思想については、日本でもその著書のほとんどがタイムリーな翻訳によって紹介されてきましたが、とりわけ2000年代に入って以降は、理論的な側面の導入・紹介に留まらず、それらが一人一人の現実にどのようにリンクしているのか、あるいはビジネスやカウンセリングの現場にインテグラル理論を応用するにはどうすればよいのかといったふうに、実践的な側面をさらに明確にしていくことが求められてきました。個人の成長を考える際には、個人を取り巻く職場や人間関係、社会の情勢といった具体的なことがらとのかかわりを切り離して考えることはできないからです。2004年に米国での研究を終えて帰国した著者は、これまでの七年間に多様な場面での実践経験を積んできました。本書は、そうした蓄積を踏まえた上で、インテグラル理論に対する近年の要請に応える形で執筆されたものです。<br />
本書を一読してもっとも新鮮に感じた点は、ウィルバーの言う四領域（個人の内面・外面、集団の内面・外面からなる四つの領域）という一見単純な地図が、使い方次第では実に多様な力を発揮するということでした。インテグラル理論については、さまざまな領域にまたがる理論や学説を整理し、それぞれの長所と短所を含めた俯瞰的な見取り図を提供するものであるという理解が一般的で、その実践面についてはまだあまりよく知られていないという状況だと思います。しかし、本書に詳しく述べられているように、四領域という地図は静止的な分析や描写に留まるものではなく、複雑な状況分析や問題点の洗い出しに使うこともできれば、将来の目標設定やヴィジョンの創造にも応用が利くという、非常にダイナミックな力を秘めているのです。インテグラル理論とは、寄せ集めや折衷主義とは大きく異なり、前向きで現実的な変化を、持続的にもたらすための方法論なのです。<br />
以下では、本書の内容をかいつまんでご紹介したいと思います。<br />
第一章の「世界の四領域」では、ウィルバーの言う四領域を概観し、問題や課題をその中に落とし込んでいく四領域分析の方法を解説しています。面白いのは、ある企業の管理職の立場を例に取り、それぞれの領域ごとに状況や課題を浮かび上がらせていく箇所です。こうした具体例については、理論を追っているだけではなかなか理解できにくいところがあり、多くの人にとって参考になるのではないかと思います。<br />
第二章「視野狭窄の罠」では、これら四領域のどれか一つが支配的になった時に生じてくる問題点を探っていきます。例えば、個人の内面だけに偏りすぎてしまえば精神主義や心理主義に陥ってしまいますし、反対に個人の外面だけが重視されるようになると極端な能力主義や成果主義を招くことになってしまいます。著者は、それぞれの領域がもっている利点と限界とに触れながら、ある領域の偏りや過大視が起きるとどのような問題を引き起こすことになるのかを丁寧に探り当てていきます。組織や社会に蔓延してくるある種の閉塞感や行き過ぎた状態についても、多くの場合はこうした偏りが招いているものであることがよく分かる箇所だと思います。<br />
第三章「知性の成長段階」は、四領域のうちのいずれか一つの領域からスタートして、徐々に他領域を交えながら認識を深めていくプロセスを描写しています。各領域間をリンクさせる知のあり方についてはよく話題になりますが、それらはどことなく漠然としていて、実際のプロセスにかんしてはなかなか把握しずらいというのが実状ではないでしょうか。ここでは、そうした知を深めるにあたってはどのような手続きを踏む必要があるのか、順を追って詳しい説明がなされています。<br />
第四章の「対極性の統合」では、これまでの議論を踏まえながら、私たちがさまざまな場面で直面することになる、「自立性と関係性」、「質と量」、「日常と非日常」という両極性を詳しく掘り下げ、それらをどう統合していくかを考察します。こうした両極性はどちらも必要なものですが、片方に留まり続けると知らず知らずのうちに不健全な状態に陥ってしまいます。著者は、こうした両極のバランスを取るには単にその中間に留まろうとするのではなく、適切なタイミングで両極間を縦横に移動することが必要なのだと言います。特に「質と量」をめぐる葛藤については、仕事の現場で多くの人が直面するものであり、非常に教えられるところが多いのではないでしょうか。<br />
最後の「むすび」は、以上で示された統合的な思考法の実践篇です。また、巻末には資料として四領域分析の実例が掲載されており、各種の具体例への理解を深めることができるように配慮されています。四領域分析の手法は、個人で使うこともできるし、グループでのブレーンストーミング等に用いることもできるので、応用範囲が非常に広いのです。<br />
この本は、読者それぞれが、自分自身の置かれている状況や問題に照らしながら考えることができるだけでなく、グループや企業組織に変化や成長をもたらすための地図や枠組みも提供してくれます。色々な場面で活用できる数々のヒントで一杯の本書を、是非とも手に取ってみてください。</p>
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		</item>
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		<title>新著紹介 「おとなの悩トレ」 (向後 善之)</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2699</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/2699#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 08 Jan 2012 06:21:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://transpersonal.jp/?p=2699</guid>
		<description><![CDATA[新著紹介 「おとなの悩トレ」 メディアファクトリー 向後 善之 （本学会常任理事） ゆるぎない心 を作る8ステップ　おとなの悩トレ！ posted with amazlet at 12.01.08 向後善之 メディアファ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>新著紹介<br />
「おとなの悩トレ」<br />
メディアファクトリー<br />
向後 善之<br />
（本学会常任理事）</strong></p>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840139636/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/519YmqaNFcL._SL160_.jpg" alt="ゆるぎない心 を作る8ステップ　おとなの悩トレ！" style="border: none;" /></a></div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840139636/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">ゆるぎない心 を作る8ステップ　おとなの悩トレ！</a>
<div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4840139636/transpersonal-22/ref=nosim/" title="ゆるぎない心 を作る8ステップ　おとなの悩トレ！" target="_blank">amazlet</a> at 12.01.08</div>
</div>
<div class="amazlet-detail">向後善之 <br />メディアファクトリー </div>
<div class="amazlet-sub-info" style="float: left;">
<div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840139636/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div>
</div>
</div>
<div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div>
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<p>311以降、「想定外」という言葉をさかんに耳にしました。しかし、想定外だから仕方が無いのでしょうか? 実は、日常の中に「想定外」はたくさん存在します。例えば、「あっ、やばい、どうしよう」と思った時、あなたはすでに「想定外」の世界にいるのです。</p>
<p>想定外のことがおきないように対策を講じることは、現在の日本では、比較的広く行われているように思います。こうしたリスクマネジメントは、一度マニュアルを作ってしまえば、ある程度ルーチンワークのようにできます。しかし、「想定外」のことが起きた時は、状況に応じて、自分の頭で考え行動するクライシスマネジメントが必要になってきます。適切に考え行動するためには、適切に悩むことが必要です。本書では、人生の中で起こるさまざまな「想定外」の出来事を例にとりながら、それを建設的に乗り越えていくための8つのステップを提案しています。</p>
<p>この8ステップは、インテグラル理論、ソリューションフォーカスアプローチ、認知行動療法などを組み合わせています。……などと書くと、小難しいのではないかなどと思われる方がおられるかもしれませんが、ご心配なく。一般向けに分かりやすく書いたつもりです。この本がみなさまの「想定外」に、少しでもお役にたてればと思います。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>特別寄稿 変化の時代をどう生きる? 二子 渉</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2733</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/2733#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 07 Jan 2012 07:08:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[特別寄稿 変化の時代をどう生きる? 二子 渉 「もっとも強い者が生き残るのではない。もっとも賢い者が生き残るのではない。唯一、生き残るのは変化する者である。」　チャールズ・ダーウィン 進化論的に考えて未来があるのは変化す [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>特別寄稿<br />
変化の時代をどう生きる?<br />
二子 渉</p>
<blockquote><p>「もっとも強い者が生き残るのではない。もっとも賢い者が生き残るのではない。唯一、生き残るのは変化する者である。」　チャールズ・ダーウィン</p></blockquote>
