おじんカウンセラーのトホホ通信 その5 大人になれよキース!

【その5】大人になれよ、キース!

前回、私の持病?である「落ち着けない病」について書きました。

言い訳ではないのですが・・、世の中には、どうもその傾向がある大人たちもいらっしゃるようです。

 

私たちの世代の大スターであるローリングストーンズは、60代になった今でも、悪がきそのままですね。とても、まっとうな大人には見えません。

 

彼らは、確か2006年に大々的なワールドツアーをやったのですが、途中ギターのキース・リチャーズが参加できなくなった時期があります。

 

キース・リチャーズは、ツアー中でもちょっと休みがあるといろいろなところに遊びに行っちゃう人らしいのですが、2006年のツアー中でほんの2~3日休みがあったとき、いきなりニュージーランドに行ったのだそうです。彼がニュージーランドの海岸で休んでいるとき、現地の人が、するするっと椰子の木を登って実を木の上から落とすのを見ました。

 

すると、キースは、「自分もやりたい!」と、強烈に思ってしまったとのことです。そう思うと、彼は、もう止まりません。周囲の反対をふりきり、キースは、椰子の木に登り始めたのですが、慣れないことをしかも60代になってからはじめてやったものですから、当然のごとく途中で落ちちゃったらしいんですね。それで、腰を痛めて、ツアーに出れなくなってしまいました。

キースは、60代半ばですよ。

まったく、しょーがないじいさんですね。

「大人になれよ、キース!」って、言いたくなっちゃいますね。ただし、愛情をこめて・・。

 

悪がきぶりを発揮しているのは、ストーンズだけではありません。お硬いはずの精神医学や臨床心理学の先生たちにも、そういう方々が海外にはたくさんいらっしゃいます(ただ、日本にもアントニオ猪木と戦った先生もいらっしゃいましたね?)。

 

20年ほど前に亡くなったR.D.レインというイギリスの精神科医がいました。彼は、統合失調症の治療などについて、精神医学や心理学に大きな貢献のあった人で、統合失調症の人たちを「隔離して治療するのではなく、地域に解放せよ」という当時としてはユニークな考え方を持った人でした。

 

彼は、わがままでした。亡くなるちょっと前の、彼がシンポジストになった国際会議のビデオを見たことがあります。

 

そのシンポジウムでは、確かUFOにさらわれたと主張する“現役の”統合失調症の患者さんとのライブセッションを1000人もの参加者の前で行うというパフォーマンスを行い、その後、その患者をパネル討論に参加させるということまでやりました。

 

シンポジウムが終わり、質疑応答に移ったのですが、そこで当時の主流の考えを持った参加者がレインの考え方に批判的な方向から質問をしました。参加者の主張は、「統合失調症の患者を一般市民の中で生活させるのは危険で、病院に隔離すべき」というものだったと記憶しています。

 

ところが、レイン先生は、質問が終わったのに下を向いたまま沈黙しているんですね。断っておきますが、レインは、どこかの国の財務相みたいに、風邪薬?を処方箋の2倍飲んで前後不覚になっていたわけではありません。

レインの沈黙は、かなり長い間続き、そのため、司会者があわてて、「レイン先生、お答えをお願いします」って言うわけです。それでも、レインは顔をあげません。ついに、会場がざわつきはじめ、ただならぬことが起こったのではないかと皆が心配し始めたとき、レインはゆっくりと顔をあげました。そして、マイクに向かって一言、「そんなくだらない質問に答える必要あるのかい?」と言って、また顔をふせちゃったのです。

 

次に質問に立ったのは、家族療法で有名なミニューチンでした。ミニューチンは、レインの考え方に近い人で、質問内容も基本的にレインの考え方をサポートするような内容でした。レイン先生は、このときは、嬉々として質問に答えているんですね。

 

レインの行動に批判もあるのでしょうが、私は、見ていて拍手喝采だったです。小気味よいじゃないですか!・・しかし、とても、とても、私には、そんなことできないなぁー。

 

小気味良いわがままは、自分の心に正直です。キース・リチャーズもR.D.レインも、自分が思ったとりに行動しています。感情と思考と行動が一致しているとも言えるでしょう。

世間の常識からすれば、60代半ばで椰子の木に登ろうとしたキース・リチャーズは、まわりからは、「アホか!?」と言われるのが普通でしょうし、国際シンポジウムの席上で質問に答えないR.D.レインの態度はご法度です。

 

彼らは、「・・すべき」という世間の常識を超えています。それよりも、「・・したい」という個人の意思を大切にしているのでしょう。「・・したい」という意思は、生きようとする意思に通じます。「・・すべき」というのは、みんながバランスよく生きていくための方便です。どっちも大事なのでしょうけど、本来は、「・・したい」が主役で、「・・すべき」は、二次的なものだと思います。キース・リチャーズもR.D.レインも、とても人間らしく生きているんだと思います。

 

そういえば、かのアインシュタインは、「常識とは、18歳までに身につけた偏見の寄せ集め」って言っていました。アインシュタインにもレインやリチャーズと同じ匂いを感じますねぇ。

 

「・・すべき」というグループ規範が強い世界では、個人の「・・したい」という気持ちが抑圧されます。そうした抑圧が、うつや不安を生む大きな要素なのかなと思います。

 

しかし、どうも最近、世の中窮屈ですね。「・・すべき」が氾濫しています。電車の中吊り広告の週刊誌の見出しなんて、みんな、その手の記事か、悪口ですから、やれやれです。

 

世の中の「・・すべき」をまじめに守ったら、私は、メタボリックシンドロームに気をつけ(太るな!ってことです)、お酒をやめ(不可能だぁ!)、ロハスな生活(健康的な食生活なのだそうです)を心がけ、常に紳士的にふるまいながらも、ちょいワルおやじファッションに身を包まなきゃならないんですかねぇー。

 

あー、窮屈だ!

 

去年の北京オリンピックの閉会式で、次回オリンピックがロンドンということでジーミー・ペイジが出てきたのは拍手喝さいだけど、どうせならストーンズにも登場願って、「Jumpin’ Jack Flash」でもぶちかましてもらいたかった!

(第5回おわり)

 

向後善之 

日本トランスパーソナル学会 事務局長

 ハートコンシェルジュ カウンセラー