特別寄稿 生き心地よい感じを取り戻す 飯田茂実

特別寄稿
生き心地よい感じを取り戻す
飯田茂実
(ダンサー・舞台演出家)

 すみませんが、とてもありきたりで、ネガティブな話から始めます。人の抱くネガティブ感にはいろいろあって、言わずもがなとは思いますが、あえて舞台創作でよく登場するネガティブ感を挙げてみます。
 無能感、恥辱感、抑圧感、嫌悪、反感、敵意、劣等感、軽蔑、不安、焦り、恐れ、怒り、憎しみ、妬み、憂鬱感、自責感、疎外感、孤立感、後悔、罪悪感……心を込めてこうした言葉を朗読したら、それだけで気分が重暗くなるし、ぜんぶまとめて体験したら、どんなに強くて偉い人でも、生きているのがイヤになるのではないかと思います。
 せっかくの自然な感情なのだから、ネガティブ感といえども元気に活かして、心地よく人生に役立て、固めてしまわずにバランスよく解消したい。ネガティブ感を固定させて心身に溜めこむ、そういう人が多くなるほど、社会のなかで、ストレスの病みを抱える人が多くなり、身ずからの命を奪う人が増えていくようです。

 僕は仕事柄どうしても、人のネガティブ感を扱ったり、放散したりすることが多く、必要に迫られて、整体とか経絡医療とか、心理療法の技術を、いつのまにかせっせと身につけるようになってしまいました。そうした技や術は、物事の捉え方、心のもちよう、日頃からの態度といったことも含みます。
 喜びを増やして、苦しみを減らすには、どうしたらいいか。平たく言えば、欠けているところを充たし、詰まっているところを流れるようにするばかりです。そのへん、伝統的な心身術は、本当によく効く。やはり効目が速くて、効目の長もちする技術が佳いようです。
 こうした技術は、近頃の義務教育ではなかなか身につけられません。なるほど、生き心地よく暮らすことは、国民の義務ではなくて、たんに権利なのかもしれませんね。
 高いお金を払って、お医者さんや薬屋さんにもたれかかっていてはもったいない。それぞれが生き心地のよくなる心身術を心得、身につけるのがいちばんです。
「え? たったこれだけで、なんで?」というくらい、簡単によく効く技術がいろいろあるのに、それを身につける機会がないまま、多くの人たちが、闇のなかでぐるぐる廻りをしている……そんな妄念が襲ってきて、僕はときどき悔しくて辛くてたまらなくなります。そういう妄念はさっさと消しますが、またすぐに湧いてきて困ります。

 新鮮な驚きにみちた子どものころの日々。生まれ故郷のくに言葉での、実感にあふれた人交わり。たくさんの感動に充ちた時。自分がかつて信じて守ってきたこと。これまでに僕は、大切なことをたくさん失ってきました。もちろん僕だけではないと思います。
 大切なこと、大切なものを失うのは、とても恐ろしいことです。「ただいま」と言ったら「おかえり」と返事してくれる人を失い、故郷を失う。健康を失い、この世でたったひとつの自分の命を失う。収入や地位を失い、財産を失う。何より大切だった信念を失う。「一緒に元気になろうね」「わかっているから安心して」「あなたのこと大事に思っている」「信じているからね」……そうした、大切な人たちからの言葉を、愛情を失う。心の拠りどころを失うのは怖い。だから守りに入る。
 たとえば僕は、人から意を注がれなくなるのが怖いです。かつて祖母や両親、師匠が自分を気にかけてくれたこと、妻、兄、友人が自分を気にかけてくれていることが、どれだけ救いになっているか、毎日しみじみ感じ入ります。それから、怖いといえば、気にかける対象というか、生きがいというか、そういうことをなくすのが怖いです。自分は今たしかに生きていて、活かしているんだ、という実感を失うのが怖いです。
 多くの人が経験してきたことだと思いますが、僕は、両親を失い、女友達を失い、大切な友人知己を失い、先生や師匠を失い、そのたびに哀しくてたまりませんでした。もう、二度と、あの声を、聞けない。死んだ方が楽だと思うくらい哀しいこともありました。哀しんでいる体はうまく息がつけない。過酸素呼吸みたいになってしまって苦しいものです。
 そんな哀しみから、なんと自分は、立ち直れてしまった。僕はいつも、人間の回復力におどろき感動します。立ち直るたびに、びっくりする。なんという回復力の速さだ。
 もちろん立ち直ったつもりになっていても、実は根深いところで回復できないまま、しこりのように残っていることもあるのでしょう。そういうしこりというか、弱味がすっかり消えてしまった人は、人情もまた失ってしまうのかもしれないと思います。
 山本周五郎さん、藤沢周平さん、山田洋二さんといった、大乗芸術の菩薩さんたちみたいな方々を、僕は敬愛しています。ひそかに先生と呼ばせてもらいながら、彼らの作品からいろんなことを学ばせてもらっています。先進的な人たちは、ついつい我を張ってしまうのか、理路を整えすぎているのか、まだまだ彼ら大乗芸術家の体現したような方法に、到達していないのではないかと思うこともよくあります。