<p>進化論的に考えて未来があるのは変化する者。そしてあまり指摘されませんが、進化が起こるときには当然、それまでの形質のほとんどが受け継がれます。だからより正確に言うなら「生き残る者は、それまでのよい点を保持しながら必要な変化を受け入れる者。」過去を否定するのではなく、何を残して何を変えるのか、それを見極めて変化していくとき、私たちの未来は大きく開けていくのではないでしょうか。</p>
<p>震災によって日本の社会は当面、混乱しつつ社会構造レベルで大きく変化していくでしょう。先住民文化や持続可能社会について学んだ人なら、これまでの社会システムが持続可能性に乏しいことを知っていました。つまり主体的に変えていくか、座して破綻を待つかしかなかった。その、元からあったテーマが震災によって急激に表面化しつつあります。</p>
<p>その選択を迫られたら、僕はもちろん主体的に変えていくことを選びます。それは誤解を恐れずにいえば、僕にとってはとてもクリエイティブで楽しい作業です。災害そのものを喜ぶ必要はないけれど、この出来事をどう受け止め、どう活かしていくのかは、僕らの自由であるはずです。</p>
<p>僕個人が選ぼうとしている変化の方向は、社会レベルでは経済活動や資源・環境についての持続可能性の根本的な向上、個人レベルでは、一人一人がほんとうに自分を大切にして生きるという方向。</p>
<p>さてでは僕ら一人一人に何ができるでしょう。これはなかなか大きな問いです。これか当面は混乱をともなう情勢であり、トップダウンで計画的に役割をあてがえるとは僕は思いません。一人一人が自分の持ち場で、考えながら最大限能力を発揮するほうが現実的だと思う。</p>
<p>そのためにどうするか。カウンセラー／経営コンサルタントとしてのつたない経験からいうなら、自分なりに、たましいの底から喜べる道を見つけていくこと。そうすることでしか、一人一人のポテンシャルが最大に活かされる道はないのではないでしょうか。他の人が立派なことをしていたからといって、それを無理にまねてもしょうがないし、自己犠牲をともなうやり方も当然長続きしません。</p>
<p>そしていいニュースもあります。僕は仕事柄、日々そういう生き方のお手伝いをしているのですが、ほんとうの喜びにつながることで、身勝手な人が増えることには決してならず、むしろ社会全体がよくなっていくことに直結する。そのことを日々実感しています。</p>
<p>いろんな人が、あなたについて不謹慎だとか無知無能だとか勝手な批評をするかもしれません。でもいまこそ一人一人が、ほんとうに自分にとって大切なことをみつけ、それを大切にして生きるときではないでしょうか。みなさんにとって、たましいをかけてでも生きたいと思える人生はどんなものでしょう?</p>
<p>それをしっかり見据えながら、この大きな変化の時代を超えていきませんか? そんなあなたに、僕は心からの声援を送りたいです。</p>
<p>二子 渉（ふたこ・わたる）<br />
工学博士。日本プロセスワーク協会理事。心理カウンセラー／経営コンサルタントとして、一人一人が自分の願いとつながり、それを社会の中で活かしていくサポートを行っている。またネイティブアメリカンの「自然と共生する智慧」を伝えるワークショップなども行っている。ウェブサイト「風使いの小屋」（<a href="http://www.geocities.jp/processworkwf/" target="_blank">http://www.geocities.jp/processworkwf/</a>）</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>特別寄稿 災害の後で 災害と悪夢について 田尻 宇成</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2732</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/2732#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 07 Jan 2012 07:04:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://transpersonal.jp/?p=2732</guid>
		<description><![CDATA[特別寄稿 災害の後で 災害と悪夢について 田尻 宇成 （本学会常任理事） みなさん、こんにちは。まず、震災と原子力発電被害に遭遇されている方に、心からお悔やみもうしあげます。 7月に来日する、ジェレミー・テイラー博士の来 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>特別寄稿<br />
災害の後で<br />
災害と悪夢について<br />
田尻 宇成<br />
（本学会常任理事）</strong></p>
<p>みなさん、こんにちは。まず、震災と原子力発電被害に遭遇されている方に、心からお悔やみもうしあげます。<br />
7月に来日する、ジェレミー・テイラー博士の来日を念頭に、夢へのアプローチを書く予定でしたが、東北地方太平洋冲地震の発生を受けて、災害後にみることがある悪夢への対応に重点をおいて、国際夢研究協会他からの内容を引用しながら紹介します。マスメディアで大量な被災地や被害者の情報が流れていますので、直接の被害者はもちろんのこと、被害をうけなかった方も、悪夢をみる可能性があると思われます。<br />
人間が恐怖や心配を感じるとき、私たちの意識の深層は、その状況への対応に追われます。つまり、身内のだれかがなくなったり、一瞬のうちに、津波に飲み込まれたりする異常な状態に身をさらされてしまうと、そのときは、自分を守ることが精一杯で気がまわらなくなります。しかし、もう一つの意識は、あったことの全てを記憶していると考えられています。そして、悪夢をみることで、2つ事柄につじつまをあわせようという密かな作業がおきているのでしょう。意識において、また、無意識下で、その作業が終わるまでは、繰り返して、悪夢がくりかえされる可能性があるのではないでしょうか。悪夢をみるということを、否定的にとらえるより、意識のプロセスの一部だと受け止め、建設的に意味を見いだそうという心的態度を持つことが、大切なことだといわれます。<br />
ところで、起こった事実を変える事はだれもできません。しかし、悪夢の内容を変える事はできます。そこで、悪夢を観ていらっしゃるか方は、もし、できることなら、夢を観ている時、いままでとちがう事をすることをおすすめします。もちろん、言う事は簡単ですが、すぐに実行できる人はすくないかと思われます。これは、明晰夢といって、多くの人はそれができるまでには、訓練が必要かもしれません。しかし、覚醒時に、「夢のなかで、自分の意志どおりに行動できる可能性があるのだ」と考えることが、明晰夢をみる第一歩です。その他、日中、夢の内容を思い出し、書き留めます。その時、夢で自分がどのように振る舞ったらいいかを考え、書き留めたものに、添削をいれて、自分の想い通りの夢にして、書き換えるのです。そして、寝る前に、とくにうつらうつらした時に、書き換えた夢のことを思い出すようにしてみてください。すこし努力が必要かもしれませんが、だんだんと内容がかわっていくといわれています。<br />
今さらでもありませんが、夢は、いろいろな内容をもっています。スタンリー・クリップナー博士は、『特別な夢とその生かし方』という本のなかで、13種類のタイプに分けています。その中には、創造性を活性化させる夢、癒し、過去生、死んだ人がでてくる夢など様々です。<br />
　夢は我々の覚醒時での経験を、ちがった角度から見せてくれているのかもしれません。しかし、おそらくそれだけではないでしょう。夢は、大昔のこと、未来、<br />
そして、自分が普通では考えないことも、教えてくれる事もあります。最近僕は、鳥越さんという女性が夢にでてきましたが、そんな方はまったく知りませんし、その名前を考えた事もありませんでした。時間をとってワークをしないと、これもわからないでしょう。いったい私たちの意識はなにを示しているのか? 私たちの一人ずつの意識の構造や内容を、ドリームワークを通して、内容を理解していくと、自分に対する考え方もかわってゆくのではないかとおもいます。災害の時だけでなく、普段の時からも、夢を大切にしてください。<br />
そして、ぜひプロジェクティブ・ドリームワークの開発者、ジェレミー・テイラーの講演に参加されてください。そこでは、みなさんと明晰夢についての短編ドキュメンタリー映画を観賞し、インセプション、夢と私たちの覚醒時の夢、復興についても深く語りましょう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://transpersonal.jp/archives/2732/feed</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>特別寄稿 ナワプラサード／ほびっと村学校の紹介 高橋 ゆりこ</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2731</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/2731#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 07 Jan 2012 07:04:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://transpersonal.jp/?p=2731</guid>
		<description><![CDATA[特別寄稿 ナワプラサード／ほびっと村学校の紹介 高橋 ゆりこ （ナワプラサード／ほびっと村学校スタッフ） いのちのひみつについて思うとき、 いのちのひみつはひみつとして わたしの存在を祝福したいとき、 そのひみつを わた [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>特別寄稿<br />
ナワプラサード／ほびっと村学校の紹介<br />
高橋 ゆりこ<br />
（ナワプラサード／ほびっと村学校スタッフ）</strong></p>
<p>いのちのひみつについて思うとき、<br />
いのちのひみつはひみつとして<br />
わたしの存在を祝福したいとき、<br />
そのひみつを<br />
わたしの身体をとおして知りたいとき、<br />
そのひみつをほかの人たちと<br />
分かちあいたいとき、</p>
<p>役に立つ本屋になりたいです。</p>
<p>新しいおくりもの、ナワプラサード</p>
<p>～～～～～～</p>
<p>　地震、津波、原発。こんな時期に何を書けばいいだろうか。毎日、明日がわからない、そんな三週間だった。日本を変えるできごとだった、と後になったら言えるといいのだが。衝撃と不安が襲ったが、自分のできることは何か、と考えたら、やはり本屋（と、ほびっと村学校）を続けることしかない。上の詩は、1994年4月、本屋が代替わりするときに、私の胸にうかんだ詩だった。この詩を読むと、また勇気がでる。初心忘れず、ですね。生きていくことのなぞ、を、いつも感じながら、そのときどきに必要な本を提供していきたいです。</p>
