【その34】キンシャサの戦い

3月の半ばから、先週まで、セミナーの主催、自分自身のセミナー、新著の原稿締め切り、大学院のファイナルペーパーの採点、そして修士論文の審査と、目の回る状態で、とほほ通信がとどこおってしまいすみませんでした。やっと、最後の修士論文の審査が終わり、先週末から、自由の身になりました。やれやれ・・(私が勤めているのは、アメリカの大学院の東京サテライトキャンパスなので、修士論文の審査は6月になります)。

さて、自由の身になって、世の中をみわたすと、サッカーのワールドカップの話題で盛り上がっていますね。なんだか、岡田監督が急にヒーローになった感じですね。なんとか予選を突破してほしいです。しかし、デンマークは手ごわそう・・。

今回のワールドカップは、南アフリカ開催です。アフリカ初のワールドカップらしいですね。アフリカでのスポーツイベントというと、私などは、ザイールのキンシャサで行われた、モハメッド・アリとジョージ・フォアマンによるボクシングのヘビー級のチャンピオンシップを思い出します。1974年に行われたのですから、もう36年も前の話なんですが・・。

私は、当時高校3年生で、受験勉強などはそっちのけで、試合を見た記憶があります。

モハメッド・アリは、1960年のローマオリンピックで金メダルを取った後、プロに転向し、1964年にソニー・リストンを破ってチャンピオンになりました。アリは、試合前から対戦相手を何ラウンドにKOすると宣言するなど、大口叩きとかほら吹きとか言われもしましたが、実際にそうした宣言を実現させてからは、むしろ彼の大口は、何か神秘的なものさえ感じさせました。

アリのボクシングは、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容されたように、フットワークを多用し、ただブンブンパンチを振り回す当時のヘビー級のボクシングに、まったく新しいスタイルを持ち込みました。彼の試合は、とても華麗で、またスピード感がありました。あっという間に相手の急所にパンチを入れ、見ている側も何が起こったのかわからないうちに相手が倒れていきました。アリのボクシングは芸術でした。

アリは、その後も無敗のまま防衛を続けていきましたが、ベトナム戦争への徴兵拒否により、ヘビー級の王座を3何7ヶ月も奪われることになりました。プロのスポーツ選手が4年近くもブランクがあったら、普通再起はできるものではありませんが、アリは、1970年に再びリングに上ります。

それ以降のアリは、勝ち星は重ねるものの、往年の絶対的な強さは見られませんでした。1971年には、王者だったジョー・フレージャーに生涯初めての負けを喫しました。ジョー・フレージャーもまた、天才的なボクサーで、当時無敵とも史上最強とも言われたものです。

そのジョー・フレージャーを2回KO勝ちで破って王座に就いたのが、ジョージ・フォアマンです。フォアマンのパンチは強力で、「象をも倒す」と言われたものです。私の記憶では、フォアマンのパンチがフレージャーのボディーに決まった後、フレージャーが血を吐いて、その後TKOとなりました。あんなすごいKOシーンは初めて見ました。

フォアマンの初防衛戦は、1973年東京で開かれました。私は、家に早く帰って(確か、午後の授業はさぼって速く帰ったように記憶しています)、フォアマンの試合をテレビで見ました。

日本で初めてのヘビー級ボクシングのチャンピオンシップということもあり、リングサイドには、三船敏郎、勝新太郎など、たくさんの著名人が観に来ていて、試合前に延々と、そうしたゲストに対するインタビューが続き、なかなか試合が始まらず、イライラしたものでした。しかし、いざゴングが鳴ったら、1Rで、あっという間に挑戦相手のジョー・キング・ローマンをKOしてしまったのです。1R開始のゴングが鳴ったかと思ったら、ローマンがフォアマンのパンチですっ飛んで行ったのをはっきりと覚えています。私の同級生などは、ゲストへのインタビューがあまりに長いので、しびれをきらしてトイレに行って帰ってきたら、試合が終わっていたのだそうです。

それほど強いフォアマンに、アリがフレージャーを再戦して負かし、1974年10月に挑戦することになったのです。これが、キンシャサの戦いです。大方の予想は、圧倒的にフォアマン優勢でした。アリは、32歳で、ボクサーとしての峠は過ぎていたのに対し、フォアマンは25歳と若く勢いがありました。

しかし、アリは、この試合に勝ち王座を奪還するのです。1R目から、フォアマンはアリに襲いかかっていきました。最初のうちこそアリ得意のフットワークを使っていたのですが、ラウンド半ばには、ロープ際に追い込まれ、アリはサンドバックのようにフォアマンにボディーを打たれ続けました。

これが、2R以降もずっと続きます。アリは顔をガードしてはいるものの、フォアマンにボディーを打たれ続けるのです。でも、アリは倒れません。ほとんどの試合を1~2RでKO勝ちしてきたフォアマンもしだいに、不思議そうな顔をしはじめます。

そして、運命の8R目。フォアマンは、それまでのラウンドと同じようにアリのボディーを打っていたのですが、さすがに疲れが出てきたのでしょう。一瞬緊張が緩みました。その瞬間に、ロープにもたれていたアリが華麗なフットワークで前に出て、フォアマンの顔面にパンチを決め、一瞬のうちに勝負が決まりました。フォアマンが倒れそのままアリのKO勝ちになったのです。フォアマンのプロ41戦目にして初めての敗北でした。

アリは、最初からフォアマンの疲れと緊張が緩む瞬間をねらっていたのです。8R目のアリを改めて見ると、両手でガードしている奥から、しっかりとフォアマンを見据えていました。そして一瞬のスキを見逃さず、蜂のように刺したのです。

見事な戦いでした。これがキンシャサの戦い、あるいはキンシャサの奇跡と言われる試合です。

その後、アリは10度の防衛を果たしやがて引退しました。一方、敗れたフォアマンは、3年後に引退し、なんと宣教師になってしまいます。

しかし、ドラマはそこでは終わりません。フォアマンは、青年厚生施設建設費用ねん出のため1987年、38歳で再びリングに立ち、ボクサーとして復活します。38歳ですから、もうピークはとうに過ぎていて、その後、ホリーフィールド、モリソンといった当時のチャンピオンに挑戦することができたのですが、いずれも負けてしまいます。しかし、1994年フォアマン45歳の時に、王者のマイケル・モーラーへの挑戦権を獲得し、10RKO勝ちをおさめ、ヘビー級史上最年長のチャンピオンになります。そのとき、フォアマンは、キンシャサの戦いでのアリと同じような戦法を使います。つまり、相手に打たせて疲れさせて、疲れたところを1発で決めるという戦い方でした。

スポーツは、すばらしい。勝った側にも負けた側にもドラマがあります。30年以上たった今も、こんなにはっきりと覚えているのですから・・。今年のワールドカップでは、日本チームには、みんなが30年後に覚えているような戦いをすることを期待します。

向後善之

日本トランスパーソナル学会 事務局長

ハートコンシェルジュ カウンセラー