足元が揺らぐ。自分の頼りにしてきたものごとが崩壊する。「ああ、自分にはもう、何も残っていない。もう生きていてもしょうがない」とさえ思う。そうした喪失の体験から、どうにか立ち直ってきた人、無から幾度も回復してきた人は、傍目にはどんなにへなちょこに見えたとしても、根が、芯が、しっかりしているように思います。本当に大切なことは何なのか、そうした経験のなかで、たしかめざるをえなくなる。人間にとって本当に大切なことを、いつも胸に抱いて暮すようになっていく。

 先月まで僕は九ヶ月ほど、もう捨て身の覚悟で、あちこちを旅して、奥地の奥にも触れてきました。ラテンアメリカ、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、ときには知人もなくほとんど何の予備知識もない国や土地へ出かけていっては、ワークショップをし、舞台を作って公演します。たてつづけに奇跡みたいな出会いの体験をしました。途方もない、圧倒的な、交流の体験が、つづいてゆく日々。行く先々で大規模な人災のシステムみたいなものに気づかされ、何とかできないものか、血尿を出しながら工夫をこらし続けました。何度か命の危険を冒しました。さあこれから八百年くらい先まで子孫たちのことを想って活動していくにあたって、身ずからをヴァージョンアップする必要もあったのです。中年期の武者修行みたいな一人旅でした。
 ヴァージョンアップしなくてはもうダメだ、自分は無力感でダメになってしまう、自分がダメになってしまったら、家族も哀しむし、師匠に対しても申し訳ない、いや何よりやっぱり自分が困る。ここで自分がマモリに入ってしまったら、たくさんの人たちにとって「ああ、もったいなかった」というような損失だという気もする。なんかアホみたいだけど、そんなふうに感じていて全力です。自分の何をヴァージョンアップするのか。主に回復力です。受容力も、創造力も、人間の力というものは、芯からの回復力なくして成り立たないと思っています。
 若い人たち、とりわけ、ちいさな子どもの回復力は、素晴らしいです。自粛しなさいと言いきかせても、なかなかうまく校則できない。野バナシにされている子どもたちは、いざというとき頼もしい野性を発揮できる。ちいさな子どもたちは、社会のなかの自然力だと思います。
子どもは身近な人のパターンを真似ます。真似られる側がしっかりした回復力を身につけておけば、子どもがせっかくの回復力を失うことはないと思います。おい、もっとこっちへ伸びなさいと、芽をあんまり引っ張ると、芽が抜けてその先育たなくなってしまう。広びろした自然な環境で芽を伸ばしていくと堂々たる大木に育って、雷に打たれてもしぶとく芽吹いたりします。社会のお日様と空気さま、水さま大地さまがしっかりしていれば、あとはもう周りの人たちをよく真似ながら、子どもはすくすく育っていくのだなあと思います。
 闇を知っても、すぐに光を取り戻すことのできる、回復力。疲れきったり、熱を出したり、病気になったりするのはかまわないんです、回復力さえあれば。ネガティブなことへ突入していっても、回復力があれば、平気です。
僕は臆病者ですが、回復力を強みにしておけば、安心して、人を信じ、愛することができる。創造力、クリエイティビティの親分みたいな存在でもある、心身の回復力さえしっかりと身につけておけば、喪失を恐れて守りに入る必要もいくらか少なくなるのではないか。
 守りに入っていたら、この世のなか、なんとかするなんてことはできない。放っておいたら、世のなかの未来は病みです。我が身を、周りの大切な人たちを、世のなかを、少しでも晴れやかに、おおらかにするのに、なんらかの常人的能力が必要だとしたら、その能力を身につければいい。……身につけてみる方向で、いこう。……というか、この状況ではすでに、身につけるしかない。
 回復力を身につけることができるなら何でもやってやろうと、いきおい命を張って危険に飛び込んでいくのはバカだと思いますが、体張って原始行動というか、バカいっぱいやってきたおかげで、僕はこの10年ほどのあいだに、周りの人たちがキョトンとするような回復力を身につけてきました。虚弱児だったかつての自分を思うと尚更のこと、人間の心身に潜在している可能性は、途方もない自然生命の恵みだなあと感じ入ります。おかげであまり睡眠もとらず、食事とかもよく忘れたまま栄養過多になることもなく、ノンストップで創作の日々を続けています。
おおむね自由で充実した生き心地でやっています。生き心地いいかい、わるいかいと訊かれたら、たいへん生き心地がいいです。なんて運がいいのだろう。なんて恵まれていて幸せなのだろう。熱を出して寝込んでいるときも、ひとりで哀しくて泣いているときも、怒ってじだんだ踏んでいるときも、体の生き心地のよさは変わりません。こういう単体で生き心地よい僕は、同時に社会人なので、社会をもっと住みやすくしたい。それで色んな活動をすることになります。生き心地のよさのうちにも、「気楽にちょっとムリしている」といった感じです。運がよかったのでしょうか。苦しみを耐え忍んで暮している人たちに申しわけない、すまないような気持になります。こういう生活がいつまで続くか、長生きはできるかどうかは、わかりません。