<p>　お、また余震。</p>
<p>　少し客観的なことも書かねばわかりにくいですよね。トランスパーソナル学会のイベントでは、よく出店しているので、ご存知の方も多いと思いますが、書店ナワプラサードは東京・西荻窪の、日本初のオーガニック・ビルほびっと村の3階にあります。1階は、長本兄弟商会（通称ナモ商会）という八百屋さん。2階は、いろいろ変遷して、今はナモ商会経営のレストラン、バルタザール（とてもおいしいです）。3階は、ほびっと村学校とナワプラサードが入っています。</p>
<p>　ナモ商会は1976年から、書店と学校は1977年から始まっています。元々はプラサード編集室といって、先代店長のきこりこと槙田 但人さん、『なまえのない新聞』のアパッチこと浜田 光さん、詩人の故山尾 三省さん、おおえ まさのりさん、星川 淳さんなどが集まって、高度経済成長とまったく逆の生き方を模索し、『やさしいかくめい』シリーズで本を2冊出した。その後、編集室移転にともない、空いた場所をきこりさんが書店にしたのだった。「百姓の本屋」というその頃のキャッチフレーズは、今でも私は好きだ。そのラインアップは、自然食、有機農業、出産、子育て、整体、ボディワーク、（古い言葉だが）精神世界など、今でも基本的に変わっていないし、変えたくもない。心から、いいなぁと思うからです。ある種の専門書店のように思われているかもしれないが、私としては、生まれてから死ぬまでの（死後も?）暮らしに役立つ、小さな総合書店のつもりです。</p>
<p>　チェルノブイリ後、No Nukes One Love という視点で、反原発の本が多く集まった時もありました（私がスタッフとして入る前です）。時代がめぐって、多くの人々に、これまでのやり方が大きく問われている転換点です。震災後の政府とメディアのやり方を見ていると、みなのためになる、よい本や情報、よい講座を届けたいと、強く思いなおしているところです。</p>
<p>ナワプラサード／ほびっと村学校</p>
<p>〒167-0053</p>
<p>東京都杉並区西荻南3-15-3　ほびっと村3F<br />
tel：03-3332-1187  fax：03-3331-3067<br />
e-mail：<script type="text/javascript">
<!--
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document.write("<a href=\"mai"+"lto:"+em_shtml+"\">"+em_shtml+"</a> ");
// -->
</script></p>
<p>website：<a href="http://www.nabra.co.jp/hobbit/" target="_blank">http://www.nabra.co.jp/hobbit/</a><br />
ブログ：<a href="http://nawaprasad.exblog.jp" target="_blank">http://nawaprasad.exblog.jp</a><br />
ツィッター：<a href="http://twitter.com/#!/nawaprasad" target="_blank">http://twitter.com/#!/nawaprasad</a></p>
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		<title>自著紹介 『「とりあえず、5年」の生き方 逆算式人生5ケ年計画法による「悔いのない人生」のつくり方』諸富祥彦</title>
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		<pubDate>Sat, 07 Jan 2012 07:04:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[自著紹介 『「とりあえず、5年」の生き方 逆算式人生5ケ年計画法による「悔いのない人生」のつくり方』 （実務教育出版） 諸富祥彦 （本学会会長　明治大学文学部教授） 「とりあえず、５年」の生き方 posted with  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>自著紹介<br />
『「とりあえず、5年」の生き方<br />
逆算式人生5ケ年計画法による「悔いのない人生」のつくり方』<br />
（実務教育出版）<br />
諸富祥彦<br />
（本学会会長　明治大学文学部教授）</strong></p>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788907879/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51NNx70SRKL._SL160_.jpg" alt="「とりあえず、５年」の生き方" style="border: none;" /></a></div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788907879/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">「とりあえず、５年」の生き方</a>
<div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4788907879/transpersonal-22/ref=nosim/" title="「とりあえず、５年」の生き方" target="_blank">amazlet</a> at 12.01.08</div>
</div>
<div class="amazlet-detail">諸富祥彦 <br />実務教育出版 </p>
</div>
<div class="amazlet-sub-info" style="float: left;">
<div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788907879/transpersonal-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div>
</div>
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<div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div>
</div>
<p>　</p>
<p>私のこれまでのカウンセリングなどの経験では、人生に吹く流れのようなものが、おおよそ、5年周期程度で切り変わっていくように感じられます。</p>
<p>5年もたてば、味覚も変わり、異性の好みも少しずつ変わっていくように、こちらの感じ方、考え方も5年たてばだいぶ変わってきて、つきあう人のタイプや、仕事で出会う人も、5年経てばだいぶ変わっていくようです。</p>
<p>そう考えると、「人生のステージそのものも5年単位で切り替わっていく」とイメージして生きていくのが理に適っているように思えます。これから先、5年くらいは私も今の私とそれほど変わらない「同じ私」として生きているように思えるけど、5年をすぎて6年経ち、7年経ちしていくうちに、私も今の私とは異なる私になっていくように思えます。</p>
<p>「人生、5年周期で、人は新たな自分に、生まれ変わり、死に変わっていく」――だとすれば、今の自分のしたいこと、どうしてもやっておきたいことは、やはりこの5年のうちにやっておいたほうがいい、ということになります。</p>
<p>こうした考えから私が提案したいのが、「逆算式人生５ケ年計画法」です。</p>
<p>おそらくはまだ生きており、それほど自分に大きな変化も生じていないと思われる「５年後」に視点を置いて、そこから現在へと逆算式に、「仮に５年後に死んでも悔いが残らないためには、いつ何をしていくか」計画を立てて、２週間以内に具多的なアクションを起こして実行していく、という方法です。この人生でどうしてもしたい、やっておきたいと思うことは、たとえ５年後に死んでもいいようにやっておくことが、「悔いのない人生」をつくっていく上での最大のポイントではないかと私は思うのです。</p>
<p>また、現実的に考えても、これから10年後となると、自分が生きているかどうかも定かではありませんが、5年くらいであれば、まだ、ほぼ確実に生きているように思えます。そうだとすれば、あるかないかもわからない10年後をあてにして、長期の人生計画を立てて「したいことは先送り」「今は我慢、我慢」で生きていくのは、やはりリスクの高すぎる人生計画と言わざるをえないでしょう。</p>
<p>実際、私の見聞するところ、70歳を超えて生きている人は、80後半や90まで生きる人がきわめて多いのに対して、70歳よりも早く死ぬ人、特に男性には、五十代前半や半ばで亡くなる方も少なくないようです。</p>
<p>そう考えると、私の余命も、あと5年と少々しか残っていない可能性も、それなりにはあるのです。そしてもしそうなったら、あと30年生きるつもりで「いつか」「そのうち」と考えて、ほんとうにしたいこと、やりたいことを先延ばしにしてしまっていたら、死ぬ間際に断末魔のような叫び声をあげることになってしまうと思います。</p>
<p>「こんなはずじゃなかった」「まだまだ死ねない！」と。</p>
<p>そんなことを考えていると、とりあえず、人生あと5年程度のつもりで生きて、たとえ実際そうなったとしても、「やりたいことはひととおりした」「どうしても、これだけはしておきたいと思っていたことは大方した」と思えるような生き方を日々心がけて生きていくことが、賢明な生き方であると思えるようになってきました。</p>
<p>死ぬときに後悔したり、慌てふためいたりせずにすむためにかけておくのが「保険」だとすると、人生最大の保険は、死んだ後で遺族に支払われるお金などではなく、たとえ死が予定外に早く訪れたとしても後悔しないですむように、「この人生でしたいこと、しておくべきことを確実にやっておくような生き方」を日々こころがけて生きることなのではないかと考えるようになったのです。</p>
<p>そんな生き方を実現するために、拙著『「とりあえず、5年」の生き方　逆算式人生5ケ年計画法による「悔いのない人生」のつくり方』（実務教育出版）において、私がみなさんに送りたいメッセージは次の5つです。</p>
<p>●いつかしたい、そのうちやってみたいと思っていることは、先延ばしせず、今、しなさい。そのうちしたいと思っていることは、前倒ししてどんどんおこなっていきましょう。<br />
●人生でもっとも大切なものは時間です。なかでも最も大切なのは、大切な人とのふれあいの時間です。なぜならそれは、二度と戻ってはこないからです。仕事のスケジュールを手帳に書き入れる前に、大切な人とのふれあいの予定（例：娘と映画にいく時間、恋人と食事にいく時間など）を先に入れてしまいましょう。<br />
●したいかしたくないか自分でもよくわからないことは、しない、と決めましょう。そんな無駄な時間は、あなたにはないのですから。だらだらと習慣化した無駄なことに時間を浪費しないように、NOT TO DO リスト（これはしてはならない、ということのリスト）をつくりましょう。<br />
