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巻頭言 「死者の目に映るのは誰 ?」

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掲載号:No.14 Vol.4

巻頭言
「死者の目に映るのは誰 ?」
田口 ランディ(作家・本学会理事)

 まったく奇妙なことだが、死んでゆく人が増えれば増えるほど元気になる。これはどうしたことだろうか。私の生家はすでになく家族はみな死んでしまった。まず兄が死に、母が死に、そして去年、父が死んだ。それぞれに壮絶な死であったし、家族を亡くした私を「おかわいそうに」と慰めてくれる知人も多い。しかし、正直に告白すれば私は家族が死んで実に清々しく晴れ晴れと爽快なのである。

 今年、五〇歳になる。とはいえ精神的には三七歳からまったく年をとったと思えない。私が私として感じている私はいまだ三七歳である。これは他人からどう見えようと私にはそう感じられるのでどうしようもない。三十七歳の私は家族がすべて死んでからというもの、自由で楽しく、生きている幸せがこみあげてくる。

 昨年は、とても死ぬ人が多く、年初から父が死に、友人の柳原和子さんが死に、敬愛していた水俣の語り部である杉本栄子さんが死に……と、その後も続々と知人が亡くなった。此岸と彼岸に分ければ、彼岸の人口がどんどん増えている。そして、彼岸の人口が増えるほど、私は生きていて楽なのである。この現象に最近になって気がつき、どういう原理かと不思議でたまらなかった。

 そもそも死者とは何者なのだろうか。実体的肉体の消滅と、存在の消滅とはまったく別のことであると実感する。私にとって死者は「ここではないどこか」に存在している。ここではないどこか、が、どこであるか私は明確に言葉にすることをためらう。はっきりしていることは、家族、親戚、友人、知人たちが続々と「ここではないどこか」へ移行することによって、「ここではないどこか」はその形をあらわにし、その実体をありありと予感させてきたのである。そして「ここではないどこか」がありありと予感されることによって、「いまここ」の地盤が強くなっている。そう感じるのだ。

 二十代の頃、私は自分の寄る辺のなさに不安を感じていた。スピリチュアリティ、アニミズムのような土着性に惹かれたのも、自分にとっての「いまここ」が脆弱だったからに違いない。私という自我意識に連結した土地の記憶、歴史性、民族性、血縁、社会、共同体、それらの密なる繋がりのなかで立ち上がってくるはずの「私といういまここ」 しかし、、その手応えのなさに私はとまどい、身悶えしていた。私は私のなかに「私はだれ」かを探し求めて自家中毒状態だった。

 しかしながら、私が生き続ける限り他人は無常に死んでいく。累々と死者を踏んで生き続けているうちに、その死者たちのいる「ここではないどこか」が次第に姿を表わしたのだ。「ここではないどこか」の実感は年々強くなり、ついに父が死した去年、ここではないどこか」 「い「とまここ」がネガポジのようにぴたっと重なったのである。信じられないことに、私は彼らの死によって自分の居場所を与えられた。いまや私の家族も、私の友人たちも、その死によって私に「総天然色の世界」を与え続けてくれている。

 私は霊的なものに興味はあるが愛着はない。というのは「霊」というものの質を信頼できないからである。私にとっては死んだ家族は「霊」ではなく、家族そのものである。父は父であり、母は母である。家族そのもののまま「ここではないどこかにいる」のであって、霊などという薄気持ち悪いものになられては迷惑だ。家族の霊は家族とは異質のものである。もちろんこれは私の実感であって、霊を信じる人を否定する気は毛頭ない。ここではないどこか」が「どこか」も、霊界「だの浄土だのと限定することはできない。霊界も浄土も、そのネーミングが私にとってまるでリアリティがない。聞いただけでげんなりするのである。私はそういうものと切れてしまった無宗教の現代人なのである。

 そんな私でも、これほどに人に死なれることによって、ついに死者たちが「ここではないどこか」にいるというすてきな妄想を得たのである。これは妄想であるから、私にとっての現実であり、誰がなんと言おうとそのようにしか感じられないのだ。私が自分を三七歳としか感じれないのと同じである。いかんともしがたい実感をもって貫かれた思いそのものなのである。

 私は多くの人と交流しているが、そのありがたみは相手が死んでから痛感する。死者の数が増えれば増えるほど「私というここ」は受肉され、生き生きとしてくるのだ。私はいまや、かつてのような寄る辺なさやとりとめなさを感じなくなってきている。夢中でネイティブアメリカンやアイヌに求めた全体性へのつながり、それに近いものを死者たちのいる「ここではないどこか」に感じ始めた。

 だが、仮に目の前で何千人の人間が死のうと、私が彼らの「他者」として在らねば、いまここ」「が死者によって受肉されることはなかったかもしれない。これは真に私の側の問題であった。

 さまざまな課題において、私が発見した唯一の打開策。

 私はあなたの他者として「いまここ」に生きているか。あなたにとって私は何者か、を問うこと。聴くこと。考えること。

 死者の目に映る私はだれか。

 私を映す死者の目は、いつもあまりに優しい。泣けてくる。

更新日:2009.11.03
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