 僕はこれまで世界のいろんな場所で、いろんな国の人たちと、全員が本人の役で語りかけ、語り合い、踊り、歌う、ドキュメンタリー・ダンス・シアターの舞台作品を創作してきました。僕自身はあまり舞台に立つことはなく、構想、振付、台詞づくり、美術、音楽、演出など、総合監督を担当します。出演者たちと相談しあいながら、なるべくムリのないように、大勢での共同創作を進めていきます。日本ではこれまでに、松山、仙台、京都で、長い時間をかけて舞台を作りました。
ドキュメンタリー・ダンス・シアターでは、ひとつの舞台ごとに、10人から30人ほどの出演者が集まって、一時的なコミュニティをつくり、共同創作をします。出演者が定まったところから創作が始まります。一人ひとりの出演者に即して、様々な役割を互いに見出しながら、全員が主人公となる舞台作品を創り、劇場で上演します。創作期間は、企画に応じて、わずか3日間のものから、1年余りかけるものまで、幅ひろい。
こうした舞台創りをすると、どれだけ出演者一人ひとりの現在を受け容れ、愛することができるか問われます。今ある現実を受け容れて、味わい愉しむ能力。未来へのヴィジョンを生みだす能力。一瞬で能なしになれる能力。いろんな能力をずんずんヴァージョンアップさせ続ける能力。いろんな能力が必要になります。限界がない世界です。創作中は、毎日、力を使いきります。疲労でからだがぶるぶるふるえることがよくあります。

現在、一時帰国して、仙台にいます。19歳から27歳の若いアーティストたち15人と、新しい舞台を創っています。出演者も、技術スタッフも、メンバーは全員が3月の震災の被災者です。1ヶ月の創作期間のあと、他地域の多くの方々と協力しあって、東北公演ツアーをおこないます。
舞台監督は19歳、足元が大きく揺らいだとき、彼はちょうど海辺の原発にいました。来た道を逆に辿ってバスで仙台へ避難してゆく道すがら、彼は、さきほどとまったく違う、信じられない風景を見た。道路の際の家々が、屋根まで水に漬かっていた。
稽古のあとでラーメンを食べながら、ときに目を潤ませて、メンバーはお互いにそんなことを語り合っています。
ある出演者はそのとき仙台の街なかにいました。立っていられないほどに足元が揺らぎ、目のまえで壁が崩れていく。ビルがゆらゆら大きく揺れ、窓ガラスが砕け、信号が停まり、車輛が停まり、バスから人びとが溢れでてくる。サイレンの音が聞こえ、遠くで煙があがっている。「ああ、もう終わりだ、あのビルも倒れてしまう、世界が終わるのだ」と思って、すべてがスローモーションのように見えたそうです。彼女はそれから三日ほど、体が何かの塊になってしまったようで、何も考えられずに呆然と寝たきり状態で過ごしたそうです。彼女はその後、海辺の被災地を廻って、ヴォランティア活動を続けてきました。しばらくはこの世界が色彩を失って、すべてモノクロのように見えていたそうです。一ヶ月ほど、動き回っているうちに、「色が戻ってきて、色を感じられるようになった」そうです。
避難所から自宅へ戻ったあと、放射能におびえて何日か部屋にこもっていたという出演者もいます。彼もまた、その後、部屋を飛びだして、被災現場で働き続けてきました。被災現場の話をするとき、27歳の彼は、ひとり暮らしのお年寄りみたいな表情になります。
震災によって、稽古場や劇場もたくさん使えなくなりました。制作予算もほとんどない。時にはその日の稽古場が昼になるまで定かではないような状態で、あちこちの稽古場へ転々と集いながら、創作を続けています。多くの方々に援けていただいています。創作中、ときおり余震で稽古場がぐらぐらします。そんなとき思わず体を縮めて「こわい……」と口走ってしまう20歳の女子もいます。
出演者たちは、全力全身全霊といった状態になっています。
この三ヶ月、それぞれが哀しみや怒りを、心身に溜めこんできました。
ひとつの状況を多くの人たちと切に分ち合っているなか、日々、それぞれの哀しみ、怒りが……あたたかく思いやりのある態度へ、やさしい気持へと昇華されてゆく体験を重ねています。
今、創作現場で、次世代の若い出演者たちから感じるのは、人の想いを感じやすくなっているゆえの強さ、芯のある底力みたいなものです。上演に向けて、心ふかい作品が、少しずつ育っている最中です。