●いったん立てた目標に固執するのは、やめにしましょう。無駄だと思ったら、思い切って捨て去りましょう。<br />
●２週間以内に何もはじめない人は結局、いつまでたっても何もしない人です。人生を変えるためには、どんな小さなことでもいいので、2週間以内に何かを実行することです。</p>
<p>よければ、ぜひ本書をお読みください。</p>
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		<title>特別寄稿 起こってしまった現実を受け入れる 高岡よし子</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2729</link>
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		<pubDate>Sat, 07 Jan 2012 07:03:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[特別寄稿 起こってしまった現実を受け入れる 高岡よし子 　 3.11の東日本大震災は、阪神淡路大震災を上回る被害をもたらし、きわめて深刻な原発事故を招きました。私たちは個として、死を意識することがありますが、今回は、少な [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>特別寄稿<br />
起こってしまった現実を受け入れる<br />
高岡よし子</strong></p>
<p>　 3.11の東日本大震災は、阪神淡路大震災を上回る被害をもたらし、きわめて深刻な原発事故を招きました。私たちは個として、死を意識することがありますが、今回は、少なくとも日本全体として、集合的レベルで死と向き合わざるを得ない、特異な状況です。</p>
<p>　巨大な地震や津波は、自然のもつ圧倒的なエネルギーに対して、人間がいかに小さな存在かを見せつけます。多くの死傷者を生み出し、日常生活が破壊されることがいかに理不尽なことであっても、自然自体は残酷な訳ではなく、ただあるがままなのです。どんなに悲惨な現実であっても、受け入れていくしかありません。</p>
<p>　一方、人災としての要素が色濃い原発事故。これまで、核戦争の可能性や環境の危機が私たちを持続的に脅かしてきたとはいえ、これほどの国家的危機、そして地球規模での深刻な汚染が急激に起きたことに対し、私たちには十分な心の準備がありませんでした。起きていることに対し、未だに心が追いついていないのが実状でしょう。</p>
<p>　こうした原発事故は、はたして修復可能なのかと思えるほどの長きに渡って環境を汚染し、その上に成り立っている生活、文化、産業を破壊し、将来に対する希望や意欲を低下させるという精神の荒廃をもたらしかねません。</p>
<p> 天災、人災を問わず、健康や生命に対する脅威、そして生活の不安に現実的に対応していくのはもちろんですが、起きている現実をどのように受けとめていくかという心の問題も重要です。</p>
<p>　私がティム・マクリーンと運営しているC+F研究所では、エニアグラムやバイロン・ケイティ・ワーク、ホロトロピック呼吸法、禅などの手法を統合的に提供しています。</p>
<p>　その中で今回、とくにご紹介したいのは、ストレスや苦しみを引き起こしている自分の考え（ビリーフ）を特定し、一定の手順を通じて探求することを通じ、現実をあるがままに見、受けとめていくバイロン・ケイティ・ワークというものです。(ティム・マクリーンは、このワークの公認ファシリテーターです。)<br />
　シンプルなメソッドであるにも関わらず、短時間でも往々にして、劇的といえるほどの深い気づきと具体的変化をもたらすことにより、世界中で大きな反響を呼んでいます。一般の方だけでなく、これまで、さまざまなボディ/サイコセラピーを学んできた専門家が高く評価していることが印象的です。</p>
<p>　このワークは、アメリカ人バイロン・ケイティが、自らの長年に及ぶうつ状態から回復するプロセスにおいて独力で生み出したものです。彼女がある朝、目覚めたとき、世界についての自分のあらゆるストーリー（ビリーフ）が消え失せていました。そして、何かについて、そうあるべきではないと考えているとき、自分が苦しむことを発見しました。「〜すればよかった」、「〜しなければよかった」、「〜は〜であるべきだ」といった考えのように、あるがままの現実と闘うことが苦しみをもたらすというシンプルながら深い真実に目覚めたのです。</p>
<p>　彼女が開発した4つの質問と「置き換え」というワークの手順は、ストレスや苦しみをもたらす自分の考えが本当か、そして、そう考えるとき、どういう反応が起きるか、その考えがなければどうなるか、という問いかけを行っていきます。それから、自分の考えと反対のことがあり得るかを見ていきます。</p>
<p>このワークは、自分の考えと、その結果として起きる感情からの「脱同一化」を自然に促すねらいがあります。考えを変える必要はなく、自分にとっての心の真実を「探求」していけばいいのです。自分の思考や感情との同一化が外れると、心の平和や意欲、問題解決のための新しい視点が生まれてきます。<br />
　私自身、今回の原発の問題について、ワークをしてみました。ここ1年ぐらい、原発について、人類が抱える最大の問題として自分の中で危機意識が高まっていたにも関わらず、防ぐことができなかったことに無力感や怒りを感じていました。「こんなことは起きるべきではなかった」という思いにとらわれていましたが、ワークのプロセスを通じて、私は、ここまでひどい事故を起こすことで初めて、多くの人が原発の問題に関心をもち、危険性を理解してくれたということも事実であることをやっと認めることができました。もちろん、このワークは、事故を正当化するものではありませんし、ただ気休めを見つけるものではありません。自分が望んだ現実ではありませんが、それでも現実として受けとめることにより、考えや気持ちがクリアになり、前へ進む意欲も出てくるのです。</p>
<p>　バイロン・ケイティは、一般的な問題のみならず、強制収容所からの生還者や囚人、中東の紛争の当事者、レイプの被害者など、過酷な現実を生きてきた人たちとのワークも行ない、絶望的な状況においても人が生きる意欲を取り戻し、再生していく助けとなっています。また、社会運動に関わる人が陥りやすい、「敵/味方」という二元論を超える解決の助けともなっています。</p>
<p>　バイロン・ケイティ・ワークは、カウンセリングやコーチング、ビジネスなど幅広い分野で活用されています。詳しい内容については、彼女の新刊『ザ・ワーク』（ダイヤモンド社、監訳ティム・マクリーン、高岡よし子）を参考にしていただければと思います。　</p>
<p>　今、私たちが日本で体験している状況は、将来想定される深刻な環境やエネルギーの危機が早めに急激に起きたといえる側面もあるでしょう。日本が先んじてその試練を受けていることに何らかの意味があるのなら、この困難な状況を切り抜ける心性を見出し、これからの世界に役立てられればと願っています。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>特別寄稿：最近のトランスパーソナル心理学研究所での体験</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2215</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/2215#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 31 Mar 2011 15:11:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://transpersonal.jp/?p=2215</guid>
		<description><![CDATA[特別寄稿 最近のトランスパーソナル心理学研究所での体験 田尻 宇成 （本学会常任理事） 皆様初めまして。私は2008年の末に、トランスパーソナル心理学研究所（Institute of Transpersonal Psyc [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>特別寄稿<br />
最近のトランスパーソナル心理学研究所での体験<br />
田尻 宇成<br />
（本学会常任理事）</strong></p>
<p> 皆様初めまして。私は2008年の末に、トランスパーソナル心理学研究所（Institute of Transpersonal Psychology 以下ITP）の大学院を卒業、トランスパーソナル心理学博士をとり、論文を終えました。最近少し余裕がでてきましたので、JTAのお手伝いさせていただけたらと思います。この記事では、ITPのこととプロジェクティブ・ドリームワーク・ワークショプの宣伝をさせていただきたいとおもいます。</p>
<p> 　最近、ITP創設者のロバート・フレイジャー博士に改めてITPのことを聞く機会がありました。フレイジャー博士は、慶応大学に留学し、その経験をハーバード大の博士論文にした人物です。日本滞在時に、創始者の植芝 盛平に直接合気道を習ったのです。現在はアメリカでは数少ない7段をもっています。何故、合気道を大学院で教えるようにしたのかというと、合気道の神秘思想が ITPの理想に近いと考えたようです。つまり、トランスパーソナル学の一つの流れとして、ボディーワークからくるスピリチャリティーの探求、そして、特に合気道の影響があることは、否めません。</p>
<p>　そのフレイジャー博士によると、今のITPは昔と違い、学問の質を高めようと力をいれているのだそうです。その方向性からか、ITPでは、オーガニック・インクワイヤリーとインテグラル・インクワイヤリーという2つの質的研究法が開発されて、これから更に活躍しそうな感じです。ところで、ITPは実はハーパードの博士課程をモデルにして作ったのだということが、このインタビューでわかっています。また、創設時から変わらないことは、個人のトランスフォメーション（変容）を、教授も生徒も信じなければいけないという学風だそうです。そうでない教授や生徒はふさわしくないので、辞めさせられることもあります。また、創設者や関係者の視点によると、合気道は、人間関係においてのトランスフォメーションを支える道具や英知を秘めているということです。徹底的な個人主義をつらぬくアメリカで、他人を扱う為の知識や英知が、体の動きのなかに象徴されているように思えるのでしょう。</p>
<p>　ITPでは、現在、博士課程では、臨床心理学とトランスパーソナル心理学博士という2つの学位を与えています。学生が若年化しつつあり、職を身につけることが先行することが多いことから、臨床心理の学位を設置しています。昔はマズロー理論的な発想から、第2の人生を歩もうとする40代以上の学生だけを意識して入学させていたようです。ある程度基本的な生活基盤、つまり、物質的な基盤ができていて、次の段階を目指すための学習という意味あいが強かったようです。現在のトランスパーソナル心理学博士の学位は、こういったタイプの学生にアピールするものだとおもいます。教育内容は、臨床全般の知識を学んだあと、臨床という職業に縛られないで、トランスパーソナル心理学の教育、手法、ツールなどを学び、それを実践するのです。クリエイティブ・エクスプレッション、トランスパーソナル教育、スピリチャル・ガイダンスという専門分野をもつことができます。私の場合はスピリチャル・ガイダンスという分野が専門です。</p>
<p>　スピリチャル・ガイダンスは、臨床と違い、クライエントと個人の立場は対等です。カウンセリング的な要素は臨床とはほとんど変わりませんが、スピリットが誰にも存在するという前提やスピリットをより重視してカウンセリングが進められていきます。精神性の悩みを扱いますが、間接的に治療効果も視野にいれています。スタンフォード大には、スピリチュアル・ケアをするグループがありますが、それはあくまで信仰を持つ宣教師、グルたちやその使徒、弟子たちが、その流派に属する人々たちに対し、医療現場で直面する苦しみの中で、精神的に支えられるようにすることです。しかし、スピリチャル・ガイダンスは、信仰や信念体系に対する悩みや不信なども扱います。手法の基本は、現在のところ、メディテーション、ドリームワーク、サイコシンセシス、詩、そして、ユング派のアプローチなどです。また、先ほどのサイコマンティウムも一つのアプローチであり、私の論文はそれに関するものです。人によっては、キャロリン・メイズの理論なども参照することもあります。クライエントとの間で焦点になることのひとつは、重要な決断をする時に、その人の持つスピリチャリティーのルールにどれほど則して判断を行っているかということです。</p>
<p>　ITPで気づいたことは、トランスパーソナルという学問は、実は日本発の人間に対する思想に支えられているか、もしくは、密接な関係にあるということです。また現在、合気道の思想と、それが臨床の現場やあるいは自己成長のワークの現場にどのように関連しているかを理解しようという試みがフレイジャー博士など、トランスパーソナル心理学者でなされていることは、私の心の支えになった気がします。そこからすると、日本人の考え方がトランスパーソナル学へ間接的にも貢献していることを私たちは誇りにしてもいいのではないかと思います。</p>
<p>ところで、日本のトランスパーソナル学会に所属している方は、ITPの学生よりもトランスパーソナルに関することをご存知ではないかと察します。それは私たちの歴史に配慮をする意識から来る強みではないかと思います。ITPでは、残念ながら、そういった歴史的な検証をすることはありませんでした。もちろん、それは、どちらかというと、歴史家や社会学の専門なのですが、学問に対する共通認識がないことから、いつでもトランスパーソナルとは何かということから始めなければならないことが、少し苦痛でした。</p>
<p>　そういう意味で、トランスパーソナルという学問は、日本の学会で学会員が共通認識をより深めることで、発展する可能性があるのではないかと察します。さらなる発展を心に描きながら、これから学会に貢献できたらとおもいます。</p>
<p><strong>田尻 宇成 （たじり たかなり）</strong><br />
トランスパーソナル心理学博士（Ph.D.）。スピリチャル・ガイダンスというITPの認証を受ける。トランスパーソナル研究開発と応用を目的とするプロジェクト・トランスパーソナル主宰。サイコシンセシス、サイコドラマ、プロジェクティブ・ドリームワーク、サイコマンティウム、ヒプノシス、マインドフルネス・メディテーション等を利用しながら、セミナーや個人セッションをします。留学相談も個人的にします。上智大文学部心理学科出身、他にもコミュニケーション（映像制作）の勉強をしたことがあります。カナダ人の妻と2歳の息子と東京在住。魚座。エキナセアとカモミール栽培中。</p>
<p><strong><em>告知</em></strong><br />
<strong><font color="red">→このセミナーは中止となりました。</font></strong></p>
<p>　一対一の個人セラピーに限界を感じているセラピストの方、3日間でクライエントにもセラピストにも、簡単、安心、そして、夢の意味を深く掘り下げられるユング心理学の流れを組むプロジェクティブ・ドリーム・グループ・ワークを学びませんか?<br />
　トランスパーソナル学会2010年大会で発表したプロジェクティブ・ドリームワークの開発者、ジェレミー・テイラー博士が、7月15日、16日、17日に、東京近辺でセミナー・ワークショップを開催することになりました。<br />
　プロジェクティブ・ドリームワークのメリットとは何でしょうか? ひとつは、それがグループ・ワークであることです。例えば、個人のクライエントを相手にしていると、クライエントが同じ話をくりかえしたり、セラピストに依存をしたりします。そして、セラピスト自身も疲れてきて、どのように対応していいのかがわからなくなることになり、そこで、燃え尽き症候を引き起こします。この悩みを解決するひとつの方法がグループ・ワークだといえます。グループ・ワークでは、クライエントが他のクライエントと考え方や意見を分かち合うことで、他の人との共感が得られます。そして、話をしたクライエントは心の余裕がでてきて、安心して自分を受け止められる可能性が高まります。彼らは体験をシェアすることで、自尊心を高めたり、自信を回復したりすることにもつながる可能性もでてきます。さらに、ドリームワークですので、夢を共有することで、より夢に関する知識、象徴に対する理解、夢を扱う時の英知を深めることができます。また、セラピストは、それをファシリテートするだけでいいのですから、燃え尽きなくてもいいのです。個人のセラピストでは、時間がないために限界になりうる象徴の知識なども深まります。ジェレミー・テイラー博士が研究してきたシンボルの内容はとても濃いものです。このセミナーを受けると、そういった意味で、シンボルを学習する手間が省けます。セラピストの相互支援の場にもなるので、情報交換も可能になります。ただし、他のクライエント中心的心理学グループワークでさえ、参加者のクライエントが心理的に傷つく可能性も秘めています。しかし、このプロジェクティブ・ドリームワークは、20年間以上の歴史から、クライエントが傷つくことがないことがわかっています。ぜひご参加ください。テーマ、場所、価格はまだ未定ですが、詳細については、dreamworkjp.comに掲載いたしますので、ご確認ください。最後になりましたが、参加者にはジェレミーの著書『ドリームワーク』の訳本を差し上げます。</p>
<p><strong><font color="red">→このセミナーは中止となりました。</font></strong></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>自著紹介 『インテグラル理論入門II』</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2212</link>
		<comments>http://transpersonal.jp/archives/2212#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 31 Mar 2011 15:09:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://transpersonal.jp/?p=2212</guid>
		<description><![CDATA[自著紹介 『インテグラル理論入門II－ウィルバーの世界論』（春秋社） 久保 隆司（本学会常任理事） 2010年11月に『インテグラル理論入門II－ウィルバーの世界論』（春秋社）が出版されました。当学会の理事四人（青木 聡 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>自著紹介<br />
『インテグラル理論入門II－ウィルバーの世界論』（春秋社）<br />
久保 隆司（本学会常任理事）</strong></p>
<div class="amazon"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393360559/transpersonal-22/" target="_blank"><img src="http://ec3.images-amazon.com/images/I/41PQpEaiiWL._SL160_.jpg" alt="4393360559" border="0" /></a><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393360567/transpersonal-22/" target="_blank"><img src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/41RNC7UCO3L._SL160_.jpg" alt="4393360567" border="0" /></a></div>
<p>2010年11月に『インテグラル理論入門II－ウィルバーの世界論』（春秋社）が出版されました。当学会の理事四人（青木 聡、鈴木 規夫、甲田 烈、そして私・久保）による共同執筆です。共著者の一人として、この場を借りて本書を紹介したいと思います。この本は同年4月に出版された『インテグラル理論入門I－ウィルバーの意識論』の続編であり、いわば中級基礎編です。</p>
<p>一巻目の『ウィルバーの意識論』では、初めてインテグラル理論やケン・ウィルバーに触れられる読者も考慮し、トランスパーソナル学分野における最大の理論家であったウィルバーの略歴や丁寧なブックガイドなども盛り込みながら、インテグラル理論の基礎を概説いたしました。特に、「世界を読み解く5つのポイントを解説しながら、主として個人の内面世界に焦点を当て」たものです。結果として、統合的な心理学または意識論の教科書と呼べるような堅実な内容の本として、一定の評価を得ることができたようです。</p>
<p>さて、この第二巻の副題は、『ウィルバーの世界論』です。前著の基礎の上に、世界、つまり個人と集団の内面と外面のすべての領域（四象限）を、見ていくことを意図したものです。本書は、「存在の大いなる連鎖」を軸にしたインテグラル理論の思想的展開の概説である第一部、しっかりとした批判的な目で現代社会の諸問題を考察する第二部、ILP（インテグラル・ライフ・プラクティス）、心理療法などの実践的なアプローチに焦点を当てる第三部によって構成される読み応えある著作となりました。</p>
<p>ウィルバーの本は難しいという感想を耳にすることもあります。しかし、心理学や瞑想の実践などが元となって組み立てられているウィルバーの文章は、くどいと思われるほど丁寧な記述であり、むしろ誤読することが困難なほどです。もちろん、ウィルバーを深く理解することはある意味とても難しいことで、神秘体験や修行体験が無いと真に理解することもできない記述もあるでしょう。しかし、多くの読者は、そのような意味での難しさについて語っているのではないと思います。おそらく、難しいというよりは文章量（情報量）が多く、圧倒されることが、多分に「難解である」という印象を与えている理由なのでしょう。</p>
<p>このような問題を多少なりとも解消する手立ての一つが、日本人の手によるインテグラル理論の入門書・概説書の出版計画でした。本書がいままでウィルバーの本を手に取ったことの無い方、またウィルバーの本が苦手であった方にとって、多少なりともお役に立てるものであると考えています。</p>