 ドキュメンタリー・ダンス・シアターの創作というのは、心身の濃密な交流に充ちた作業です。共に本音で交わり、踊り、語り、笑い、怒り、泣き、安らぐ。創作過程ではいつも、一人ひとりの共作者たちのことを、たまらなく好きになってしまいます。心底いとおしい気持です。けれども舞台を終えるとコミュニティは解散し、共作者たちは、ばらばらになる。ドキュメンタリー・ダンス・シアターの舞台は、いちど限りの出来事です。想いを合わせ、全エネルギーを注いで創ってきた作品とも、公演が終わったら、さようならです。公演後の喪失感はひどいものです。もう舞台創りなんか二度とやりたくないと思って泣けてきます。かつて一年かけて創った舞台公演を終えた翌日、「終わってしまった。……舞台が終わってしまった」とつぶやきながら、呆然とひとりで街をさまよい歩いていました。そんなことの繰り返しです。

 舞台づくりという作業を通じて、僕は、野口整体とか心理療法を学ぶことになってしまいました。古神道、武術、東洋医術など、伝統の技術は、ほぼそれで充分というくらい役に立つと思います。広くて深い愛情と信仰をもっていた人びと、仏陀、空海上人、ルーミー、一遍上人といった方々の用いた技術は、やはりやりやすくて効目があります。宗教から切りはなして活用できる技術が盛りだくさんです。
あれこれ考えて工夫するにしても、やはりなにがしかの伝統術を身につけて、心身をすっきりさせてからのほうが効率よいようです。
 僕にはいろいろ弱味があります。生き心地を回復するための、こうした伝統的な心身術を知らなかったら、日々の暮しはもとより、舞台づくりの指揮なんて、まるでダメだったと思います。
 近頃の世のなかは、昔よりだいぶ便利になったようです。そして体感覚での交流が少ない世のなかになっている。心から想いを語りあい、分かちあう機会も少ない。人為的なシステム・ストレスに充ちた世のなかになっています。生命から見てたいへんな世のなかです。
日本トランスパーソナル学会のメンバー全員が、想いをあわせ力をあわせて祈ったとしたらどうでしょう。協力しあって祈るように活動したとすれば……。例えば、人びとがもっと、命を大切にして、周りの人たちの心身を慈しむほうへと、この世を変えていくことはできるのか。ひと握りの超大金持ちたちの、自己意識や世界観を、変えることはできるのか。もしや、できるのではないか……などと僕は想像をたくましくして生き延びていますが……薬をつくって売ると儲かるし、武器をつくって売ると儲かるし、富と力を喪失するのが怖くてたまらない人たちも多いようだし、……やはり、ムリだろうか。
時折、インドで活動しておられる佐々井秀嶺・龍樹師のことを想い出します。今はもう菩薩さんとしか言いようのない方ですが、かつては秀嶺師も自分と同じようなところの多々ある人間だったのだなあと思って喝を入れられます。

 どんな宗教にも属していませんが、僕は自分なりの信仰をもっています。誰もが、生命への、他の人たちへの大きな愛をひめていると信じています。
 もしも舞台を観に来てくれるお客さんみんな、共作者たちみんな、お互いに、気の詰まったところがなくなって、お互いに、受け容れ、赦し、活かし合う、愛、と呼ばれるような心地にみたされるのなら、なんだってやってやろうと思うのですが、そう思う本人がまだ力不足で、守る必要のないものを守っていたりして、そのような境地へはなかなか到れません。

 昨日の夕方から満月の夜が明けるまで、公演の創作をしていました。そのあと、朝の光のなかで、一気にこの原稿を書きました。取りとめのない話を最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
6月15日 仙台にて 

飯田 茂実(いいだ・しげみ)
1967年信州諏訪に生まれる。大野一雄・大野慶人のアシスタントを務めてダンスと演出を学び、ピナ・バウシュ、アラン・プラテルの知遇を得て、ドキュメンタリー・ダンス・シアターの創作を志す。1998年よりマルチ・アーティストとして、世界17カ国に招かれ、創作・公演をおこない「人間アート・センター」と称されるようになる。ダンス・音楽・美術・シアター・文学など、様々なジャンルを身をもって統合していく活動は、学術的な研究対象にもなり、国際的に高く評価されている。著書に『一文物語集』『ダンスの原典』など。