<p>『インテグラル理論入門I ・II』はインテグラル理論の入門書です。文内容自体は基礎の理解を重視したものになっています。往々にして、基礎の理解が一番手間のかかるワークです。世界中の多くの問題意識を持った人たちとさまざまな意見交換を楽しむことのできる意識の基盤の提供を意図しています。議論のテーマは、政治、経済、医療、哲学、宗教、心理、環境、科学、社会、組織、芸術、恋愛などなど、この世のすべてです。さまざまな職種・年齢・背景の方に読んでいただき、さまざまなシーンで、インテグラル理論という共通言語を使うことで、建設的で、調和の取れた議論、語らい、勉強会、イベントなどのつながりの場が増えれば素晴らしいことです。</p>
<p>インテグラル理論はこの世界を生きるための地図です。理論は現実そのものではありません。地図上でルートを検索したり、知らない土地に思いを馳せたりすることも練習としては意味がありますが、地図の真価は、実践において携帯され、使用されるところにあります。地図の中には表記が現実と微妙にずれていたり、調査中であったり、未開地の部分もあったりして、実際に歩きながら修正が必要だからです。</p>
<p>インテグラル理論は、理論と実践とは不可分であると主張します。つまり、理論とは実践されることによって、その正しさや不具合が証明され、そのフィードバックによって私たちの意識は更に前進することになります。本書を読む（＝インテグラル理論を学ぶ）こと自体が、即「ILP」でいうところの「マインド・モジュール」の最も優れた訓練（または修行）の一つを実践していることを意味します。実践を通して批判的に検証していく作業が重要であり、それは貴重なILPのプロセスであります。同時に、正確な地図は、現実を的確に効率よく知るために必要であることも真理です。人生は地図無しに試行錯誤するにはあまりに短すぎ、時代は早く進みます。</p>
<p>インテグラル理論は、この世のすべての人にとって、有益なものを提供できる万物の理論です。研究者や、一部のマニアのためのものではありません。よい意味でも悪い意味でも、自分は既に人間として出来上がってしまっていて、変容や意識の発達などとは無縁であると思っている人がいるとすれば、そういう方にこそ読んでいただきたく思います。死の間際ですら、自分をもう一度検証していくことに遅いということは決してありません。公私にわたって、物質経済至上主義が生み出す無力感や、不安感に危惧を感じている人たちにも、また、目の前に広がる新しい地平線の存在を知り、より遠くまで見通してみたいという情熱を持っている人たちにも、インテグラル理論に接してもらうことで、世界が本質的、構造的に抱える矛盾・問題点と目的・可能性を少しでも明確に理解していただき、より多くの新たな変容の動きへとつながっていくことを、筆者の一人として願っています。</p>
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		<title>巻頭言</title>
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		<pubDate>Thu, 31 Mar 2011 15:07:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[巻頭言 笠置 浩史 （本学会常任理事） 会員の皆さま、新年おめでとうございます。皆さまにとって、2010年はどのような年だったのでしょうか。そして、2011年をどのように過ごされたいと願っていらっしゃるでしょうか。 JT [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>巻頭言<br />
笠置 浩史<br />
（本学会常任理事）</strong></p>
<p>会員の皆さま、新年おめでとうございます。皆さまにとって、2010年はどのような年だったのでしょうか。そして、2011年をどのように過ごされたいと願っていらっしゃるでしょうか。</p>
<p>JTAにとりましては、2010年は2年に一度の学会大会の年であり、その企画・運営に力を注いだ一年でした。Newsletter前号でお知らせいたしましたように、大変密度の濃い充実した大会となりました。多くの会員の方々にご参加いただき、交流の時間を持てたことは大きな喜びです。</p>
<p>また、大会のみならず、多彩なセミナー・イベントも開催することができました。2月には鈴木 規夫副会長によるトランスパーソナル学基礎講座。4月にはイギリスより来日されたマギー・ハイド女史と鏡 リュウジ理事によるユング心理学と占星術の講座。7月には経王寺にて、井上 ウィマラ理事によるスピリチュアルケア講座。そして11月には西平 直理事による、世阿弥の稽古とトランスパーソナル学をめぐる講座が行われました。どれも半日の短時間の講座でしたが、いずれも大変充実した内容で、参加者からは深い気づきを得られたと、ご好評をいただきました。毎回遠方より足を運んでくださる方もいらしてありがたく思う一方、学会の運営上どうしても都内での開催となってしまい、地方の方には申し訳なく思っています。東京の本部としては、各支部での取り組みと連携を深め、より一層充実した学会活動の展開を志していきたいと考えています。</p>
<p>また、4月より新たな試みとして、月に一度の勉強会を実施しています。久保 隆司常任理事を中心に、手探り状態で始めた勉強会ですが、参加してくださった方々のご意向を伺いつつ、現在はテキスト講読を中心としたスタイルに落ち着きました。大規模な大会やイベントも大事ですが、会員の皆さまが直接語り合えるこのような場をこそ大切にしたいと思っています。私自身が学生時代に一会員であったことは、より一層その思いを強くしているように思います。</p>
<p>私自身がそうであったように、トランスパーソナルな体験や問題意識を持っていても、それを語れぬ孤独。共有できないもどかしさ、不安。それが、JTAのコミュニティでは遠慮なく語ることができる。共有できる。問題意識は刺激し合い、より深まってゆく。JTAの魅力は、そんなところにあるのではないでしょうか。一般的な、学術的な学会と違い、より広く開かれた学会。それは、トランスパーソナル学というものが、理論と実践を両輪と捉えていることによる必然であろうと思うのです。どちらを欠いても道を誤ってしまう、そんな両輪。インターネットも発達した現代の情報社会においては、どちらかといえば理論の学びは手に入りやすく、むしろ必要なのは、日常の実践について語れる場なのではないかと、最近殊に思います。</p>
<p>ところで、私の好きな星野 富弘さんの詩に、「日日草」という作品があります。</p>
<blockquote><p>今日も一つ<br />
悲しいことがあった<br />
今日もまた一つ<br />
うれしいことがあった</p>
<p>笑ったり　泣いたり<br />
望んだり　あきらめたり<br />
にくんだり　愛したり<br />
…………</p>
<p>そしてこれらの一つ一つを<br />
柔らかく包んでくれた<br />
数え切れないほど沢山の<br />
平凡なことがあった</p></blockquote>
<p>読むたびに、心がじんわりと暖かくなるような思いがします。</p>
<p>私たちは、「特別」なことを特別扱いしがちです。特別視して、絶対化したり、神聖視したり、固執して囚われたり……。そんな「魔境」に囚われないための戒めと読むのは、こじつけでしょうか。</p>
<p>2011年は大会や学会誌の発行などはありませんが、地道な活動を通じて、会員の皆さまとのつながりをより深く、強くしてゆきたいと願っています。2012年の学会大会の準備も始まります。どうか、多くの方々にご意見をお寄せいただき、皆で学会を発展させてゆければと思います。</p>
<p>JTAの活動が、会員の皆さまにとって、地に足のついた「平凡」な日常をより一層深く充実させる一助となるよう願っています。本年もどうぞよろしくお願いいたします。</p>
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		<title>特別寄稿: ナチュラル・フードの食育栄養学</title>
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		<pubDate>Sun, 02 Jan 2011 06:07:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[特別寄稿 ナチュラル・フードの食育栄養学 李 栄子 （本学会常任理事） 皆さんは小学校や中学校時代の学校給食のメニューを覚えていますか? 私が小学生の昭和50年代頃は、主食は角切りの食パン一枚にジャムやマーガリン、ときに [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>特別寄稿<br />
ナチュラル・フードの食育栄養学<br />
李 栄子<br />
（本学会常任理事）</strong></p>
<p>皆さんは小学校や中学校時代の学校給食のメニューを覚えていますか?</p>
<p>私が小学生の昭和50年代頃は、主食は角切りの食パン一枚にジャムやマーガリン、ときには、揚げパンやソフト麺が出ていました。また、おかずには、ジャガイモを煮たようなものや、くじらの肉、魚のフリッター等が出ていたのを覚えています。</p>
<p>給食にお米が出たことは全くなかったのですが、それを不思議とも思いませんでした。</p>
<p>皆さんの給食はどうだったでしょうか? 給食の主食にご飯は出ましたか?</p>
<p>今までほとんどの学校給食がパンを主食にしてきました。なぜだろうと考えたことがありますか?</p>
<p>なぜ、学校給食の主食がパンなのか知っていますか?<br />
この話をするには戦後の日本の食糧事情を語るしかありません。</p>
<p>日本は1945年に終戦を迎えると、大変な食糧難に陥り、苦しみました。多くの工場や食料機関は破壊され、軍隊が戦地から引き上げ、外地に赴いていた人々が戻ってくると、人口が約1割増えました。それに加え、お米が不作となり、大変な食糧難に陥ったのです。</p>
<p>政府はこの食糧難を何とか打開しようと解決策を講じました。江戸時代から続いていた地主・小作人制度を解体し、生産高を上げるために農地改革が実施されました。ですが、思うような食糧増産には至らずますます食糧難は進みました。</p>
<p>そんな中、1954年にアメリカはMSA協定を日本政府に要求していきました。その中のPL480法はアメリカの小麦や大豆などの余剰農産物を解消するための法案でした。日本政府は米や麦の自給率アップに努めてきた政策をあっさりと放棄し、アメリカの余剰農産物を受け入れました。この時からパンや畜産物、油脂類を摂る欧米型の食生活が始まり、日本に浸透していったのです。</p>
<p>アメリカは農産物を貧困層へ援助し、普及活動を進め、粉飾（パン食）奨励のために日本全国キャンペーンを実施し、キッチンカーを走らせて、小麦粉料理講習会などをして廻りました。この時期に学校でもパン食と脱脂粉乳を取り入れた学校給食法が制定されました。</p>
<p>それがきっかけでお米の消費量は減り続けました。現在は50年くらい前と比べると、1人当たりのお米の消費量が約半分になっています。自給率も落ち込み約40%です。</p>
<p>欧米型の食生活が主流となった今、子どもたちの心身にどのような影響を与えているのでしょうか。偏った栄養摂取、朝食欠食や食生活の乱れにより、肥満や生活習慣病に罹る子どもも増えています。また、「食が心と身体を健やかに育てる」という大切な基本を教える場もほとんどありません。ここ数年やっと「食育」という言葉が使われ始めましたが、食への関心はまだ低く、安全よりも安さを優先し、求める傾向が大きいのが現状のようです。</p>
<p>そんななか、環境保全への取り組み、食料・農業・農村基本法の制定、食を通して地域を理解することや、食文化の継承を図ること、自然の恵みや勤労の大切さなどを理解することを食育の一環として捉え始める運動が始まりました。</p>
<p>こうした現状を踏まえて、2005年に食育基本法が、2006年に食育推進基本計画が制定され、子どもたちが食に関する正しい理解と望ましい食習慣を身に付けることができるよう、学校でも積極的に食育に取り組んでいくことが推進され始めました。</p>
<p>文部科学省は、学校における食育の生きた教材となる学校給食の充実を図るため、地場産物の活用や米飯給食の充実を進めることに力を入れ始めるようになったのです。食育の大切さが多くの人に拡がっていき、子どもたちが食に関心を向ける場を作ることが今後の課題であり、必要な取り組みとなっていくでしょう。</p>
<p>また、現代の食育や栄養学の問題点は、欧米型食生活から抜け出せない栄養学が主流だということです。これは日本人の身体には負担が大きすぎる食生活であるため、病気も減るどころか増える一方です。</p>
<p>食のあり方として何が大切でしょうか?<br />
なるべく国産のものを食べること。日本の伝統食のお米や発酵食品を食べること。旬のものを食べること。よくかんで食べること。そして、感謝していただくことです。とてもシンプルなことばかりですが、シンプルなことを知らない、教える人がいないのが、今の日本の食のあり方です。</p>
<p>冬でもスーパーにトマトやキュウリが並んでいることをほとんどの人が不自然だと思わないでしょう。女性に多い冷え性は実は食と大きく関係していることをどのくらいの人が意識しているでしょうか。</p>
<p>食に意識を向けることは自分を大切にすることであり、それは周りの人とのつながりや地球環境に配慮した生き方でもあるのです。また、余計なものを入れない、使わない自然との調和を大切にしたお米や野菜を食べることで、私たちも同じ自然の循環の中で生かされていることに気がつくでしょう。</p>
<p>ぜひ、「食」に意識を向けてみる機会を持ってください。</p>
<p>あなたは昨日、何を食べましたか?</p>
<p>ナチュラル・フード・スタジオ<br />
<a href="http://www.nfst.jp/p/" target="_blank">http://www.nfst.jp/p/</a>　　TEL: 03-6380-5586</p>
]]></content:encoded>
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		<title>書評：『真実への旅』</title>
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		<pubDate>Sun, 02 Jan 2011 06:05:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[書評 『真実への旅』斉藤 啓一（著） サンマーク出版 鈴木 規夫（本学会副会長） 霊性（spirituality）という営みには、本来、「自己肯定」と「自己否定」という対極的な要素が息づいている。 しかし、今日「スピリチ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>書評<br />
『真実への旅』斉藤 啓一（著）<br />
サンマーク出版</p>
<p>鈴木 規夫（本学会副会長）</p>
<div class="amazon"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763130609/transpersonal-22/" target="_blank"><img src="http://ec3.images-amazon.com/images/I/41n8KvWn35L._SL160_.jpg" alt="4763130609" border="0" /></a></div>
<p>霊性（spirituality）という営みには、本来、「自己肯定」と「自己否定」という対極的な要素が息づいている。</p>
<p>しかし、今日「スピリチュアリティ」とよばれているものは、総じてそうした対極性を統合する成熟した叡智に支えられたものではなくなってしまっている。</p>
<p>「ありのまま」の自己を肯定するという美名のもと、それらは退嬰的な自己耽溺を正当化するための方法に堕してしまっているのである。</p>
<p>ただ、ひところのあいだ流行したそうした「スピリチュアリティ」の問題も漸くここにきて徐々に認識されはじめているようである。</p>
<p>そして、今、あらためて評価されはじめているのが、禅をはじめとする伝統的な修行であり、また、継続的な実践を通して自己との真摯な対峙を奨励する正統的なスピリチュアリティである。</p>
<p>先日、こうした機運の変化を象徴するような優れた著書が刊行された。</p>
<p>斉藤 啓一氏による『真実への旅』という作品である。<br />
斉藤氏は、これまでに『ブーバーに学ぶ：「他者」と本当にわかり合うための30章』や『フランクルに学ぶ：生きる意味を発見する30章』（共に日本教文社）等の著者として知られている思想家あるが、その著作活動をとおして、一貫して「意識の覚醒」という主題を探求してきた。</p>
<p>その作風は禁欲的なもので、そこでは安易な「慰め」や「癒し」が拒絶され、徹底して、日常の実践と探求をとおして、自らの目で真実をつきつめることが強調される。</p>
<p>今日の「スピリチュアリティ」の市場には、荒唐無稽な虚構や幻想を呈示することをとおして、読者の自尊心を慰撫することを目的とする書籍が氾濫している。</p>
<p>こうした中において、そのようなアプローチを毅然と否定するだけの意思と慈愛をそなえた著者というのは実はまだ少ない。</p>
<p>斉藤氏は、数少ない例外といえるだろう。<br />
表面的な優しさの蔓延に窒息するような閉塞感をいだいていている読者にとって、ときとして残酷なまでに透徹した斉藤氏のことばには清々しさをあたえてくれる贈物となることだろう。</p>
<p>さて、この作品は、そうした斉藤氏のこれまでの探求の集大成といえるもので、「死」の宣告を受けたある青年の「魂の旅」をカリフォルニアを舞台に物語風に綴るものである。</p>
<p>絶望のさなか、主人公は「ファウスト博士」という謎の人物の主催する修行ツアーに同行することになるのだが、そこで、これまでの人生観をうちくだかれるような数々の学びと気づきを経験することになる。</p>
<p>この作品は「霊的修行」という主題を核にすえたものであるが、物語という形態をとっているために、読者は普通の小説を読むように寛いでその内容に入ることができる。</p>
<p>あたかも自分自身が冒険者になったかのように、精神世界の扉をひとつひとつ開けていくようなワクワクした気持ちをあじわえるのは、この作品の魅力のひとつであろう。</p>
<p>しかし、そこで紹介されている修行法は決して内容を落としたものではない。</p>
<p>むしろ、そこには、真摯な求道精神にもとづいて、霊的な探求の根幹をなすことがらが簡潔に、そして、包括的に紹介されているといえる。</p>
<p>具体的には、「肉体」（Body）・「思考」（Mind）・「感情」（Heart）という3つの要素の鍛錬が、「自己観察」というもっとも古典的な霊的実践（Spirit）のうえに位置づけられ、それらが総合的に解説されているのである。</p>
<p>読者は、本書で紹介されるこれらの洞察や実践の方法を吸収して、自己を統合的に変容するための道標をものにすることができるだろう。</p>
<p>ところで、霊的修行には、超常的な現象をはじめとして、実に多様な体験や領域を含めることもできるし、また、一般的には、「スピリチュアリティ」ということばが用いられるとき、そこで意味されているのは、そうした「非日常的」なものであろう。</p>
<p>この作品において、斉藤氏は、そうした超常的なものの可能性を十分に認識しながらも、あえて焦点を上記の4つの領域の実践に絞っている。</p>
<p>それは、そうした超常的な領域の探求に興じることが、霊的営みの本質からわたしたちの意識をしばしば逸らすものであることを斉藤氏が賢明に認識するからであろう。</p>
<p>実際、今日の「スピリチュアリティ」を特徴付ける、超常的なものに対する過剰なまでの執着とは、結局のところ、われわれの意識をむしばむ「空虚感」（“the sense of lack”）（c.f., David Loy）を埋めようとする衝動に根差したものにすぎない。</p>
<p>それを霊的な探求と混同してきたところに、今日の霊性文化の頽廃の大きな原因があるのである。</p>
<p>何が霊性の本質にあるのということが曖昧になっている今日の混沌とした状況において、霊性を地に足のついたものに復興しようとする斉藤氏の意図は実に意義深いものといえるだろう。</p>
<p>霊的な探求の道は、われわれに実に豊穣な歓びと癒しをもたらしてくれる。</p>
<p>しかし、それは、また、われわれを限界に追い込む過酷で孤独な営みでもある。</p>
<p>それは、われわれに繰り返し自らの人間としての器を壊し、そして、造りなおすことを求める。</p>
<p>この作品の魅力のひとつとは、人間の変容というものが、その本質において、「死と再生」という過酷な試練を通して実現されるものを克明に描いていることにある。</p>
<p>また、そこには、真の自己肯定というものが、徹底した自己との対峙と格闘をとおして自己否定にとりくむことができるときに、はじめて到達することのできる貴重な贈物であることが活写されている。</p>
<p>「自力」と「他力」とは、霊的な実践を成立させる相補的な要素であるが、それらが「一」なるものとしてこの瞬間に存在していることを自覚できるためには、われわれは、統合的実践にとりくむことをとおして、自己の変容を実現する必要がある。</p>
<p>そのことを、斉藤氏は、過酷な試練と直面しながら苦闘する物語の主人公の姿を描きながら明らかにしていくのである。</p>
<p>ある意味では、この作品で述べられることのほとんどは、人類の歴史をつうじて無数の修行者により主張されてきた普遍的な洞察といえるだろう。</p>
<p>その意味では、ここには何ひとつ新しいことは記されていないといえるのかもしれない。</p>
<p>しかし、霊的修行においては、情報の「古い」「新しい」ということは、それほど重要なことではない。</p>
<p>21世紀を迎えても、われわれはいまだ生物種としての思春期を克服することができずにいる。</p>
<p>次々と衝きつけられてくる課題や問題をまえにして、完全な麻痺状態に陥っている自らの未熟さを誰よりも実感しているのは、われわれ自身である。</p>
<p>歴史的に伝承されてきた叡智を過去のものとして無下にできるほどにわれわれは成熟していないのである。</p>
<p>今、われわれに求められているのは、あらためて霊性の本質にあるものを確認して、それを21世紀の現実の中に再構築することなのである。</p>
<p>そして、そのためには、この作品は優れた参考書となるものであろう。</p>
<p>一時的な「慰め」や「癒し」ではなく、真の自己探求と自己変容の方法を模索している読者には一読を推薦したいすてきな作品である。</p>
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		<title>書評:『はじめてのカウンセリング入門』</title>
		<link>http://transpersonal.jp/archives/2202</link>
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		<pubDate>Sun, 02 Jan 2011 06:01:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュースレター]]></category>

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		<description><![CDATA[書評 諸富 祥彦（著）『はじめてのカウンセリング入門』誠信書房 辰巳 裕介（本学会常任理事） 　 「カウンセリング」と聞いてあなたは何を想像しますか? 多くの人は「悩みを解決するもの」と答えるでしょう。しかし、この欄を読 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>書評<br />
諸富 祥彦（著）『はじめてのカウンセリング入門』誠信書房</p>
<p>辰巳 裕介（本学会常任理事）</strong></p>
<div class="amazon"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4414403685/transpersonal-22/" target="_blank"><img src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/41DHn1lfEiL._SL160_.jpg" alt="4414403685" border="0" /></a>　<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4414403693/transpersonal-22/" target="_blank"><img src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/41fcqsSPxvL._SL160_.jpg" alt="4414403693" border="0" /></a></div>
<p>「カウンセリング」と聞いてあなたは何を想像しますか?</p>
<p>多くの人は「悩みを解決するもの」と答えるでしょう。しかし、この欄を読んでいる方は「自分をよく知るためのもの」と思った方が多いと思います。本書はそんなあなたのためにあります。</p>
<p>本書は、著者が大学院、あるいは勉強会（セミナー）などで行ってきた内容をコンパクトに15章にまとめたものです。難しい言葉をできるだけ排除し、丁寧に、そして直球で「ズバッ」と語られています。そしてカウンセリングの入門書によくある、理論の紹介だけだったり、「こうすればカウンセラーになれます」と言った安易なものでもありません。著者が得意とする分かりやすい親しみのある文体で、これまでの心理学、著者の専門であるロジャーズだけではなく、精神分析、行動主義までをも振り返ります。それらを踏まえた上で、「カウンセリング」の中心には「クライアントの話を丁寧に聞くこと」、つまり「傾聴」であると言います。そして、その「傾聴」を身につけるためのトレーニングが詳細に書かれているのです。</p>
<p>著者はカウンセリングを「人生のさまざまな問題に直面し、苦しむことを通じて、心の声に耳を傾け、多くの気づきと学びを得て自己成長をとげていく体験のプロセス」であると定義します。つまり、「悩み苦しみを通しての自己成長学」として存在し、その学問と技術がカウンセリングであり、その基板となるのが傾聴であると言い切ります。ここまで明快に書かれてしまうと、脱帽としか言いようがありません。</p>
<p>この「傾聴」を体系的に学ぶことができる。それこそが本書が他のカウンセリング本と大きく異なっている点です。特に下巻の「ほんものの傾聴を学ぶ」には、初公開となる「5ステップ式トレーニング」が掲載されています。シンプルながらとても分かりやすい傾聴のトレーニングマニュアルとなっており、その実践例もあります。実際のトレーニングで迷いこんでしまう失敗も、これらの事例を読めば、なぜ間違ったのか、何が違うのかが納得できます。読者が迷うだろう部分も想定して先にフォローをする、そんな丁寧な仕掛けもある。下巻のこの部分だけでも、「買い」だと私は思います。</p>
<p>もしかしたら、本書を読み、カウンセラーを志望する方が増えるかもしれません。人の心の暗闇にそっと耳を傾けたり、そのサポーター役として自分が役に立てることは魅力に感じるものです。読み進めるにつれて、どうしても「自分は心の声に耳を傾けるのが得意かもしれない」と確信される方もいるかもしれません。</p>
<p>そこでも著者は逃がしてくれません。カウンセラーへの道のりは「かなり長く険しい修行の道」であると、釘を刺します。</p>
<p>なぜなら、カウンセラーは、「クライアントが自己探索をおこない自己成長をとげていく、その体験の「器」として」存在することが必要であり、その深さによっては、「この人は、自分のこころを適当にごまかして生きてきた人だな」とバレてしまうと、もう次の週からクライアントは来てくれなくなる」ものであると言います。つまり、自分のなかの醜さや嫉妬深さなどの「闇の部分」をどれだけ見つめ、それをどう生きてきたかが、カウンセラーとして大切となる。それと向きあうことは、「修行」にも似ている。</p>
<p>実は、この言葉は、私が大学院に進学するときに著者から言われた言葉でもあります。</p>
<p>著者は、カウンセラー養成課程は別として、セミナーなどにおいて、万人にカウンセラーになることは求めていません。カウンセラーではない方には、自己成長学としての学問と技術を学び、よりもっと深い気づきが、いろんな人にもたらすことができたらいいと、感じているのではないかと私は今でも感じています。私は現在、学校教員として働いていますが、その「修行」の一端を経験できたことは、とても幸せでした。また今でのその末端に座らせてもらっている気持ちすらあります。絶えず心を掘り下げることは、私にはとうていできない。でもその技術と経験と学問は持っている。そんなちょっとした「自信」が、今の私を支えている気がします。</p>
<p>カウンセリングが自分を知るためのものと感じ方。ぜひ手にとってみてください。</p>
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		<title>自著紹介：「人間関係のレッスン」</title>
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		<pubDate>Sun, 02 Jan 2011 05:59:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tatsumi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[自著紹介「人間関係のレッスン」 講談社現代新書 向後 善之（本学会常任理事） 　今の世の中、人間関係を作っていくのもなかなか大変です。自分の意見を言ったら、「空気を読め」と言われるし、それではというわけで、「空気を読んで [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>自著紹介「<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062880628/transpersonal-22/" target="_blank">人間関係のレッスン</a>」<br />
講談社現代新書<br />
向後 善之（本学会常任理事）</strong></p>
<div class="amazon"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062880628/transpersonal-22/" target="_blank"><img src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/51Kgfq2ybzL._SL160_.jpg" alt="4062880628" border="0" /></a></div>
<p>　今の世の中、人間関係を作っていくのもなかなか大変です。自分の意見を言ったら、「空気を読め」と言われるし、それではというわけで、「空気を読んで謙虚に行動した」と思っていたら、今度は、「君には自分が無いのか」と非難されてしまうなどということが起こり得ます。非常に多くの人達が、大なり小なり、人間関係の悩みをお持ちなのではないかと思います。実際、最近カウンセリングオフィスに来られる方の相談内容で最も多いのが、人間関係の悩みです。彼らの多くは、自分では普通にふるまっていると思っているのに、職場の上司や同僚との関係がどうもうまくいかず、精神的に落ち込んでしまったり、不安になったりしています。</p>
<p>　例えば、ついついいい人を演じてしまって、なんでも引き受けてしまう結果になり、身動きが取れなくなる人、ちょっとしたことを決められず、「今日のランチどこに行こうか?」と聞かれても、「どこでもいいよ」と言ってしまうように、自分の意見を言えない人、がんばりすぎて燃え尽きてしまう人、どうせ自分の意見なんか受け入れられないと思って、隠れてしまう人など、人間関係でつまずくパターンがあります。</p>
<p>　実は、そうしたパターンの中には、自分を変えていく、つまり、自己成長のためのヒントがあります。「人間関係のレッスン」では、そうしたパターンのいいところを認めながらも、自分の正直な感覚や感情に気づき、自己一致した人間関係を作っていくために書かれました。そのための手法として、トランスパーソナル的なアプローチを中心に紹介しています。</p>
<p>　さらに、人間関係を徹底的に破壊してしまう、パワハラやいじめなどのモラルハラスメントについて、そのメカニズムと対処法についても示しています。</p>
<p>　ご興味のある方は、お読みいただければ幸いです。そして、お読みいただけないまでも、本屋さんで「人間関係のレッスン」を見つけたら、「あっ、これ、いい本だよね」とわざとらしくでも言っていただけるとうれしいです。</p>
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